「う」の意味

【民俗地名語彙辞典】(松永美吉1994三一書房)

 

【地名用語語源辞典】(楠原佑介1983東京堂出版)

[宇、羽、卯、鵜、有、上] ①接頭語。オホ(大)、ヲ(小)、ウエ(上)などの転約 ②ウン(温)で温泉に関連 ③鳥類の鵜 ④動物の兎 ⑤十二支の卯。東の方向。卯の日。卯の刻(午前6時)

【全訳読解古語辞典】(外山映次2007三省堂)

う【宇】[接尾] 軒・屋根をあらわす「宇」から、建物を数える語

う【卯】[名] ①十二支の4番目 ②方角の名。東 ③時刻の名。今の午前6時、及びその前後2時間

う【鵜】[名] 水鳥の名。海岸や河川・湖沼にすみ、水に潜って魚をとる。

【高知県方言辞典】(土居重歳・浜田数義1985高知市文化振興事業団)

うーん ①[幼]大便 ②幼児を抱えて大便をさせるときの発語 ③いいえ 

うっ 強調の接頭語。後に続く動詞を強調形にする。「うと」も同じ。 

【日本語オノマトペ辞典】(小野正弘2007小学館)

うかうか 注意が不足しているさま

うきうき 心の弾むさま。晴れやかなさま

うじうじ 勇気がなかったり、具合のわるいことがあったりして、しなければならないと知りつつためらっているさま

うじゃうじゃ たくさん集まってこまかく動き続けるさま。うようよ

うずうず 虫などが気味悪くこまかく動き続けるさま

うだうだ 際限もなく、あれこれと言い訳や愚痴を言い続けるさま

うつらうつら よく見えたり見えなかったりし続けるさま

うと ぼんやりと意識が遠くなるようす。うっとり。うとうと

※春うらら。揺籃のまどろみといった流れを感じる。「う」は不安定気持ちのありよう、目標の定まらない動き?

うとうと 眠気をもよおすさま

うろうろ どうしたらよいかわからないまま、あたりを動き回るさま 

【川をなぜカワというかー日本語生成原理の発見】(渡部正理1999新人物往来社)

 

※これについては本文参照(渡部正理著)→ホームページ「日本語の起源」

鈴木健次のホームページ

 

 

よくある地名の語源 「う」

(20251220現在)

うい(ウイ・ウ井・生・上)【】 

 安芸郡北川村の地形図に、「釈迦ヶ生(うえ)・久江ノ上、宗ノ上・三子生・田ノ上・・」と「〇〇生(上)」地名が多い。方向地名の「〇ノ上」でもなく、色々な漢字が当てられているが「ウイ」の音に集落を意味しているように思える。

 『綜合日本民俗語彙』では「ウイ:和歌山県熊野地方で山合の田地をいう。村の名の長追、神上のオイもウエもともにこのウイだという説が”続風土記”」とある。長宗我部地検帳では「〇〇ウ井」とあり、ウイの音がウエに転訛したのか。高知県中東部の山間部に広く分布し、県西部にもある。

 四万十市西土佐「長生(ながおい)」、いの町 「中追(なかおい)」などのオイ(生・追)もウイの転訛ではなかろうか。

 高知県下に「〇ウイ・〇宇井・〇ノ生・〇ノ上」の小字が52か所見える。

うし(牛)【】 

 牛は、支配階層に利用される馬に比べ、農耕・運搬など多目的家畜として基層社会に広まった。それゆえか馬に比べ文献記録が少ない。そのために土俗的な「牛」地名や「牛」方言から牛の伝播や牛と人間の関係を研究した著書もある。

 高知県では雄牛を「オモジ」「コットイ」と呼んだが、『日本言語地図』では「KOTTOI・ON'USI]」が主で愛媛県境(南西部)に「OMOZI」が見られる。高知県の小字でみると「オモジ」7(県中部山間部)、「コットイ」6(県西部)。

『高知県方言辞典』

雄牛:おも-じ(全県域)。オモジカキ(耕耘の司令官)」が牛馬を使う。「へいしょ」は左廻りの号令、「そい」が右廻りの号令。

牝牛:かと(鏡・窪川・宿毛)

