市ノ又

いちのまた


20150424初

20170224胡

【沿革】 

 長宗我部地検帳には、喜多川村の枝村として「一のまた村」の記録がある。

 それ以降の地誌である州郡志(1704-1711)には「一之股村」南路志(1813)には「市野又村」とある。

 明治22年(1889)4月1日、明治の大合併により、幡多郡田野々村、北野川村、烏手村、相佐礼村、弘瀬村、折合村、市ノ又村、上宮村、芳ノ川村、打井川村、上岡村、下岡村、瀬里村、四手ノ川村、西ノ川村、中津川村、大奈路村、下津井村、江師村、下道村、木屋ヶ内村、小石村の22か村が合併し「東上山村」が発足し、市ノ又村は大字となった。

 大正3年(1914)1月1日、幡多郡東上山村は、 村名を改称し「大正村」となった。

 昭和23年(1947)8月1日、幡多郡大正村は、町制を施行し「大正町」となった。

 平成18年(2006)3月20日、高岡郡窪川町と幡多郡大正町・十和村が合併し新設「高岡郡四万十町」となる

 

【地誌】

 旧大正町の東部。北は芳川・相去、東は烏手、南は大正北ノ川、西は上岡に接する。ほぼ中央を市ノ又川が東流する。川に沿って水田・畑が開けて町道が通じてい。住宅が点在する細長い集落で、農林業地域。山林が多い。氷室天神社があり、祭神は少彦名命。近年になって農家民宿里山の営業が始まる。(写真は1975年11月撮影国土地理院の空中写真。写真中央部が市ノ又)

 

【地名の由来】

  谷川の下流から谷分かれに一ノ俣(一の股)、二ノ俣(二の股)と下順に番号をふって区分することが全国にみられる。山形県鶴岡市には一の俣沢、二の俣沢、三の俣沢とあり、秋田県八峰町では一ノ又沢、中ノ又沢、三ノ又沢とある。東日本が沢で西日本が谷と呼ぶそうで、それもフォッサマグナの西端の糸魚川静岡構造線がその分かれか、岐阜県白河村には四ノ又谷とある。

 長宗我部地検帳では「一のまた村」と呼ばれていたように「一」と「市」は混用される場合が多い。通例で判断すれば、相去川の最初の分かれとなる谷川の集落を命名動機とし、それが転訛して「市ノ又」となったのだろう。

 

 「市」は、ときに巫女の「佾」が転訛した場合もある。二の又もなく、付近に信仰に関連する他の地形や地名により判断される。例えば修験の山である五在所ノ峰の南側に市野瀬があり、土佐式内社である伊豆田神社の麓に同じく市野瀬(土佐清水市下ノ加江)がある。高知県出身の民俗研究者・筒井功氏は「佾」の研究者であり詳しく書籍で紹介しているので、当HP地名のお話を見てください。

 また、「市」は「市場」の市でもある場合もある。往来の盛んな村の境には市場が形成されたというが、芳川越えの里道は、大きな交易・往来の道筋でもなく、これにはあたらないだろう。

 


地内の字・ホノギ等の地名

【字】(あいうえお順)

アサシリ谷山、アリノ木タ、池田、石サシタ、一ノ谷、イデノ畝、イデノ畝山、イデノ谷、イデノ谷山、イデノ山、岩ノ本、ウスキ山、梅ノ木窪、ウルシノ木ノモト、大サコ、大峠、大峠山、大ナコヲチ山、大平山、大向、カヂヤシキ、カチヤシキ山、カドタカバノキカミヤシキ、甚五郎、キヨブ谷、キヨブ山、クイシサコ、ゲンダイダ、コヤノ大畝、コヤノ谷、コヤノ平山、サガリ、サコ畝、サコ畝山、サコ谷、サデノスソ、サテ山、サルウチ山、三十代切、ジゾヲノマエ、シナノサコ口、シミヅ畝、シミヅヤシキ、シミヅ山、シメノ木ダ、シモノキレ、十九代地、シリダカ山、田中、チクゼン山、チャドヲ山、ドヲガサコ、トヲノス、トヲノス山、長サコ、ナコヲチ山、ハゲダキ山、ハシカ谷山、畑カ谷、畑谷山、平四郎、堀田サコ、ホヲリヤ、ミナ口サコ、ムカイ平山、柳ケサコ、ヤナギ山、山神谷、山神山、六代田、ヲクカクシ山、ヲクカタシ、ヲモダ、ヲヲドヲ山、ンダバ【77】 

 

(土地台帳・切絵図番順)

※土地台帳の調査は、北ノ川から市ノ又川の右岸「梅ノ木窪」に始まり、すぐに左岸に渡り、源流点となる柳サコ山まで進む。そこから右岸に渡り、市ノ又川を引き返して下り大正北ノ川境の「サテ山」で終了となる。

