Vol.20:地名文化財(その2月) 「白と黒」

熊野神社の牛玉宝印(ごおうほういん)。八咫烏は道を照らす水先案内人
熊野神社の牛玉宝印(ごおうほういん)。八咫烏は道を照らす水先案内人

20170215胡

▼今月は「白と黒」

 「リンゴ」と聞けば、あの赤い果実を連想し、甘酸っぱい味も思い起こす。「アップル」と聞けば、あの洒落たデザインのPCを思い出し、いまではアポーペンと歌ったりもする。文化や暮らしの違いから色の意味が記憶の中で変化して固定化され、それが地名などの命名動機として反映されてしまう。
 例えば、白は、出発、清潔、勝利、軽量、一般をイメージし、黒はその対象となる、老化、汚れ、敗者、高級、権威をイメージし、モノを描くイメージとしてその色を取り入れ、彩色したり、赤ちゃんを名づけの動機になり、地名の由来ともなってきた。 
 
 
▼白色・黒色の歴史
 キトラ古墳から玄武(北壁)、青龍(東壁)、白虎(西壁)、朱雀(南壁)の四神の彩色壁画が発見された。
 季節と色の組み合わせでは「青春、朱夏、白秋、玄冬」がある。
 この四色の名詞に「い」をつけて形容詞化できるのは、「赤い」「青い」「白い」「黒い」だけである。茶や黄は「色い」を加えて初めて形容詞となる。それほどに色としては歴史のある証であろう。
 福田邦夫氏は日本語の基本色彩語として『真っ白、真っ黒、真っ赤、真っ青といえるのも基本の4語だけである。しかし、真っ白い、真っ黒いはいえても真っ赤い、真っ青い、はないので、日本語の最も根源的な基本色彩語は、どうやら白と黒の二つになりそうだ。(「色の名前507」p15)』と述べている。
 
 古代から人々は火を燃やして暖をとり、食べ物を煮たり焼いたりして生活してきた。火の使用により煤がたまり、それを集め墨を得ることができた。暮らしの中で発見した、最も縁のある色であったし、「伝える道具」として利用された色であったのだろう。
 人類は火の使用によって文化を獲得し、光によって闇を征服し、火が燃えたあとの煤によって黒の使用を覚えたといわれる。黒を意味する言葉の語源は黒い顔料が多いと言われる。古英語ではインクを表し、ゲルマン祖語では"燃えた"。印欧語では"燃える、輝く"という意味だった(色の名前507)。 
 
 「墨に五彩あり」といわれるように、墨を使う技法により、濃い、薄い、掠れ、ぼかし、線の速度強弱、遠近などの表現となり見る方は多くの色彩をイメージすることになる。
 黒田日出男氏は『境界の中世・象徴の中世(p21)』で「赤・黒の対は軍事的機能を表わす色彩範疇であり、青・白は王権ないし祭祀の色彩範疇である」と述べている。白は天皇の服色、黒は奴婢の服色として両極をシンボライズしてきた。 
 豊かな色彩を持つ黒も、古代には身分を表わす色としては最も低い階位であったが、鎌倉時代となり武士が強さや権力を誇示するため鎧などに「漆黒」のしようが普及していった。今のレクサス、BMWの黒やブラックカードのイメージとして今でも権威の象徴色となっている。
 今のイメージではどうだろう。犯罪の容疑があることを俗に「クロ」といい、ブラック企業、ブラックマーケッツ、黒の商人など、不正、非合法な経済活動を「ブラック・黒」と表現する。
 時代とともに色の持つチカラは変化している。
 中世以降の古地図においては色彩が記号としての役割を果たしていた。明治の土地台帳にも反映され字限面でも、道は赤き筋、川はあおき筋であり、国土調査による集成図でも踏襲されている。いわゆる「赤線」、「青線」といわれる法定外公共物(長狭物)のことである。地図に必要な重要要素は境界である。慶長時代ころまでの国境・郡境の色は紫色であった。境界は聖断による境であり、聖性を帯びた国家的な意味合いからふさわしい色として紫が使われていたが、江戸期以降は黒に転換された。天皇から幕府への権威の移管である。それ以降の国家的な絵図における郡境の色彩として使われることから古地図の制作年代を判断する目安となる。
 「黒」は武士社会を象徴する色でもある。
 