牝牛:かとーじ(高岡・梼原)

牝牛:うなめ(田野・香北・物部・大豊・本山)

牝牛:おなめ(香北・物部・大豊)

牝牛:こっとい(東洋・田野・吉川・香北・物部・大豊・本山・鏡・高岡・池川・梼原・中土佐・窪川・大正・佐賀・大方・中村・三原・土佐清水・宿毛・沖ノ島)

雄雌牛:べろこ(物部・大豊・清水)

牛の子:べらべら・べろべろ(幡多)

牛の子:べるこ(大豊)

牛の子:べろ(香北・物部・三原・土佐清水) 

 今でこそ「肉」といえば、牛・豚・鶏だが、昔はそうでもなさそうだ。土佐町瀬戸、いの町葛原、仁淀川町森山・名野川・大西・椿山に「ニクダキ」地名がある。いずれも高知の山深い奥山だ。福井勝義『焼畑のむら』に「昔ニクを追うたら、大きなタキをこけてとれる」とあり、ニクというのはイノシシではなく、四国の中央山地ではカモシカのことだという。

うしおに(牛鬼)【】 

  あまたの鬼のなかでも身近なのが「牛鬼」。四万十町大正の熊野神社や下津井の仁井田神社などは秋の大祭に牛鬼が集落を練り歩く。南予文化の影響が強いこの地域の牛鬼は、頭が鬼で長い首を持ち5m位の胴体が牛のかたちだ。香南市夜須町の「牛鬼退治」や高知市土佐山「牛鬼淵」とはちょっと違う。

 宇和島地方の「山伏の鬼退治」の話では人畜を害する牛鬼退治に出かけた山伏が河辺町(大洲市河辺町)で見つけ退治。斬り分けると血は七日七夜ながれ淵となった。それが土佐山の牛鬼淵、徳島県牟岐町の白木山の牛鬼淵、香川県根香寺の牛鬼といわれる。根香寺には牛鬼の角が2本ある。

 高知の昔ばなしでは、この高知市土佐山「牛鬼淵(こけ淵)」のほか、香南市夜須町の「牛鬼退治」と芸西村の「牛鬼の出る里」がある。県内の「牛鬼」小字は越知町南片岡の牛鬼ヶ淵、佐川町二ツ野の牛鬼ヶ淵の2か所だけ。ただ「牛首」小字が28か所、牛の古語ビヤ、転訛ミヤ(宮)を含めると113か所。

 柳田国男『山島民譚集』に「牛首ハ即チ牛絞(ウシクビリ)ノ転訛ニシテ、”クビル”トハ繋グト云フ方言ナラン」とある。高知の方言でも結ぶ・くくることをクビルというが、県下に多い「牛首」小字が牛を繋ぐ場所を示すものとは思えない。本間雅彦『牛のきた道』は牛の古称「ビヤ」と焼畑跡地を示す「クビタ」の合成語と地名考証する。

うしくび(牛首)【】  

 牛首地名は全国区。『地名用語語源辞典』は①牛の首状の「狭長な尾根」[鏡味]②牛の頭と首に見立てた地名かとある。

 松尾俊郎『地名の探求』は「牛の首のように両方が高くて中の峠の個所が低くなった形容」とあるが意味不明。 高知県の小字では牛首24か所あるが馬首は1か所のみ。

 柳田国男『山島民譚集』の河童駒引の段に「牛首ハ即チ牛絞(ウシクビリ)ノ転訛ニシテ、「クビル」トハ繋グト云フ方言ナラン。牛クビリ淵ト云フ地名モ亦多シ」と述べ、こで牛馬を川端にクビリ(高知方言。結ぶこと)河童の災難除けをする南国市稲生の「野牧」を紹介する。柳田に疑問なのはクビルより牛の首が要点なのでは?

