本に刻まれた「ふるさと地名」


宮尾登美子『湿地帯』   Vol.02

 

 

 昭和37年(1962)宮尾登美子が『連』で婦人公論女流新人賞を受賞した。その二年後に高知新聞社が連載企画したのが「湿地帯」で、初期の自伝的小説群のさきがけといったところでしょう。

 「山峡の春は遠い。」から小説は始まる。

 江川崎を下りたった厚生省薬務技官の小杉啓。高知県庁薬事課長として赴任するため故郷の宇和島周りの道のりとなった。

 江川崎から窪川までの国鉄バスの描写が懐かしい。田野々・熊野神社から轟崎までの道路大崩壊もたしかこの時期のような気がする。

 昭和49年(1974)からは国鉄予土線が走るようになり国鉄バスは廃止となった。この小説、しまんトロッコガイドの先輩・河井さんに教えていただき、ガイドの話の種にしている。 

 

■宮尾登美子(みやお とみこ/1926年4月13日 - 2014年12月30/)高知市生まれ。吾川郡池川町(現仁淀川町)の安居国民学校の代用教員となる(『春燈』)が、17歳で結婚、夫とともに満蒙開拓団の一員として満洲に渡る(『朱夏』)。敗戦、帰郷。昭和37年(1962)執筆の『連』で婦人公論女流新人賞を受賞。夫と協議離婚し、「湿地帯」を『高知新聞』に連載(前田とみ子名義)。その縁か、高知新聞社学芸部記者・宮尾雅夫と再婚。その後の活躍は知ってのとおり。

<テキスト> 

 

    第一章 謎の女

 山峡の春は遅い。

 江川崎駅を十六時十四分に発した窪川行き国鉄バスの最前列に腰掛けて、小杉啓はまだコートの衿を立てたままでいる。

(中略)

 左手に連なる北幡の山系、右下に流れる四万十川の上流、九十九折にうねった白い埃の道、集落もない無人の辻にところどころ斜めにつったっているバスの標識に、長生、権谷口、枡瀬、今成、とつぎつぎ目で追いながら、ここが既に高知県分であることに、小杉ば何となく感動めいたものを覚えている。

  そのとき、車体は急に軽く浮き、滑らかな舗装道路を暫く走ったと思ったら、そこはもう、陽の傾いた田野々の駅だった。

 田野々の町にはもう青い鈴蘭燈が点っていた。僅かな乗降客の為に開けられたドアからは雨上りのせいか、やはり春の日ぐれらしい花の匂いが濃く標ってくるようだった。

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 男の車掌がものうげな声で、

 「お客様に申し上げます。この先、熊野神社下から轟崎に至る間、約二百メートルに渡って土砂崩れがありますので、まことに恐れ入りますが徒歩連絡をお願いします」

 その説明を聞いても車内には何の反応も起らなかった。土砂崩れなど珍らしくもないのだろう。   

  車は弘瀬峠の標識を越すとゆるやかに下りはじめ、やがてよく磨かれたフロントガラスいっぱいに一塊のネオンの光茫が映じてきた。窪川の町だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※江川崎駅:昭和28年(1953)国鉄予土線の終着駅として開業。昭和49年(1974)予土線全線開通まで江川崎・窪川間は国鉄バスが運行されていた。

 

※四万十川:四万十川も今成あたりになると中流域となり、岩がゴツゴツした景観となる。40万年くらい前の「古四万十川」は今と逆で窪川に向けて流れていたという。南海トラフが隆起して今の流れになったという。確かに窪川から四万十川を下ると山奥に向けて川が流れている気持ちになる。

※長生:長生は窪川に向かう最初の集落だがバス道からは沈下橋を渡った、向イの集落となる。次の集落が「半家(はげ)」と面白い地名なのだが記録されていない。

 

 

  

  

 

 

 

 

※田野々:現在の四万十町大正。昭和23年(1948)、3月4日午後8時15分、大正町田野々の大正営林署・土場から出火。西風にあおられて田野々集落の約8割を焼失し、翌5日午前4時30分に鎮火した。この「田野々大火災」は前年に施行された「災害救助法」適用の第1号となった。これを機に、町は田野々中心街の幹線道路の幅員拡張など都市計画を行った。「青い鈴蘭燈」もこのとき設置されたのだろう。

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 ※土砂崩れ:確かにあったがいつだったか調べておこう  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※弘瀬峠:旧大正町と旧窪川町の境となる峠。今は、国道381号線・弘瀬トンネルとなっている。  

20230507記


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