よくある地名の語源 「て」

 (20150601起)

てばし(手橋)【】 

 「テバシ」の小字が県下に19か所ある。手橋の漢字が当てられた小字が3か所。特徴的なのは、①中世の地検帳のホノギにはテバシはなく近世又は明治以降の地名と思われる。②県内分布では、大部分が仁淀川上流域にあり、安芸郡・香美郡の県東部や高岡郡・幡多郡の県西部にはみあたらない。『高知県方言辞典』にテバシはなく、仁淀川上流域の人に聞かないと分からない。小谷に「手前が勝手に手配した手作りの小さな橋」が手橋だろうか。『土佐州郡志』の仁淀川流域にある「独木橋」と同じ一本橋か。

 テバシのテは、「手畔」(田の中に臨時に作る畦)や「手板」(大工がつくる簡単な設計図を描くための板切れ。イ1・ロ3・ハ7・・と柱の番号を入れる)の手で簡易なという意味合いだろう。「手塩」にかけた料理は自らが手間暇を惜しまず作る愛情たっぷりの料理の意味で簡単な料理ではないが自ら作るという意味では同じ。

 田井信之『日本語の語源p260』は 「手堅い」という言葉について、「イタカタイ(甚だ堅い)の語頭のイを落としたタカタイがテガタイ(手堅い)になったという。」。「手軽(テガル)」、「手強い(テゴワイ)」、「手緩い(テヌルイ)」などの語頭のテ(手)は「はなはだ。ひどく」という「イタ(甚)」の語義を温存しているとも述べる。

 ほいたら、 「テ」には前段の「簡易な」ニュアンスと、後段、田井氏が述べる「強調(甚だしい)」ニュアンスがあるみたいで、合体すれば「手橋」とは「自作の簡易な一本橋で、渡るのに甚だ危うさを感じる橋」なのだろうか。

 

てんぐ(天狗)【】 

 県内に鬼や天狗や大道法師、カンスやノツゴなど妖怪・民話地名が300か所以上ある。「大人ノ足跡」(土佐町南川)、「大道法師」(安田町安田)、「カンス」(芸西村久重字カンス淵)、「七人ツカ」(仁淀川町長者)、「ノツゴ」(香美市土佐山田町西後入)、「トウジ」(大豊町西峰)、「八面」(佐川町古畑)、「山姥」(安芸市古井)などだが、「天狗」は二番目に多くて県下に53か所見られる。(一番多いのがノツゴ)

 高知県下の53か所の「天狗」地名の分布をみると、香美郡・長岡郡・土佐郡・吾川郡の山間部に多く、県東部の安芸郡には一つもなく県西部の幡多郡には2か所見られるだけである。

 接辞としては天狗瀧(嶽)19、天狗石10、天狗岩9となっている。天狗高原(津野町)、天狗塚(1812m。三嶺山系の山でコメツツジの群落が有名)など山名も多く、テンがテッペンの頂に通じ、岩稜や特徴的な岩などから名付けられたのだろう。『日本山名事典』には「天狗○」が132座が示されていることからも、山の怪異現象を暗示する枕詞のようでもある。中でも多いのが「天狗山」48、「天狗岳」24。昨年(2025)に登った山は八ヶ岳山系の天狗岳(2646m)。

 土佐の山村に出る妖怪を言ふ諺に「山で芝天狗、川では猿猴、道では道碌神」と言うとある。『南路志』(4巻p94)にも、川太郎「人に害を成さすハ祭をすへしといはれしとかや。夫より六月十六日、川々にて胡瓜を流し、灯燈夥敷照らして祭来れり」と河童の説明をしているので土佐の方言名が川太郎だろう。南路志には猿猴もシバテン(柴天狗)も記述がなく、桂井和雄も「芝天の名は近世の文書にはでてこない」と述べる。

 

てんのう(天皇・天王)【】

 

 

てんいち(天一)【】

四万十町窪川の字名。窪川の市街地からテレビ塔へ向かう山地周辺を指す。 

 窪川の郷土史家佐々木馬吉氏は「天正の窪川Ⅰ(p42)」で「窪川市街地の北東山を指して『テンニチ』と呼んでいる。これはテンイチが正しく、天一神を祭っていたことを由来とする地名であろう。天一神とは”天目一箇神(あまのまひとつのかみ)”のことであり、鍛冶職を生業とする人達が祖神としてまつっていた神である。したがって天一神をまつった近くには、必ずと言ってよひ程、”鍛冶屋敷”という地名があり、また鍛冶ヤシキと呼ぶ小字の近辺には天一神をまつっていたと見て支障ないものと思う。ここの天一神の場合その山麓・現在の榊山町6番には鍛冶屋敷という小字名を地検帳は記るしている。」と天一神と鍛冶屋との関係を論考している。 

