よくある地名の語源 「き」

きじ(木地)【】 

 橋本鉄男『木地屋の移住史』は「木地屋」と呼び、杉本壽は「木地師」と呼ぶ。

 『木地屋の移住史』に「木地屋は山の木を伐り轆轤を使って、椀、膳、盆などの木器をつくる職人」で行者・山伏・御師・比丘尼・座頭・ごぜ・猿回し・鍛冶・たたら師・またぎ・さんか・博労などとともに「木地屋」が記されている。いずれも特殊な技術を持ち、土地への依存度が低く山野に仮泊して移動する「あるき筋」であった。この『木地屋の移住史』は橋本鉄男が、近江小椋庄六ヶ畑の小椋谷の「君ヶ畑」の「氏子狩帳」五十一冊の簿冊群をまとめたもの。木地屋のルーツは同じ小椋谷にもう一つ「蛭谷筒井公文所」の「氏子狩帳」」三十二冊がある。「君ヶ畑」と「蛭谷」のどちらも小野宮惟喬親王を祭祀する神社がある。この二つの木地屋集団の総元締が全国にちらばる神社の氏子=木地屋を定期的に歴訪した記録が「氏子狩」簿冊群。高知県で最初に記録されているのが「君ヶ畑」分では宝暦六年(1756)「土州桑野川山木地屋(本山町瓜生野?)」他4か所(韮生郷・森郷・本山郷)と四国山地の奥山

 杉本壽は「木地師村落では①小椋・小倉・大蔵・大倉・巨椋・宮本・筒井・藤原の氏を名乗り②囲炉裏に三本脚を使用し③村落の川下に八幡宮という氏神を祀っているのが特徴」とある。高知県で「筒井」といえばいの町(吾北)か土佐町。いずれも土佐の奥山、木地屋の景観がうかぶ。

 柳田国男は「山民は山の神を祭るが木地師が祀る山の神は”夫婦神”」という。どうしてかは分からないが、県下の夫婦岩・夫婦石を探してみたら小字71か所があった。

 高知県の「木地」小字が48か所あるが、木地屋が20か所、木地屋敷が10か所、木地小屋が8か所、木地が10か所。比定されるホノギは6か所で、うちキチヤ3か所、キチヤシキ2か所、キチ1か所あり、高知県では中世以前から「木地屋」と呼ばれていたようだ。

 

きたのかわ(北の川)【昭和地区の集落・組】 

 昭和地区内の四万十川上流域、四万十川第1支川北の川(右岸流)の流域集落。高幡消防組合四万十清流署西分署がある。 

 

きど(木戸・城戸)【】  

 「木戸銭」は劇場などの出入口で払う入場料。また近世の町筋には「木戸番」が設けられ夜間締め切られた。ある意味で内外の堺を意味する言葉であり、防御を示す柵でもり、城門、城も意味する。

 県下に「木戸・城戸」の小字が104か所。『高知県方言辞典』は門外、おもてをキドという。

 安芸市土居の「西木戸」は安芸土居の西側にあり西の城門と理解するが、県内の「キド」小字69か所が全て城郭地名だとも思わない。小字には「馬木戸」8、「牛キド」7と、牛馬の放牧場(キ=柵)を意味するものもある。外城戸・時戸をトキドと読む小字が9か所、キトウラも8か所ある。

 

きびじり(キビジリ)【各地】

 焼畑地名の一つ。シリは土佐では畑の意味。アサジリ、イモジリ、ヒエジリ、ゴマジリとシリの前に作物などが冠せられる。

 四万十市西土佐口屋内の農家レストラン「しゃえんじり」は有名。 焼畑地名の詳細は →地名のお話→地名文化財「焼畑」

 

きり(切・キレ)【大切(窪川)、壱町切(口神ノ川)、下タ切(仁井田)、久保切(窪川中津川)、源八切(上秋丸)、下切(藤ノ川)、堀切(地吉)】〔高知県中西部に多い〕 