 雨乞い儀礼として牛を殺し神に捧げる殺牛儀礼は各地にあり、牛の首を投げ入れるのは淵や滝で、祭場には牛頭天王を祀る。筒井功『殺牛・殺馬の民俗学』は和歌山県白浜町庄川の牛首を捧げる雨乞いを南方熊楠も記録する明治16年・明治44年・大正2年の3例を紹介。ただ牛首地名については説明がない。投げ入れる「牛淵」地名も各地にある。牛の首はどの部位か、牛の頭ではいけないのか、一緒に暮らす牛がなぜ生贄になるのか。筒井功『殺牛・殺馬の民俗学』は高知市土佐山平石の牛鬼伝説を紹介。「牛鬼淵」に住む龍を怒らした男が「牛をやるけん」と許しを請い約束を守って淵へ牛を投げ込んだところ龍の頭にあたって大雨となったという話。県下に牛渕の小字はないが、牛鬼淵2、馬淵3、牛落6か所ある。

 中山道の贄川宿から辰野に越える近道となる旧街道「牛首峠」は、主人を失って荒牛となった牛の首を葬ったという由来。どちらかといえば牛が首を伸ばしたような長くて低い稜線といった地形地名のようだ。福岡県大野城市の「牛頸」も同様である。牛頭天王に由来するのが石川県白山市白峰の旧牛首村(牛首紬で有名)。白山信仰の拠点となる三馬場の一つが越前側の牛首村(白峰)で、「牛」という文字は牛頭天王を表し、「首」という文字は拠点を表す。つまり、牛首とは白山信仰にとって大切な場所であるという意味という。首(おびと)は、古代のカバネのひとつで勢力者の尊称。『古事記』にも「宮之首」とある。生物の首(くび)は、頭部とそれ以外の部分を隔てている部分だが、首も頭もコウベと読むことから頭に含まれるのだろう。この名残りか、自治体のトップを首長と呼ぶ。宮も滝=水神も森林=山神も聖地だ。

 千葉徳爾『新考山の人生』に「牛首乞食(牛首者)」として、白山麓の牛首村など焼畑で自給できない食糧を補うため善光寺詣として平坦地に冬季物乞いにでる慣行を紹介する。山の暮らしでも四国『寺川郷談』は貧しくとも自由な暮らしがある。ここ寺川に初めて牛が来たのが明治35年だという。

 宮本常一『忘れられた日本人』の土佐寺川夜話に「この地に牛が来たのは明治35年。牛を見た老婆が”この馬には角がある”と言ったので、”いやこれは牛というものだ”と教えると”牛にしても角がある”と言ったという」とある。カッタイ道や獣道はあっても牛馬は通れない吉野川源流・寺川だが貧しくても豊か。

 本間雅彦『牛のきた道』は、全国の「牛地名」を拾い牛の足跡を記録している。牛に関する語彙は方言・博労用語が112語、馬の関連語彙は25語。馬は表層社会の象徴であり、牛は、卑賤視されるが生活や生業にとけ込んだ親密度は牛が高く土俗的な語彙、地名として多く刻まれていると指摘する。全国に刻まれた「牛」地名を”土俗的”に調べたのが本間である。首は身体的、地形的な首でなく、「クビタ」は焼畑地名跡と推考。牛の古名「ビヤ」に関連した琵琶首・枇杷首5か所やビヤがミヤに転訛したミヤクビ86か所を含め111か所。牛首が111か所あるが馬首は1カ所もみあたらない。「宮首」が神社の周辺にある場合もあるが一部で関連性は薄い。検地者がビヤクビをミヤクビと記録したのかもしれない。その事例として、いの町成山の「宮首」を地検帳では「ビヤクビ」に比定でき、相互交替があったのだろう。本間雅彦は、ミヤクビ・ハエクビを含め牛と焼畑農業の関係を指摘する。高知のウシクビ(牛首・枇杷首)地名も精査している。

