Vol.05 「イチ」の付く地名の謎

2016.01.13現在

■筒井功氏の研究

     「イチは祭場に由来」

 高知県出身の民俗研究者、筒井功氏の著書『日本の地名』では「イチ(漢字は、ほとんどが市か一)の付く地名は各地におびただしくある。小地名まで含めたら、その数はおそらく万単位に達するだろう。なぜ、こんない多いかが、まず謎である。(略)市ノ瀬は代表的なイチ地名の一つで、各地にざらに見られる。大部分は深い山中に位置して、市場とのかかわりは想定しにくい。かといって、いくつかある瀬のうちの何番目という意味でもない。(略)イチの語はおそらく「神をあがめる」の意の「斎(いつ)く」のイツと語源を同じくしているのではないか。(略)東北地方で口寄せを業とするイタコ(コは人といったほどの意)、戦前まで各地で見られた祈祷者のイチコ(略)などもみな一種のイチである」と巫女の一形態である土佐の「佾(いつ)」とイチ地名の関係性を述べている。

 

 また氏は『葬送の民俗学(p168)』で「16世紀の末ごろイチと呼ばれる一種の宗教者が住んでいた。(略)16世紀末ごろの土佐に、どれくらいの佾がいたのだろうか。領主から給地を与えられていた者については、『長宗我部地検帳』を丹念に繰っていけば、その数は計算できる。(略)おそらく数百人ほどであったろう。」と書き、イチの語義を「神と人をつなぐ人のことである」とし「市ノ瀬など各地におぼただしい「イチ」の付く地名も、多くはおそらく「イチの場」すなわち祭場に由来」と述べている。

 黒潮町の市野瀬(市野々)についてはこの辞典の見出し語『カロウト』でも述べたが、金上野に鎮座する修験の山・五在所ノ峯の南麓にあたる。市野瀬(市野々)から仰ぐ山は霊峰富士に似ており、修行の場としての滝(擂鉢轟の滝)もある。「イチの場」と呼ぶにふさわしい地勢である。

 

 中山太郎著「日本巫女史」でも佾(いつ)については一箇所のみ(p34)「土佐で多くの社に佾と云う者が居るのも、亦是で(中山曰。巫女の意)であろう。其住所を佾屋敷と云ひ、或は男の神主を佾太夫などとも云ふ」と諸神社録を引用して述べている。長宗我部地検帳の刊本の一部には佾(イツ)でなく傊と誤植したものもある。また、ホノギに「イチヤシキ 佾ゐ」とあることから、当時はイツがイチに転訛し呼ばれていたものと考えるが、どちらが正解であるかは不明である。

 「佾」について白川静氏の字源辞典字統は「祭肉を頒つ意であろう。肉を両分することをいい、舞楽の列を佾という。」とある。他の辞書では音読みとしてイツに加え、イチもある。

 

■佐喜浜八幡宮のイチ

 高知営林局に勤めた福島義之氏の著書『土佐の祭りと文化(p149)』に

 「神幸の御案内」役として、イチ、子神子による「神歌」と言われる「ワタマシ歌」が歌われる。

 「歌っているのは亡くなった福田徳代さん。」

 福田徳代さんは『イチ』という家柄に生まれました。この家に生まれた女子は、生まれながら神に仕える身分です」と小笠原さん。

 世襲制なのでいまはイチはいないという。

 イチの役は、神歌を歌うほかに、巫女たちの礼儀作法と身の回りの世話だという。

 と平成15年の佐喜浜八幡宮の御神幸(なおばれ)の記録として「イチ」について書かれている。この時の神歌は福田徳代さんの歌うカッセトテープに録音された音源によるものだという。福田さんは昭和46年に亡くなった最後のイチである。

 今に伝わるイチの話であるが、神歌を司る子神子の顔に化粧をする「イチ」には「化粧田として田地一反」が給されるという。地検帳にみられる県下の「佾給」の田の面積をみてみると、八幡佾、一宮佾、惣佾などとあるが一反に満たないものが多い。この地、佐喜浜村の地検帳には佐貴浜村本村として「アンノ谷 拾三代二分 下々 佾給」とあるが、一反(50代)にはほど遠い広さである。

 

 この化粧をする行為は神霊が乗り移ったことを示すしるしで、面を被ったりすることと同一だと言われる。若宮八幡宮の通称「どろんこ祭り」(神田での田植えの後、早乙女が周囲にいる男性の顔や手足に泥を塗る行為)も、化粧の変形であるかもしれない。三手化粧、神楽、一子相伝、巫女の礼儀作法の指南役などのキーワードで県下の例を調べる必要がある。