1梅ノ木窪、2トヲノス、3トヲノス山、4コヤノ平山、5コヤノ谷、6コヤノ大畝、7ウルシノ木ノモト、8三十代切、9ンダバ、10一ノ谷、11山神谷、12ムカイ平山、13山神山、14サルウチ山、15シリダカ山、16カヂヤシキ、17シモノキレ、18ヲモダ、19サコ畝、20サコ谷、21堀田サコ、22大サコ、23クイシサコ、24甚五郎、25六代田、26長サコ、27チャドヲ山、28シミヅ畝、29カドタ、30石サシタ、31シミヅ山、32平四郎、33シミヅヤシキ、34大向、35アリノ木タ、36イデノ山、37イデノ畝山、38ナコヲチ山、39大ナコヲチ山、40大平山、41・42柳ケサコ、43チクゼン山、44ウスキ山、45ヤナギ山、46シメノ木ダ、47カチヤシキ山、48カミヤシキ、49ハゲダキ山、50サガリ、51田中、52大峠、53大峠山、54畑カ谷、55ゲンダイダ、56畑谷山、57ホヲリヤ、58ハシカ谷山、59池田、60岩ノ本、61キヨブ山、62キヨブ谷、63ドヲガサコ、64イデノ谷、65ミナ口サコ、66カバノキ、67イデノ谷山、68ヲクカタシ、69ヲクカクシ山、70アサシリ谷山、71ジゾヲノマエ、72十九代地、73サデノスソ、74サテ山

 

【ホノギ】一のまた村/喜多川村の枝村)

 一のまた村(土佐国幡多郡上山郷御地検帳:幡多郡上の1p17/検地:慶長2年2月2)

 大川ヒラ新開、下谷、本十代地、桜ノ木ノ本、トウノス、西ノ奥、サコタニクチ、堀アケ、彦太良地、永サコ、フツ子ン、河原タ、南川端、奥川端、大向ヤシキ、奥セイモト、与衛門ヤシキ、サカリ、サカハ、岸ノ下、上やしきのまへ、西ノ谷、池田、河原タ、コシタ、岩ノモト、ミセマチタ、カハノ木子ヤノ谷口ヲチンタ、山根、カトタ 

 

ダウンロード
大正町切図(0811市ノ又).pdf
PDFファイル 367.8 KB
ダウンロード
810市ノ又・集成図.pdf
PDFファイル 955.0 KB

【通称地名】

 

 

 【山名】

 

 

【河川・渓流】

 

 

【瀬・渕】

 

 

【井堰】

 

 

 

【ため池】(四万十町ため池台帳)

 

 

【城址】

 

     

【屋号】

 

 

【神社】 詳しくは →地名データブック→高知県神社明細帳

氷室天神社/36ひむろてんじんしゃ/鎮座地:池田  ※村社


現地踏査の記録


地名の疑問


出典・資史料

■長宗我部地検帳(1597慶長2年)

(地検帳幡多郡上の1p17~ /検地:慶長2年2月2日) 

 慶長時代の市ノ又地区の村名は、”喜多川村”とあり、枝村として”一のまた村”の記録がある。

 検地を行ったのは慶長2年2月2日(1597年3月19日)のことである。

 検地は、一のまた村の入口となる市ノ又川左岸の「トウノス」から始まり、比定されたホノギを追っていくと「サコタニクチ」、「永サコ」、「大向」と進み、右岸に渡って、「サカリ」、「池田」、「岩ノモト」、「カハノ木」、「子ヤノ谷口」と市ノ又川を下る。

 翌3日は、市ノ又境となる北ノ川地区の「ヲチンダ」、「小井ノ野」、「竹ノはな」、「ミヤのせ」の検地を済ませ、北川カラステ村に入る。

 上のホノギの最終部となる「ヲチンタ」、「山根」、「カトタ」は、現在では大正北ノ川地区に属しているように思われる。ただし「カトタ」は市ノ又の氷室天神社(鎮座地:字池田)のすぐ下流左岸にあり、検地の流れから不自然でもある。

 「門田(カトタ)」は、中世土豪の屋敷地前面にある田畑のことである(民俗地名語彙辞典・上p228)。町内には、市ノ又のほか、奈路、大正、打井川、大正中津川、木屋ケ内に字若しくはホノギとしての地名がある。

 検地結果の上田は「池田」に壱反十五代・出壱反五代があるだけで中田もその上流の、「サガリ」周辺にしかない。ホノギの「大向ヤシキ」は現在の大向に比定される。その隣接に字名のシミズヤシキがあるが現在の清水文雄宅であろう。この対岸、市ノ又川の右岸には「上やしきのまえ」というホノギがあるが、これが字名の上ミヤシキに比定される。市ノ又唯一の中ヤシキである。ただし、敷地は弐代と幾分狭い。