 高知のビヤクビなど拾うとビヤクビ/安芸市井ノ口 ビヤクボ/土佐清水市爪白(ホノギはヒヤクヒ) ビヤンクビ/宿毛市小筑紫町伊与野 宮首ノ平/いの町成山(ホノギはビヤクビ) ビヤノコウ/安芸市井ノ口(ホノギはヒワノコウ) ビヤノクシ/大月町春遠(ホノギはヒハノクシ)宮ノ首/高知市領家(ホノギはミヤノクヒ) 他85 ハエクビ/芸西村久重 他林・生・灰・早含め37 樽首ビ/高知市土佐山高川(ホノギは滝クビ) 他19 カマノクビ/安芸市安芸ノ川 他釜・鎌・竃含め17 大首/四万十町大井川(ホノギは尾クビ) 他9 フチクビ/梼原町中平 他6 畝首/安芸市穴内 他5。柳田国男は「地名が漢字化したことで地名研究を難しくしている」と述べる。ウシクビ地名も牛首・丑首・枇杷首・琵琶首・宮首の漢字化により意味が大きく変化する。ウシ・ビヤ地名にしてもクビ地名にしても全国の民俗語彙の事例、高知県内の分布から解釈しなければならない。牛首は好事例だ。

 また、四国東部では牛神のことを「ノツゴ」と呼ぶが、高知県下にも60か所の小字がある。この”土俗的な地名”語彙を解説したのが『綜合日本民俗語彙』。その序として柳田国男は「日本の方言というものは、(略)まるっきり存在すらも認められないような言葉が、まだたくさんあるということが地名の研究によって初めて分ったのであります」と述べる。

  

うすき(薄木・臼木・臼杵)【臼杵(秋丸)、ウスキ山(市ノ又・芳川)、薄木(大正中津川)、ウスギ(下津井・久保川)、ウスキ谷(広瀬)】

 四国地方では用材としては下等品となる薪や薪炭林を「浅木(あさぎ)」(フシの多い雑木)と呼んだ。

 『民俗地名語彙辞典』にウス(薄)はアサと同根の語。臼の字を宛てる例が多いとある。「臼谷」は字義通りに解すれば、臼の形をした谷となるが、これらの多くは「浅谷」の意である。背後の谷沢が浅く、あまり奥深くないところからの命名。馬蹄形にえぐられた沢で臼形からきたのもある。「ウスは、アサの母音交替」とあるように高知県内の小字に浅木は少なく薄木が多い。浅木が全国分布、薄木は周辺分布から「方言周圏論」の一つか。その薄木も今は日常会話では使われない。

 高知県方言辞典にはアサギについて「木質のやわらかな雑木。桧松杉などの針葉樹以外の雑木であれば、たきものとして扱う場合はすべてアサギである」とあるが、ウスキの項はみあたらない。

 四万十町の字に「アサキ」は見あたらないが「ウスキ」は多くの例があり、不思議である。「アサ・オソが全国的に分布するのに対し、ウスは周辺部に多いのが注目される」と吉田茂樹氏は述べているが方言周囲論から判断すべきか。 

 十川地区に横臼集落がある。長宗我部地検帳には「ヨコウス木」とあることからヨコ・ウスキを短縮してヨコウスを呼ばれるようになったのかもしれない。

 高知県の字一覧では、アザギ(四万十市大用など)は3例。ウスキ(香美市香北町日浦込・大豊町東豊永西川・須崎市浦ノ内西分・津野町上半山赤木・四万十市古尾・大月町口目塚・土佐清水市下益野・土佐清水市宗呂)、薄木(大豊町西豊永佐賀山・越知町佐之国・須崎市浦ノ内出見)、臼木(津野町北川・四万十市伊才原・四万十市西土佐長生)、臼杵(香美市物部町中谷川)と70例(四万十町含む)ある。 

うだのまつばら(宇多の松原)【】

 柳田国男『地名と地理』は、沼地・湿地を意味している地形語に東北地方では「ヤチ」だが「九州ではムダ、東に向かってくるとその語音は変化して、長門ではウダ、土佐でもウダ、京都の近くにも宇多」と述べるが疑問。高知県で沼地・湿地はヌタ。ウダ地名は聞いたこともない。続けて「地名の地方的特徴を表に」としてここでは「九州のムダと近畿・中国・四国のウダと、関東のヌタ」と述べ、有名な『蝸牛考』でも「湿地を意味する所の九州のムダ、それと接続して居る日本海側のウダ。ニタ又はヌタという東国の方言」とある。『地名の研究』『蝸牛考』の大先生の発言の影響は大きい。九州の大牟田など「牟田・無田・六田」地名は九州に集中分布しており沼地・湿地を意味とわかる。