 キレ(切)は、地形が区画区分された状態で①田の区画②山の鞍部、谷間などの切れ目をさす意がある。圃場整備が進んだ今は「三反切」と呼ばれるセマチが多い。四万十町の窪川地域に「大切」の字が11カ所あるのもうなずける。

 四万十市の中村高校の寮付近に「耳切」の地名がある。耳が切れるくらい北風が寒いところと聞いたがどうだろうか。隠語辞典には土蔵をの窓を破って入る盗人を「耳切」というそうだ。 

 キリ(切)は、切り開いた地・開墾地をさし、アキキリと焼畑地名と思える地名もある。秋切、夏焼といったとこか。「源八切」と名前の後に切が付くのは「○○作」と同じで焼畑地名であろう。

 

きりたてやま(霧立山)【下津井△梼原町△愛媛県鬼北町/標高1096.6m】

 

ぎょうじだ(行司田)【】 

 高知県に「ギョウジ」小字が12か所。行司田とあることから神社の年中行事に充てる神田と思っていたら「江戸時代の土佐(中部)の祭礼には”ギョウジ(行司・行事)”と呼ばれる、神が乗り移るとされた男の子の役があった」とある。須崎・鳴無神社(おとなしじんじゃ)では男の子のギョウジと女の子のイタジョがセットとなっている。

鳴無神社の秋の大祭「チリヘッポ」(「神の子の結婚式」・行児(ぎょうじ)・斎女(いたじょ)・御波計(おはけ)・)

https://www.nippon-matsuri.net/report/tiri/

『高知県神社明細帳』の全部は読めてないが、鳴無神社(須崎市)には「ギヤウジ板女装束御仕也成‥布狩衣烏帽子拾二人揃・・・」とあり、朝峯神社には「此女ヲいた志”(ジョ)やらト唱フ・・」とありその次に「神主幷行司両人・・・」とある。はたしてギョウジは男児なのか?装束は相撲の行司だが。吉村淑甫は『高知県歴史辞典』の行子殿(ぎょうじどの)の語釈で「行子が男児、イタジョが女児」と述べるが、ギョウジが男児とした根拠となる文書や祭礼の時代を示していない。大人ではないかの疑問から『南路志』など拾い読みしたら、行司=大人のイメージがする。

 柳田国男『巫女考』に「土佐国諸社の祭に、十歳より十二三歳迄の童女を二人、(略)祭りの朝白粉を附け明衣を飾り、(略)馬に乗せて前行す。之を名づけて行事と云ふ(略)他国には未だ聞かざる」と土佐國群書類従第五十九を引用する。加えて「人身御供の遺風」であり、寄坐(ヨリマシ)の姿という

 

きょうづか(経塚・京塚・丁塚・塩塚)〔室戸市椎名経塚、安芸市大井キヨツカ、香南市上夜須京塚、南国市東崎チョウ塚、仁淀川町岩柄キヨツカ、須崎市土崎塩塚、宿毛市小筑紫町小筑紫清塚ほか〕  

 畑中章宏の『災害と妖怪』に、柳田国男の遠野物語にある「ジョウヅカ森」という不地震地を紹介し、続いて遠野在住の人類学者・伊能嘉矩(1867-1925)が示した遠野の糠森・地森・行灯森・経塚森・ショウヅカ森・経塚などの「不地震地」12か所を列挙している。「不地震地」とは、地震のときにも揺れることがなく、そこに逃げ込むようにすすめられている伝承地のこと。地震や津波の痕跡を地名として歴史に刻んだところは各地にたくさんあるが「不地震地」の記録があることを初めて知った。伊能は不地震地の多くに共通する特徴として「墳丘の特質を持つこと」「岩石の存在が認められる」と指摘している。地震のときに「キヨツカキヨツカ」と唱えれば地震がやんだり家の崩壊が免れるという言い伝えがあるという。「キヨツカ」や「ジョウヅカ森」は「経塚」が転訛したものと思われる。