▼「烏」の地名 
 烏(からす)を英語ではクロウ(crow)、もちろん色名としては黒のこと。ところがもっと古く、1600年頃からレイヴンという黒の色名が知られていて、こちらは大型の渡り鳥のことをいう。漢字で鴉と書くのがレイヴンのことらしい。烏はありふれた鳥だが、黒い姿はどうしても不気味に思われるようで、色々な民族伝説で予兆を告げる鳥とされ、西洋では不幸の前兆とされているようだ(色の名前)。
 日本サッカー代表のエンブレムで有名になった「八咫烏」。神武天皇を熊野から橿原まで道案内した三本足の烏は熊野のシンボルでもある。熊野神社の御師が全国を廻って授ける牛王宝印にはカラスが描かれている。水先案内としての烏のチカラを信仰したものだろう。三本の足は朝日と昼の光、夕日を表わし、行き先を照らし勝利へ導く象徴としてエンブレムに採用された。上山郷の郷社は熊野神社であるから烏は中世以前から関係があり、地名にもつけられたのだろう。
 烏(カラス)の字をあてる地名は四万十町内にも結構多い。旧十和村の古城も昭和の合併時までは烏といわれていた。今でも流域に流れる川は烏川である。字名には、烏田谷(金上野)、烏松(希ノ川)、烏田(大井川)、カラスデ(古城)がある。この金上野の字・烏田も長宗我部地検帳を見れば「カラステ道懸テ二ケ所」「カラステノ谷」とある。また、四万十川の支流の一つに津野町を流れる烏出川もある。
 
▼土地台帳の「白地名・黒地名」
 土地台帳にみられる「白・黒」関連の字は次のとおりである。
「白」:色彩の白をイメージした地名
 白土(窪川)、白畝(東大奈路)、白屋敷(影野)、白ヒゲ(向川)、目白谷(大正)、白ヘビ田(弘瀬)、白岩山(戸川)
「白皇」:白皇信仰の地名
 白皇山(宮内)、白皇(口神ノ川)、白王(中神ノ川)、白皇ノ前(志和分)、白皇(米奥)、白皇(窪川中津川)、白王ヶ原(床鍋)、白王山(数神)、白皇谷(上宮)、白皇神田(小野)、白皇(十川)、白皇(戸川)、白王谷(古城)、白王ノコヱ(井﨑)
「シロ」:シロには「田の代(シロ)」、「城(シロ)」などあるが、不明なものを拾った。
 シロハナ(米奥)、ヤカシロ(日野地)、シロベト山(市生原)、シロツイ(平野)、ヤカシロ(弘瀬)、トヲシロ(烏手)、ヲトシロ(古城)
「黒」:色彩の黒をイメージした地名
 黒岩(窪川)、黒岩(金上野)、黒岩(東川角)、黒駄場(東川角)、黒場(東川角)、黒原山(宮内)、中黒井ノ上(中神ノ川)、黒尾ダバ(中神ノ川)、黒岩(南川口)、黒才能(志和分)、黒土ノ窪(作屋)、黒平才能(米奥)、黒岩(窪川中津川)、黒ノ鼻山(上秋丸)、黒谷(奥呉地)、黒竹藪(魚ノ川)、石黒ノ本(六反地)、黒石谷(仁井田)、黒ヶ谷(平串)、黒石(黒石)、黒岩(本堂)、黒岩(八千数)、黒瀬(藤ノ川)、黒瀬(数神)、黒岩(奈路)、黒岩(道徳)、黒岩(志和)、黒尾(打井川)、黒竹(上宮)、黒谷(上宮)、黒田(烏手)、黒岩(相去)、黒見山(相去)、黒岩山(木屋ヶ内)、黒松尾(下津井)、黒ヶ子(十和川口)、
「クロ」
 クロヲ谷(米奥)、クロハザ(壱斗俵)、クロハナ(奥呉地)、クロタ(弘見)、クロノ岡(飯ノ川)、クロノクボ(飯ノ川)、クロイシ(瀬里)、クロバイ(大道)、クロタキ(古城)