 

 佐喜浜の最後のイチであった福田徳代さんの話。まだまだありそうで、佐喜浜八幡宮の栁川宮司にお聞きし後日譚として書き加えることとする。

 

■日本巫女史

 中山太郎著の労作・日本巫女史には巫女の種類と名称として神和(かんなぎ)系の神子と口寄(くちよせ)系の巫女の二種類の68の巫女に分類しているが、高知県では「佾(いつ)」の名称で紹介されている。(同書p34)
 

■長宗我部地検帳のイチ(佾※刊本の「傊」は誤植と思われる 

 筒井氏は「長宗我部地検帳を丹念に繰っていけばおそらく数百人ほど」と推定しているので、多忙でない私が『氏もすなる、地検帳を繰るといふものを、蛙鳴もしてみむとて、するなり』。

 四万十町の事例

 ▼長宗我部地検帳高岡郡下の2p364(天正拾六 仁井田之郷地検帳 四)

窪川之内蕨尾谷 コウノサイ

同し(※コウタヤシキ)ノ東      佾給

一ヽ 弐十四代 下々やしき  同し(※窪川分)

※「同じ」の内容を前筆の例により追記したもの。

※中世土佐の地積の単位「50代=1反=300坪」

 四万十町外の事例

 ▼長宗我部地検帳 安芸郡 上

1)佐貴浜村本村(p97)

アンノ谷  拾三代二分  下々  佾給

2)三津之村(p195)

イチヤシキ  廿一代四分  下ヤシキ  佾ゐ 藤三郎ゐ

3)羽禰之村ヲソウ之村(p330)

宮ノ東  三十八代壱分  中    八幡佾給

4)奈和利庄平松ノ村(p383)

マトハ南  五代  出弐代三分 中ヤシキ 下司分 佾給

5)奈和利庄サンシヨ岡村(p395)

西之坊寺中イヌマキノモト  拾壱代四分 下畠荒 八幡佾給

6)ナワリノ三番(p400)

カシワラノ後ノ西 拾代 出弐代五分 上 八幡 佾給

7)カイシウタノ村(p405)

ナガタ西 三拾代  出拾壱代壱分勺才  上 下司分 八幡佾給

8)奈半利山ツラノ村(p412)

山ツラ北杉ノ本西ノワキ溝詰テ  五代  出壱代弐分  中 佾給

9)江井ノ村(p445)

江井 拾代 出五代弐分 下山田 八幡佾給

9)安喜郡田野庄大野村(p550)

タイノ西 壱反 出七代壱歩 上 佾給

10)安喜郡田野庄大野村(p555)

西ノ内上下共ニ 弐代 出四代 下ヤシキ 佾給

 

 ▼長宗我部地検帳 安芸郡 下

1)安田庄地検帳・庄田島(p41)

東谷入ノ下 五代 出八代 下 佾給

2)井尾喜村御地検帳・井尾喜村(p136)

ハツタンタノ東 壱反拾代 出卅四代四分 中 八幡佾給

3)本山八名御地検帳・安喜郡川北村(p167)

イチノセ 弐十代 下々畠 川北村地蔵堂扣 御散田分

4)本山八名御地検帳・東山八名奈川村(p215)

イチタイラ 四十代二歩 下々 権頭衛門 名本扣

5)西山五名御地検帳・宮黒鳥村上村(p288)

コホヤシキ 弐反出十二代三分 中ヤシキ内二代茶桑ノふ 一宮佾給 

6)安喜庄地検帳・黒鳥村(p315)

上ヱヒイハシノ西  三十代 出拾五代 中 佾給

7)安喜庄地検帳・(p333)

イチノツボ 三十代 出五代弐歩勺 下 舟番四郎左衛門

8)安喜庄地検帳・僧津村(p350)

ソウツノ北 弐十代 出拾九代 中畠 内荒五代 佾給

9)安喜庄地検帳・玉作村(p361)

カ子マサ東前地壱反川成クヘ残リ 拾四代三歩 下屋敷 佾給 

10)安喜庄地検帳・浜後村(p378)

上楠本 壱反 出九代壱歩才 上 佾給

11)安喜庄地検帳・安芸庄仁宇西(p381)

ニウシ東溝懸テ 壱反 出五代三歩 中下 佾給

12)安喜庄地検帳・安芸庄堀村(p394)