 大日本地名辞書は「天一神社(テンイチ・播磨③p168)」として「兵庫県佐用郡今徳村の東、大畠の馬村山に在り、天一神玉神社とあるもの是也。神社記には天一明神と録し、方俗テンイチと唱ふ。(諸説中略)播磨風土記天目一箇神の此国に坐し事あるを以て考ふるに、天目一箇神の神霊を祭れる義なる事著し。」と説き、方向神の一つで十二天将の主将である天一(テンイチ・別名、中神、天乙、天乙貴人)ではなく天目一箇神を「天一」の語源とした。

 

▼天神(天満宮)と天ノ神 (廣江清著「長宗我部地検帳の神々」p44) 

 天神といえば普通は天満天神の略称とされている。しかし別に天ノ神というのがある。天神と書かれていても、ノを略されている場合もあるので、天神(天満天神)と天ノ神とは区別がつきにくい。天神社は181社(※高知県下)あるが、そのうち天ノ神と思われるものが19社ある。祭神が菅原道真でないもの、未詳のものをえらび出したもので、(中略)

▼天一神廣江清著「長宗我部地検帳の神々」p86) 

 天一神は5社(安芸1、長岡1、吾川1、高岡2)であるが『神社明細帳』に比定できるものは4社で、祭神は未詳2、天御中主神(アメノミナカヌシノカミ※古事記で高天原に最初に出現した神)、天目一箇神である。

 天目一箇神は「金工鍛冶の祖神、天照大神天石窟に隠り給ひし時刀斧、鉄鐸を作り奉り、天孫の大物主神を祀り給ひし時また作金者として料物を造り奉った。」(『神道大辞典』)神で、「目一箇」の一から天一神に比定されたものであろう。この神の比定されている天一神は、高岡郡仁井田郷野地村に鎮座、鍛冶とは関係がない(『地検帳』の他の部分では、給人・扣人が鍛冶のときは、鍛冶と肩書がついている。従って祭神がこのとおりであったかどうかは疑わしい。(中略)5社のうち半数の3社は神田も神領もない、前出の野地村の天一神はわずかの神事米が上げられるにすぎない。「唯一絶対神」としてはまことにお粗末な待遇である。どうもこの神は庶民の神であったと考えた方がよいようである。筆者は陰陽道のいう「天一神(※方向神)」ではないかと考える。

 

■四万十町の採取地

  天一:四万十町窪川の字名

 天一山四万十町窪川の字名。土佐州郡志の窪川村の山として記され、城址として「在天一山不詳城主」とある。

 天一寺:角川地名大辞典39高知県の「窪川(p1250)」の解説に「真言宗醍醐寺派天一寺」とあるが、現在醍醐派の寺院・教会の名簿には掲載されていない。

 天一神:地検帳の寺野村の段に「(ホノギ)西ノ地 天一神エ十一月モミ七升立」とある。

 天一神:地検帳の桧生原村の段に「(ホノギ)レウヤシキノシタ 天一神ヘモミ七升十二月ニ立」とある。

 天日神:地検帳の桧生原村の段に「(ホノギ)神田ノクホ 十一月ニ天日神ヘ籾七升立」とある。

 天一畑四万十町野地の字名。野地村の諸村元標(「皆山集第8巻地理編」)

 天一神社:地検帳に仁井田郷野地村の神事米として「天一神五升」とある。  

【蝉噪堂主人の独り言】

 天一とは、なんとも雄大でひとりよがりな地名であるが、今では「天一」といえば、こってりラーメン「天下一品」の通称を真っ先に連想することだろう。

 四万十町で「天一」といえば窪川市街地のテレビ塔のある山。ただし、「天一山」と言える人は数少ないことだろう。地元では「テンニチ」と呼ばれているという。天目の目を日と勘違いして「テンニチ」となったのか。地名は転訛された読みかたであっても、流布されたものが固有名詞化するのもである。または、テンのn音がイチのi音にリエゾンしてテンニチと転訛したのかも知れない。 

 この窪川の「天一」地名。天下一番の神とはめでたい話で、祭神の天目一箇神の一から天一神とするのもうなずける話である。「天正の窪川」で佐々木氏は、天目一箇神が鍛冶の祭神であることから、天一のホノギと鍛冶屋敷のホノギとの関係性を榊山町と野地の例で説明している。寺野や桧生原でも地検帳に出現する「天一神」についても「カチヤ」との関連性を論考し、天一神の神名を天目一箇神と解釈する論考を進めている。

 一方では、廣江氏が「長宗我部地検帳の神々(p86)」の天一神の項で述べているように『陰陽道における12の方向神の主神を信仰する民間風習から天一神(十二天将の主神)を祀ったもの』として、「鍛冶とは関係がない。従って祭神がこのとおりであったかどうかは疑わしい」としている。

 天一神が北東を司る祭神であり、窪川地区の川南市街地から丁度北東の方向に天一山があることから、廣江氏の論考をもとに現地踏査して鍛冶との近接性・北東の方向等で比較推考し、後に語源に追記していきたい。

 

 いずれにしても「天一」とはめでたい地名である。

(20260309現在)