黒潮町(くろしおちょう)

 

橘川【たちばながわ】447

 

 

黒潮町大方橘川

33.047261,132.986948 

 

橘川(橘川村/校注土佐一覧記p315)

橘の名をなつかしみ郭公 川瀬の波におちかえりなく」 

 

 

 

 

 

▽橘川

 御坊畑の北方で、入野郷の一村である。州郡志には戸数8とある。佐賀町にも市野瀬と拳ノ川の間に橘川という小村がある。

(山本武雄著『校注土佐一覧記』p315)

 

ふたつの「橘川」

 「土佐一覧記」の広谷本系には黒潮町の掲載地名は「鈴」「佐賀」「伊予岐」の佐賀分だけの3地区のみ。図書館本系の地名は8地区で、掲載順は伊与木→鈴→佐賀→畑野→入野→有井川→加茂神社→橘川となっている。掲載順からみると橘川は大方のものと推定される。

 平成の合併で黒潮町に橘川の大字が二つとなることから、大方橘川・佐賀橘川に大字名称を変更した。

(武内文治)


土佐一覧記を歩く③橘川」『大形』322号、大方文学学級、2021.5

 

 川村与惣太は賀茂神社の段で「此社入野松原にあり。八幡と堂宇に祀る。南は賀茂北は八幡なり。二十一座の一社也」と土佐国の式内社二十一社の一つとして詞書を記す。

朝日かげのどかに匂ふ花の香も

神の社は一入にして

川村 与惣太

 東浜松原に鎮座する加茂神社の祭神は、明治に編纂された『高知県神社明細帳』によると別雷命(わきいかづちのかみ)。式内社・賀茂神社に比定される古社とあるが縁起沿革等未詳であり定かではない。祭神からよみとれば京都の上賀茂神社(賀茂別雷神社)の系統となるが、『続日本紀巻廿五』天平宝字八年(七六四)十一月庚子の段には、高鴨神が大和の葛城山で大泊瀬天皇(雄略天皇)の怒りに触れて土佐に流罪とある。別の記録には初めに幡多郡の賀茂社、次いで土佐神社に移祀されたという。後に大和の葛城に戻され祀られたのが奈良県御所市鴨神に鎮座する高鴨神社で祭神は味鋤高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)となっている。土佐神社というより高知ではシナネさまで有名だが、ここも祭神は味鋤高彦根神である。

 『高知県神社明細帳』には県下に賀茂・加茂・鴨を冠する神社(土佐神社を除く)が十六社あり多くの祭神は別雷命で味鋤高彦根神は一社もない。「幡多郡の賀茂社」を「入野・加茂神社」と比定するなら脈絡からみれば祭神は味鋤高彦根神であるはずなのに別雷命となっているのは不思議である。ただし『大方町史』には「祭神 加茂神社は味鉏高彦根命で、土佐一宮の土佐神社と同神である。」と書かれている。また、南国市植田に鎮座する式内社・殖田神社も土佐神社と同じく祭神は味鋤高彦根神であり社殿には「高賀茂大明神」とある。

 

 宗教学者の山折哲雄は「カミは空間を遊幸し森や山のような幽暗な場所に鎮座する機能を持ち、ホトケはその華麗な肉身を現わして人々の眼前でまつられる」と目に見えないカミと目に見えるホトケを対比的に説明する。氏子にとって神社の御神体や祭神は根本的な意味はなく、山と里、祭壇と御輿、新宮と旅所といった「神幸」と「憑依」を厳粛な形式美で織りなす神秘性が信仰の基層となっているのではないかと思える。