ナカウチヤシキノ西 三十代 出拾六代弐歩勺 下々屋敷 佾給  

13)安喜庄地検帳・安芸庄僧都村(p414)

クホカ東 四十代壱歩 中下畠 佾給   

14)安喜庄地検帳・塩浜(p473)

にし浜六間杖西 壱浜 佾給 中浜 

15)下分和食地検帳・江川ノ村(p519)

下谷ノ上 四代五歩 下 八幡 佾持 

16)下分和食地検帳・井ノ尻村 (p540)

ヲシ原ノ西 六代四歩 上 権現領 佾給

17)下分和食地検帳・井ノ尻村(p540)

ヲシ原ノ南 八代 上 八幡領 佾給

18)和食地検帳・和食庄中内村(p586)

佾ヤシキ 壱反 出壱反八代勺 中上ヤシキ

内三十三代田 壱反廿五代勺屋敷

平左衛門抱 又介居 佾給

 

 ▼長宗我部地検帳 香美郡 上

1)夜須庄地検帳・宮ノ原(p27)

宮ノ原 弐十代 出三十弐代壱歩 下畠 佾給

2)大忍庄地検帳・野竹ノ村(p369)

イチイ坂 十代 下山畠アレ 専当左衛門大夫給

3)香宗分御地検帳・立山ノ村(p508)

二ノミコやしき 廿八代三分 下やしき にノミコ佾給

4)香宗分御地検帳・立山ノ村(p511)

イチノミコやしき 廿五代 下やしき いちのミコ給 立山分

5)香宗分御地検帳・立山ノ村(p524)

的後ノ下 卅代 出卅代四分 下 同イワイテン いち給

6)香宗分御地検帳・立山ノ村(p524)

的後ノ南江永通 卅代 出廿五代 下 同イワイテン 二ノいち給

7)香宗分御地検帳・別所山(p535)

東ノ塩田北山ソヘ 卅代 出十一代一分 下 須留田いち 八幡

 

 ▼長宗我部地検帳 香美郡 下

1)土佐国香我美郡香宗我部御領分・物部庄(p88)

弥六やしき西シマ給本ハ一■■■  佾給

壱反五代 下          光家名 孫左衛門扣

2)香我美郡下田庄・下田村(p116)

下庄イチヤシキ 五代壱分 下々ヤシキ 下庄イチ給 弘岡分 主居

3)香我美郡下田庄・下田村(p125)

ヒノ口南地ヤシキノ後 弐拾代 中 灯明田 弘岡分 下佾給

4)土佐国鏡村岩村郷地検帳・大黒村(p231)

クテン本二反廿代南 十九代三分 下  野田ゐ 西宮佾給 

5)香我美郡岩村郷・西村ノ村(p249)

宮ノ後ノ南 十弐代 下畠 西宮佾給 

6)土佐国香我美郡山田郷地検帳 壱番・八王子(p327)

八王子宮ノ前 弐反拾代四分 中屋敷 嶋崎分 山崎蔵人三良給 佾居

7)土佐国香我美郡山田郷地検帳 弐番目・賀茂村(p378)

佾ヤシキ 九代五歩 下々山畠久荒 酒枝左馬允給

8)土佐国香我美郡山田郷地検帳 弐番目・杉田村(p422)

佾ヤシキ 三十代 出十三代弐歩 下々畠内荒十代 杉田名 名本名

9)土佐国香我美郡上村地検帳・山田郷(p506)

井タ 十五代 出十六代四分 中 佾扣

10)土佐国香我美郡山田郷ノ内韮生谷地検帖之事・韮生野ノ村(p592)

堂免ヤシキ外かけて 弐反 上ヤシキ 阿弥陀修理田 佾分

11)土佐国香我美郡山田郷ノ内韮生谷地検帖之事・水田ノ村(p595)

イチヤシキ二ケ所かけて 弐反内卅代アレ 下ヤシキ 宮大夫給 いちゐ

 

 

 ▼長宗我部地検帳 長岡郡 上

1)土州長岡郡十市郷地検帳(p13・19)

ミドロ  五代 下 佾扣 十市分  

竹成ノヲク道懸テ 十五代出五代 中屋敷 佾給  十市分

2)土州長岡郡池村地検帳(p89)

宮ノ前  五代出五代二分 下ヤシキ 佾居 分  

3)土佐国長岡郡蚊居田村地検帳(p256)

同しイテヤシキ  廿代出拾八代 上 剣尾佾居 野村又衛門作  

4)長岡郡介良庄(p332・337)