 柳田のいう「土佐のウダ」は、大字になく、集落名になく、小字一つもない。あるのは『土佐日記』に記される「宇多の松原」だけだ。それも場所の特定はできず、宇多天皇を慕っての命名との説もある。東に向かうとムダの語音が変化し「武蔵・甲斐ではヌタ」というが、ヌタは全国地名で高知県では「汢(ぬた)」、山梨県では「垈(ぬた)」の方言漢字もでてくる。県内の「ヌタ」地名は、大字で大豊町怒田、集落地名では香美市の奴田、四万十町の汢の川落、日高村の赤汢。小字は403か所もある。高知県の「ヌタ」小字403か所をみると。その接尾語で多いのは、ヌタ窪37、ヌタ山28、ヌタ畝26、ヌタ坪26,ヌタ尾25、ヌタ佐古22、ヌタ峠19、ヌタ奈路10。どれも猪のヌタ場(猪の寄生虫などを落とすための泥を浴びる場所)の所在地の地形が多い。また土佐料理で独特のヌタ(葉にんにく・白味噌・ゆず酢・砂糖などを混ぜ合わせたタレ)も。

 桂井和雄『土佐の地名』は『土佐日記』の千年の昔の土佐東海岸の地名をいくつか記録しているとして「宇多の松原」をあげ、「岸本(香南市香我美町岸本)あたりにわずかにその面影を想像するばかりであるが、この宇多というのは海浜にある地名として諸国に多い」として『分類漁村語彙』を紹介する。

 『土佐日記』の航海記は、大湊をでて奈半の泊へむかう途中「かくて、宇多の松原を行きすぐ。その松のかず幾許、幾千歳経たりと知らず。ものごとに波打ち寄せ、枝ごとに鶴ぞ飛びかよふ」と幾千年の海浜の歴史を松と鶴で寿ぐ。

 松岡正剛の千夜千冊は「『土佐日記』とは、日本語計画の装置」と断定。とすれば宇多天皇をリスペクトした隠し文字か。高知の酒・土佐鶴のCM♬「土佐じゃ土佐鶴朝日に向いて 宇多の松原鶴が舞う」で有名になった。かくも有名な地名「宇多」は比定されていない。「宇多の松原」は、物部川河口から手結岬までのどこかに地名として刻まれているという。ウダは室戸市佐喜浜に「宇田」の小字が1か所あるだけ。柳田国男が湿地の地形語として「東北の”ヤチ”、九州の”ムダ、土佐の”ウダ”と」と紹介するが「ヌタ」の間違いだろう。通説では野市町兎田(うさいだ)説だか宇多天皇説が今風ではないか。

 「ウダは主として海岸浜続き、又は崎と崎との間のような形」と山口弥一郎『開拓と地名』。九州の「ムタ」、中国・近畿地方の「ウダ」ともに代表的な湿地地名と述べる。この宇多の松原の比定候補地「兎田」に冨家の湿地地名も見られる。

 

うつけやぶ(ウツケヤブ・ウツゲヤブ・宇津計籔・宇津ガ藪)【魚ノ川】

 魚ノ川の字名のウツケヤブは土佐州郡志(1704-1711/刊本下p288)の奥呉地村の段に山川として「宇津計籔」を記してある。

 地名用語語源辞典にはウツ(内、打、洞、現、移、宇都、宇津)①ウチ(内)の転。入り込んだ地形。山谷の小平地。血族的集団を意味する氏と同源語。②ウチ(打)で崖などの切り取られたような地形③鹿、猪などの通る道(奈良吉野ほか方言) ④ウツ(空、洞)で空洞の意味。地溝状の狭い谷に命名されることが多い。ウト、ウトウに同じ。と書かれてある。また同書にヤブ(藪、養父、八夫、屋部、養母)とは①低木、竹などが生い茂っている所②藪神(由緒が分からなくなった屋敷神)にちなむ③焼畑④動詞ヤブル(破)と関連し、崩壊しやすい傾斜面を示すと書かれてある。