 検地高は、本田と出田で8町8段とある。 

 

■州郡志(1704-1711宝永年間:下p330)

 一之股村の四至は、東限北之川西限上岡村南限北之川界山北限烏手村東西十五町南北十二町戸凡十七

 山川は、柳之左古山(在村北)、一之股谷(自西流東)

 寺社は、天神社とある。

 

■郷村帳(1743寛保3年)

 寛保3年に編纂した「御国七郡郷村牒」では、石高61.045石、戸数13戸、人口54人、男28人、女26人、馬3頭、牛2頭、猟銃1挺

 

■南路志(1813文化10年:3巻p626)

 247市野又村 地六十一石五斗三合

 日村天神 祭礼十一月廿五日 籠物鉾十一本

 石神 正体石 祭礼同上

 飛田大明神 サルハシリ  祭礼十一月廿四日

 

■掻き暑めの記(1984昭和59年)

 ・一ノ又(上p96)

「藩政時代の一ノ又村の住家の戸数は7戸(トビノ巣、オクガクシ、通称大神、上ヤシキ、大向、オモダ、坂本ヤシキにそれぞれ一戸)」

 ・ハゲ滝山(上p139)

「明治6年以降、各村のほぼ中央部に元標が建設された。市野又村の元標は字はげ滝山(茶道の前芳川越の麓)に設置されていた。村柱とも呼ばれ広島鎮台へ何里と書いてあったという。」

 ・はげ滝(上p274)

「芳川村から市ノ又村へ越える道の途中に「はげ滝」がある。」

 ・おうとう畝(上p275)

「市ノ又のおうとう畝から市ノ又谷にむけて魔風が吹き降り、その魔風に禍されて池田から下の方には子供が育たんと言われた。そのため氷室天神を祀ったらよいとのお告げから少名彦命(すくなひこのみこと)の金像を祭り、上屋敷にあった産土神を池田の地に移した。」

 ・ばんじょう越

「市ノ又のおうとうをばんじょう越という。」

※「ばんじょう」は上岡地区の上岡川を登りつめた旧集落。

 ・池田

「西の屋敷前に池とも沼ともつかん所があった。其の周囲は「さほ田」の深い深いたがあった。底なしの田であった。それでホノギも池田とつけられた。昔の伝説にこの池田の底から田野々熊野権現の下の蛇の「ウロ」まで穴が通じていると言われて蛇が通う道であるという。ここの田の田植をすると其の「にごり水」が権現下の「蛇ウロ」へ出ると伝えられ、昔から西さんん所の田植には不思議に雨が降るといわれたものだ。」 

 

■ゼンリン社(2013平成25年:p27)

市ノ又、氷室天神社、市ノ又川

 

■国土地理院・電子国土Web(http://maps.gsi.go.jp/#12/33.215138/133.022633/)

市ノ又

 

■基準点成果等閲覧サービス(http://sokuseikagis1.gsi.go.jp/index.aspx)

猿内山(四等三角点:標高538.38m/点名:さるうちやま)字イデノ畝312

市ノ又(四等三角点:標高442.95m/点名:いちのまた)大正北ノ川字太夫次郎526-1

 

■国土交通省・渡川水系河川整備計画/高知県河川調書

市の又川(四万十川1次支川相去川2次支川市の又川)

左岸:市ノ又字ウスギ山320番地先

右岸:上岡字シデノ木山639番の35

※市ノ又川の上流端の右岸が「上岡」となっているが大字境が稜線境ではないということか。

 

■四万十町橋梁台帳:橋名(河川名/所在地)

市ノ又1号橋(不明/市ノ又字)

市ノ又2号橋(不明/市ノ又字)

 

■四万十町頭首工台帳:頭首工名(所在地・河川名)

北村(イデノ山309-1・イデノ山川

ハゲタキ山(ハゲタキ山334-1・大峠谷川

キヨブ谷(橋ヶ谷山338・キヨブ谷川

イデノ谷山(イデノ谷山350-3・カバノ木川

サコ谷(サコ谷57・サコ谷川

オクカクシ(オクカクシ291・オクカクシ川

アサジリ(アサジリ谷山・アサジリ谷川

山ノ神(三十代切レ26-1・山ノ神谷川

小屋ヶ谷(コヤノ谷14・コヤノ谷川

 

■高知県防災マップ

 コヤノ谷川(422-74-217)

 

■四万十町広報誌(平成21年11月号)

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ぶら〜り散策0810【市ノ又】20091101.pdf
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