ハヤシノ西  拾代出拾代四分 下屋敷 佾作 竹内九郎兵衛給 

ヤホウシノ同じ 四拾代 中屋敷 佾給

5)土州長岡郡大津郷地検帳(p398)

ワタノ後中スカ  卅代出五代 中 上分ノ 佾給

ワタノ後中スカ  卅代出五代 中 内二代フ 下分ノ 佾給 

6)土州長岡郡廿枝郷南地地検帳(p592・608)

イチヤシキ  壱反出廿五代五分 中 屋敷  田シマ 主居 佾給

ミタラ井 壱反廿代中下 内卅代ケハイ田一反ハ御鏡田殿横へ上ル

                             祈念ノ 佾給

7)土州長岡郡植田郷久礼田地検帳(p225・245)

宮ノ前 弐十代出拾壱代 下ヤシキ  宮ノいち 久礼田分

宮ノ西いちケワイテン 拾代出弐代 下 いち 久礼田分

宮ノ西若宮修理テン  弐十代出拾二代半分 下 宮ノいち 久礼田分

※7)の3点は、いの町枝川のKさんから資料をいただきました。宮は「崇神権現」とのことです。     

 

 ▼長宗我部地検帳 土佐郡 上

1)大高坂之郷地検帳・福井村(p4)

ケハイテン  壱段出四分  下  佾給

2)潮江川ヨリ南地検帳・潮江之村(p115)

芝ノ前ノ南ノ上  拾代出四代四分  中  佾給

 

北島ノ西川フチクエ残  一代一分  下畠  国沢佾給

3)潮江川ヨリ南地検帳・川瀬村(p134)

江添ノ北  廿代出廿代  下々  西分  佾給

4)土佐郡秦泉寺郷地検帳・岡下村(十宮ナワ)(p192)

仁井田口ノ北ヤシキ  十五代  下  仁井田宮   佾給   他4筆

5)人々御給内布師田、大津、介良 新塩田井構ニ成分地検帳・布師田村(p261)

ハセテノ東 壱代弐歩 上 かこ いち給 

6)土佐国土佐郡布師田村地検帳・布師田村(p270)

永ハタケ 廿代出廿二代四分 下  佾給

7)土佐国土佐郡布師田村地検帳・布師田村(p286)  

カトタ 四十代出八代五分 上 佾給

キクモト 廿代出二代四分半 中 佾給

8)土佐国土佐郡布師田村地検帳・布師田村(p309) 

石カツホ東 壱反卅代四分 下 二郎左衛門扣 相佾給

 

 

 ▼長宗我部地検帳 高岡郡 下の1

1)土佐国高岡郡津野吾井郷地検帳(p85)

宮ノ谷  廿代 下 佾給  末清名

2)津野押岡郷桑田山地検帳(p109)

芝ノ西キシノ下ニ田少有  御嶽ノ佾鈴根田

十代 下々山畠ヤシキ   佾給 弘枝在家 三良五良ゐ

3)津野野見勢井地検帳(p198)

イチヤシキ  十六代 下山ヤシキ 佾給 大谷名  佾居

同じ東      十代   下       佾給 大谷

4)津野下分郷地検帳(p232)

クロノモト南 廿壱代 中  佾ケワイ田 佾給 友重名散田

5)土佐国高岡郡津野半山地検帳(p331)

宮ノ前 壱反 下ヤシキ 三島  佾給 主ゐ

同じ北 弐反 下屋敷  三島  佾給 主ゐ      

 

 ▼長宗我部地検帳 幡多郡 上の2

1)伊与木村地検帳 是ヨリ切畑帳 川奥村(p152)

イツノ谷 拾代 切畑  

2)伊与木村地検帳 是ヨリ切畑帳 一瀬村(p153)

イツノヲク 三拾五代 切畑

3)幡多郡入野七郷ノ内鹿持川地検帳 鹿持(p378)

イツノ谷口 三十代 中 隠居居

 

 ▼長宗我部地検帳 幡多郡 中

1)畑之庄具同之村地検帳事 (p331)

丁田ノ北 壱反拾五代 下 若宮新田 佾分   

2)畑之庄具同之村地検帳事 (p337)

島ノモト北 壱反 下 八幡領 佾分  佾給 

3)畑之庄具同之村地検帳事 (p345)

アカ畠ノ西 壱反 下畠 八幡領 佾分  森沢大夫扣 

 

≪2016.01.30現在の編集です。≫

 

 


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