 高知県方言辞典で『やぶ』について「山の草木を刈り倒し、焼いて作物をつくるところ。焼畑(東津野・梼原・宿毛)」とあることから、魚ノ川のウツゲヤブは、音節をウツ(打)・ゲ(ヶ・接続詞)・ヤブ(藪、焼畑)の3音節に区分して解釈すれば、切り取られたような傾斜地で焼畑をしたところとなるか。

 岡村憲治『西南の地名p57』に葉山村の宇津ガ藪について「宇津は、打や内と同じ地形である。その谷の深いところ」とある。

 県内には、香美市香北町大井平、佐川町乙、津野町黒川、四万十市板ノ川に字名としてある。

 

うつしり(ウツシリ・ウズシリ・宇津尻・渦尻)【高知県内各地にある字・ホノギ】

 高知県内各地にある地名。ウツシリ(宇津尻)が42か所、ウズシリ(渦尻)が8か所あることから「ウツシリ」の項に入れる。

 西土佐の口屋内に「菜園畑(しゃえんじり)」という人気の農家レストランがある。庭先にある自家消費用の野菜を作る畑を土佐方言で「シャエンジリ」と呼ぶ。「シリ」は作物を育てる「畑」のことという。確かに「尻」地名(高知県内に748か所の分布)は、その多くは語尾に振られ語頭にはキビ・アワ・ヒエ・イモなどの作物が付される場合が多い。高知県内の小字で胡麻尻(ゴマジリ)30か所、稗尻(ヒエジリ)20か所、黍尻(キビジリ)17か所、芋尻(イモジリ)14か所、粟尻(アワジリ)12か所、木綿尻(モメンジリ)10か所、帯刀尻(タイトウシリ)9か所、牛蒡尻(ゴボウジリ)6か所となっている。豆類は種類が多く、帯刀尻(タイトウシリ)の他、小豆尻(アズキジリ)6か所、大角豆尻(ササゲジリ)5か所、春豆尻(ハルマメジリ)3か所、大豆尻(ダイズシリ)2か所となっている。

 また、谷尻(タニジリ)42か所、井尻(イノシリ)35か所、池尻(イケジリ)32か所、川尻(カワジリ)18か所、江尻(エジリ)14か所、泉尻(イズミシリ)4か所など水関連を語頭に付ける地名も多いことからウズシリ(渦尻)8か所もこれに分類されるかもしれない

 モノの最後や末端を意味する「尻」であるが、命名の意図は何なのか。どうも地形地名のように思える。

 扇状地は川谷が山地から低地に向かって扇状に開く河川によってつくられた堆積地形で、扇状地の伏流水は扇端に泉となって湧出することから集落が形成され有利な水利により田畑が早くから開発されてきた。その意味からも「尻」は扇状地の「扇端」をさし水利の良さや作付けに最適な雑穀類を地形地名である「尻」に冠してきたのではないか。

 本来なら「ウツ」は、ウト、ウドなどとともに小谷の急な窪地、穴の形状からつけられた地形地名で、狭隘な小谷の窪地に設えた畑の意味と考えられるが、高知県では草木の繁茂しているところを方言で「ウズソ」(民俗地名語彙辞典)ということから、ウズソのシリ、これが転訛してウズシリとなったようにも思える。作物名を冠する「シリ(尻)」地名だが、あえて不毛地を特定して「ウズシリ」と名づけたのか。高知県内の50か所のウツシリ・ウズシリを現地確認すれば見えてくるだろう。

 

うのたに(宇の谷)【見付】 

 

うばがふところ(姥ヶ懐・姥ガ懐・乳母ガフツクロ)★【魚の川、日野地、大正中津川、大井川、古城】

 南に面した日当たりのよい地名。山姥や姥神の伝説地名や中世の葬制地名など多様な由来。姥谷といった姥地名は多い。

 日野地地区の道路わきに「うばがふつくろ(優婆浮図所)」の説明版がある。中世以前の葬送の形としての説明書きである。出典は明示していないが、突然の難解な説明に驚きをもって読んだものだ。  →詳しくは「うばがふところ」をクリック 

 