 経塚は、経文を経筒・経箱に入れて埋めた塚のことで、平安時代に盛んとなり、寺院、神社の境内地あるいは霊地の眺望のよい丘陵に設営された。六十六部や聖、修験者など多様な修行僧が全国を巡礼し経筒などを埋めていった。

驚くことに「経塚古墳」が全国に分布し、調べただけでも28か所あった。「経塚古墳」の名称が多いのは古墳が浸食にもなお残った強固な地盤に石で設えられていることから、後年経塚として再利用したものと思われる。その経塚が中世のホノギ、近代の字名称となり、古墳発掘の際に、その小字名を古墳名称にしたことから「経塚古墳」が全国に分布するに至ったものだろう。

Googleマップ<経塚という古墳群>で全国の経塚古墳の分布を示してみた。

https://www.google.com/maps/@35.2240918,133.3636339,610531m/data=!3m2!1e3!4b1!4m2!6m1!1s1-0pGZkNUVyOGMGnhl3gV36_iMbAVx5Q?hl=ja

 高知県内に経塚及びその転訛と思われる小字が40ヶ所みえる。高知県文化財地図情報の古墳・遺跡と突合したが「不地震地」といえる経塚古墳は発見できず、その多くは修行僧が全国を巡礼し経筒などを埋めた「経塚」と思われる

  古墳と関連すると思われるのは大木戸経塚(安芸郡安田町東島大木戸/大木戸経塚付近に県内では最も東となる大木戸古墳群がある)のみである。「不地震地」との関連は現地で後日調査

 

きょうでん(京田・経田)【六反地】

 山口彌一郎『開拓と地名』は、東北地方の原始の形、開拓の模様、生活のようすを時代の経過により刻まれた地名から読みといていった労作で、全国分布も示しているので、メルクマールとして四万十町のホノギや字に当てて検証することができる。

 全国に分布するが奈良県北部、山形県庄内平野に多くある。庄内平野では土地の高さから「京田」、「興屋(コウヤ)」、「新田(シンデン)」とある。山口氏は、京田は、興屋以前の開墾集落で慶長年間より古い開発地名という。

 県内に「キョウデン」の小字が32か所。寺院の仏供田と思っていたら『民俗地名語彙辞典』は「奈良に京田が36,庄内平野に14。庄内平野では、土地の高さから京田、興屋、新田はそれぞれ開墾の時代が違う」とある。

 柳田国男『地名の研究』は「京丸」について「京夫とは京へ行くべき人夫ということである。丸は雑色などの名に常に用いられる語であれば、京丸という地は、たぶん京行きの夫役を、世襲的に勤めていた者の屋敷給田」と述べる。高知県に京丸・京夫の小字はないが「京田」20か所。京夫の給地か。ただ柳田は別の書で「京田は京都の資本が入って開墾した土地」とも述べる。

 県内に土佐山田京田の大字、小字はキョウデン32(京田20・経田10ほか)か所あり県有東部に多い。

 長宗我部地検帳の香美郡岩村郷(香美市土佐山田町京田)に「キヤウテン 経田村」とあるように、京田と経田の交替もあるだろう。仏供田としての「経田」も10か所程度みられる。京への街道筋、付近の寺院分布などで判断となる。

 四万十町内では、長宗我部地検帳のホノギとして「経田江カケテ(黒石)」、「経田ノスソ(香月が丘/東光寺分)」、「仏経田(下津井/西源寺作)」とある。ここは、仏供田の一つと見た方がいいのか。

 

きょうぶ(刑部)【】 

 律令制の八つの中央官庁の一つに「刑部(ぎょうぶ)省」がある。その職位に由来するのか県内の小字に刑部地名が19か所あり、多くのホノギも比定される中世以前の地名である。罪人の処罰もなどのを管掌することから土佐への流人の監視にあたったのか。他の省では治部が14か所、兵部が8か所。

 

(20251219現在)


ちめい

■語源

 

■四万十町の採取地

 

 

■町外の採取地