よくある地名の語源 「ち」

(20251130現在)

ちからいし(力石)【チカラ石(口神ノ川)、力石(上宮)】

 各地に力石という重い石が残っている。力技を競い、持ち上げて豊凶を占ったものといわれる。「石占いの遺留(柳田国男)」。神社仏閣、集会所、船着き場などにある人の仕事の能率をはかるひとつの目安とした。その他の意として、石垣の骨格となる長大な石。石垣のいわば柱。

 片岡雅文『土佐地名往来』(h20.9.9)は「石を神の依代とする信仰に始まったのが力石。その後、若者たちが力比べをする石となった。」と述べる。

 柳田国男は、石の重軽によって諸願の成否を占う石(重軽石)から力石に変遷したという(定本⑤)。

 高知県下に「力石」小字が30か所みえる。

 

ちち(チチ)【チチガモリ(天ノ川)】 

 大豊町に「父の岡」「チチノ窪」「チチノモト」「千々ノ」「チチウィ」といった「チチ」地名が多くみられる。小字では高知市春野町西諸木字乳ヶ森、高知市鏡的淵字チチガナロ、四万十町天ノ川字チチガモリ、四万十市坂本字チチカ谷、宿毛市山奈町山田字チチウ谷などがあり、須崎市の名古屋坂に「ドライブインちぢかわ」があった。

 『四国樹木名方言集』に「チチノ木 ヤマシバカエデの長岡郡本山の方言」とあり、落葉高木で、山地の谷沿いに生育するとある。

 長岡郡大豊町に多く分布し、接尾語も谷・窪・尾・野・森・山・原・奈路など「チチノ木」の生育する地形を示しているようである。長宗我部地検帳にもでてくる中世以前の樹木の方言名であろう。  

 

ちびちりがま(チビチリガマ)【沖縄県中頭郡読谷村波平1136-2

 沖縄県読谷村のチビチリガマは、沖縄戦の際に避難していた140人のうち83人が集団自決した鍾乳洞(ガマ)である。今年(2017)9月に、地元の4人の少年によってチビチリガマの入り口にある「世代を結ぶ平和の像」が破壊され遺骨や千羽鶴が荒らされる事件が起きた。無知な少年による器物損壊容疑としての報道であったが、犯人は「歴史教育」にあるのではないか。「鬼畜米英」と教えられた結果が集団自決であり、「近代史を教えない、伝えない、学ばない」学校教育の構図は歴史の繰り返しのように思える。

 地名は、その地名の命名の由来も大切だが、それ以上に地名に刻まれた歴史も含めて記録し正しく伝承しなければならない。

 チビチリガマのとなりのシムクガマは1000名以上避難していたが、竹槍突撃を子ども警防団の止めてアメリカ兵と対話したのはハワイ移住の経験のある住民で、結果として全員が自決することなく脱出したという。

 今回の事件は、地名を学ぶものにとってメルクマールとなったので四万十町地名辞典の用語に加えた。

 

ちゃどう(茶堂)【】 

 守屋毅『愛媛の祭りと民俗』に「その昔、四国山地が刻む嶮しい山ひだをぬうように、いく筋もの往還がふたつの国を結んで張りめぐらされていた。”茶堂”はその路傍にあって道を行く旅人がしばし疲れをいやしたお堂なのである」と愛媛県西予市城川町の「茶堂」を紹介する。高知県側にも多くあり、善根の「道の駅」だ。県下の「茶堂」小字が6か所あるが、そのすべてが県西部に分布することから、四国南西部の茶堂文化圏と一致する。

 奈良文化財研究所『四万十川流域文化的景観研究』は「土佐の茶堂は史料上16世紀末まで遡ることができる」と述べ、長宗我部地検帳に記されたホノギ「茶屋・茶屋堂・茶ヤシキ・茶庵・茶庵堂・茶ヤン・茶エン」などがあるという。そのホノギが81か所あり、一般的な「辻堂」が33か所あった。地検帳には「茶堂」の表記はない。

 これらの分布をみると「辻堂」や「茶堂」は四国遍路の大師信仰だけでなく、聖や六部、山伏・修験者、カッタイなど廻行する旅人への茶の接待をし、集落の信仰を含めた活動拠点としての機能も有していたと思われる。ただ、どうして野村町・城川町・梼原町・津野町・大正町・十和村(旧名称)などに多く分布し、現存しているかは不明だ。

 データベース『えひめの記憶』も「(イ)遍路・旅人と茶堂」に詳しい。基本、茶堂は今でも寝泊り自由で、善根宿の習俗に共通しており「民俗学で言う”マレビト歓待”(村を訪れる他者は神の化身と見られ、これを歓待しないと罰があたる大師伝説と共通)の信仰」と述べる→ https://i-manabi.jp/system/regionals/regionals/ecode:1/3/view/556

 

ちょうじゃ(長者)【】 

 仁淀川町に長者の大字がある。山越えの越知町側にも長者の地名。長者伝説を思わせる、地内の景観である。

 片岡雅文『土佐地名往来』(h15.12.25)は、「阿波からやってきた富豪”長者様”にちなんで」とともに「”打つ・たたく”の「ちょうず」を意味する崩壊地名」と小川豊氏の災害地名を紹介する。長者のチョウ(長)・ジャの「蛇」は蛇谷・蛇抜など地すべりや土石流を意味する災害地名ではあるが、岡村憲治『西南の地名』は「仁淀村長者などのように、山岳の高地にある地名で、長者屋敷とか長者の墓などの伝説がよくある地名である。鏡味説ではチョージャ長者(金持ち)の伝説(土器・石器・焼米など出土するものもある)にちなむ。とあるが、山の頂上にある平坦地と考えられる。」と、チョウジャは「頂上」の転訛と解釈している。

 県下に「長者」小字が36か所ある。接辞で目につくのが「長者駄場」9か所、他にも長者奈路4・長者窪2・長者山2・長者屋敷2と主に地名地名の接頭として長者が付されていることから、岡村氏の「頂上説」ではなさそうだ。

 何と言っても仁淀川町の「長者」が一番ポピュラーだろう。高知大生が長者の棚田を竹あかりでライトアップするイベントは、まさに長者伝説を彷彿させる。その他、小字以外では室戸市吉良川町に「長者野」集落、香南市夜須町羽尾の裏山が「長者が森(772m)がある。

 地名所在地に「長者伝説」があれば、間違いないだろう。

 長者伝説の多くは、山奥の炭焼きが登場する。県下の長者小字の分布を見ても大部分が土佐の山間であり、炭焼きの最適地である。

 長者伝説は、いっとき長者となってもその傲慢さから滅びる物語である。ま、欲をこいたらバチがあたるという戒め伝説なのだろう。

 

 (20260302現在)

 

 


ちめい

■語源


■四万十町の採取地


■四万十町外のサイノウの採取地