うま(馬)【】 

 民謡「江差追分」の元 は碓氷峠の馬子衆の労働歌「馬子歌」。馬は輸送の要であり、作業台のウマや木馬(キンマ)や馬力などの用語もある働き者の代名詞。

 県内の「馬」小字が614か所。なかでもで多いのが「馬木」38か所で、県西部に多い。馬の柵(キ)で馬の牧場を表すのだろう。路傍にひっそりと祀られるのは「馬頭観音」だ。

うまき(馬木)【】 

 四万十市藤の後川右岸に「牧」。藤之村地検帳に「馬キ川ノ北地 自是馬キニ移」とあり、享和3年(1803)『仮名付帳』に「むまき」と訓。ウマキは馬を放し飼いにする場所・牧場(まきば)の意という。

 高知県内に「馬木」小字が24カ所。安芸郡、香美郡など県東部には見られない地名。四万十市西土佐口屋内に馬木の小字があるが、地検帳では「ムマキ」と訓む。

うまじ・ばろう(馬路)【】 

 山国土佐では馬借によるモノの運搬が主力で「馬」地名の小字が638か所ある(馬場99、馬路65、馬越45、馬床34、馬木24)。牛地名は少なくて313か所。 『南路志』に石灰製造について「下田村にて製するは馬骨石を焼き風化す」とある。834人の「馬力」をあつめた小さな馬路村は元気がある。今、高知新聞に依光隆明『村を作りかえた男』が連載中。この「ごっくん馬路村」の漢字は「ウマジ」と読むが、馬の往来を示す地名ではなく、谷の最上流部の狭い土地を意味するという(民俗地名語彙辞典)。高知県下にウマジの小字は50か所近くあり、地検帳にも刻まれている。これを「バロウ」と読むと別の意味になる。県下に「馬路谷・バロウ」小字が、香美市物部町庄谷相、高知市鏡大利、いの町清水下分などにある。『民俗地名語彙』には、険しくバラの生える利用価値のない所とある。「馬路」の漢字だけでは理解できない。地名は音(読み)が大事だ。

 

うまやじり(馬屋尻・厩尻)【】  

 ○○尻は、高知県下に702か所の小字が見えるが、①作物+尻271②水利+尻234③地形+尻143が大部分で、理解しずらいのが、この馬屋尻11・牛屋尻1と堂尻42であった。いずれも長宗我部地検帳のホノギにもみられる中世以前の地名である。

 岡本健児『土佐史談160』「地名からみた安芸郡衛」(p35)は、「厩(馬屋)尻」について官衛のある場所には、やや離れたところに”厩ヶ尻”、”厩ノ尻”、”厩尻”なる地名が残っていることを紹介しておこう。土佐国衛の場合の”厩ノ尻”、香美郡の”厩ヶ尻”、吾川郡衛の”厩尻”」などである。これらは官衛付属の厩とも考えられるが、駅家(うまや)跡とも考えられる。筆者が推定する安芸郡衛の場合は、その東方約二キロの場所に”厩尻”なる地名も残っている。」と述べる。

 長宗我部地検帳に「馬ヤノ尻・馬ヤノシリ・馬屋ノ尻」など刊本であたってみた。

 結論を言うと、岡本健児の指摘する「土佐国衛の場合の”厩ノ尻”」についてホノギや小字の特定なしに紹介し、香美郡や吾川郡の場所の史料も明示していない。地検帳におけるほかの「馬ヤジリ」ホノギや小字の表示による悉皆調査もないまま、馬屋尻・厩尻の地名の語彙の説明もなく、国衛・郡衛の所在に関連する地名である旨の説明もない。エビデンスもない乱暴な論述だった。

 ちなみに、長宗我部地検帳には次のとおり27か所の当該ホノギが見られる。小字では11か所ある。

(刊本名・ページ・★比定地・「ホノギ」・村名・(所在地 ※の字名)

安芸郡下p181*「馬ヤノ尻」東岡村(安芸市川北字厩尻)  岡本健児が比定する安芸郡衛

香美郡下p232「馬屋ノシリ」大黒村(香美市土佐山田町岩次) 岡本健児が比定する香美郡衛。

土佐郡上p485*「馬ヤシリ」石立村(高知市城山町字厩尻) 

土佐郡上p530*「馬ヤノシリ」神田村(高知市神田字馬屋ノ尻)

吾川郡上p411*「馬屋ノシリ」行当河内(高知市春野町弘岡上字馬屋尻)

吾川郡上p575「馬ヤノシリ」行当川内(高知市春野町弘岡上)

吾川郡下p170*「馬ヤノシリ」伊野村(いの町伊野字馬屋ノシリ)

吾川郡下p255*「馬ヤノシリ」折垣(いの町伊野字)

高岡郡上①p100「馬ヤノ尻」出見村(須崎市浦ノ内出見)

高岡郡上①p349*「馬屋ノ尻」ソ子村(土佐市蓮池字厩ヶ尻)

高岡郡上①p351「馬ヤノシリ」フチ岩村(土佐市蓮池)

高岡郡上①p434「馬ヤノシリ」四辻村(土佐市波介)

高岡郡上①p576「馬ヤカシリ」神谷村(土佐市甲原)

高岡郡上①p669「馬ヤノシリ」永野村(土佐市永野)

高岡郡上②p280「馬ヤノ尻」入沢村(日高村岩目地)

高岡郡上②p301「馬ヤノシリ」岩目地村(日高村岩目地)

高岡郡上②p333「馬ヤシリ」永野村(佐川町永野)

高岡郡下②p5「馬ヤジリ」小湊村(中土佐町上ノ加江)

幡多郡上②p53「馬ヤノシリ」中津野村(黒潮町佐賀)

幡多郡上②p237 *「馬ヤノシリ」入野ノ本村(黒潮町入野字厩尻)

幡多郡中p136「馬ヤノシリ」宇山 (四万十市右山)

幡多郡下①p392「馬ヤノシリ」宿毛和田村(宿毛市和田)

幡多郡下②p218 *「馬屋ノ尻」三崎村(土佐清水村三崎字馬屋ノシリ)

幡多郡下②p218「馬屋ノシリ」三崎ノ村(土佐清水村三崎字)

幡多郡下②p347「馬ヤノシリ」賀久見村(土佐清水市加久見)

幡多郡下②p583 *「馬ヤノ尻」三崎村(土佐清水村三崎字)

幡多郡下②p584「馬ヤ尻」三崎村(土佐清水村三崎) 

幡多郡下②p622「馬ヤノシリノ東」加久見村(土佐清水市加久見)

 どなたか、岡本健児の説を補完していただきたい。

 

うめ(梅)【】 

 松竹梅は吉祥を象徴する樹木。松は強い生命力、竹は早い成長力、梅は先駆けて花を開く突破力といったところに期待を込めたのだろう。

 高知県の小字数で比較すると、松2265・竹980・梅355と食べ物の値段の差と同じだ。梅は奈良時代の渡来植物ゆえに地名数は少ないか。『木の語る中世』は子ども名づけから考察する。

 

うりうの(瓜生野)【南川口】

 瓜生野は全国に分布する。高知県には、本山町に大字名、仁淀川町用居と中土佐町大野見大股に瓜生野集落があり、大豊町角茂谷、四万十町南川口などに小字がある。

 『地名用語語源辞典』ではウリ(瓜・売)は①湿地。ウルヒ(潤)の意②瓜の象形語もあるか③ウレ(末)の転訛④オリ(降。下)の転かと述べ、ウリウ(瓜生)は「湿地になったところ。この地名はほとんどすべて、平野の端、谷の奥にある。ウレ(末)・フの意であろう」と述べる。瓜生は集落の起点を示す隠し文字かもしれない。

 長岡郡本山町の瓜生野について『土佐地名往来No596(平成27年12月14日付)』に「中世以前からの地名。長宗我部地検帳には売生野と記される。安徳天皇が工石山から白髪山を経てこの地に落ち延びてきたとき里人が瓜を安徳天皇に差し上げたという伝説が地名の由来と”新本山の歴史”に書いてある」と述べ、『土佐地名往来No20』は芸西村の瓜生谷を「土佐で初めて真瓜が栽培された地」と紹介する。芸西村は県内屈指の園芸王国である。

 また、岡村憲治著『西南の地名p58』では中土佐町大野見の瓜生野について「川の曲がった形が、瓜に似ていること、「うの」は、広い原野」と書いてある。