おうぎやま(扇山)【窪川中津川/標高651.5m】
おうじ(王子)【】
「王子」地名には、天照大神と素戔嗚尊とが誓約して生んだ五男三女神の「王子宮・八王子宮」系の神社と、熊野信仰における若宮(天照大神)を祀る「若一王子宮」系の神社が特徴的。九十九王子信仰は後者の例で九十九は多いことを象徴する。オージには影地・陰地(オンジ)の転訛もある。
おうばん(黄幡)【】
『高知県神社明細帳』に黄幡神社は四社あるだけで、うち二社が四万十町(旧幡多郡十和村)の戸川と大道(下)にある。長宗我部地検帳にも黄幡(四万十町川ノ内)黄幡神(中土佐町久礼)などと書かれており中世以前の神々(神仏習合)なのだが、高知県西部(中土佐町以西)にだけ分布している。黄幡神社は広島県、愛媛県、高知県のライン上に見られる全国でも珍しい神社。広島県では明治の神仏分離令により社名も真幡神社や大原神社などと変更されている。現在の広島市と、その周辺地域では、「黄幡」という中国由来の神が信仰されていたらしい。庶民には、「おんばんさん」という愛称で親しまれていた。今でも、広島市安佐南区には、黄幡神社が多数存在する。しかし、祭神は、別の神に変更されている。黄幡神社(旧称を含む)の分布は、安芸武田氏の勢力範囲とほぼ一致している。江戸時代になると、黄幡大明神(現在の比治山神社)が、この地域の黄幡信仰の中心地になったと推察できる。明治の神仏分離により、外来の神を神社に祀ることが禁止された。ここで、広島の黄幡信仰は抹殺された。今でも、「黄幡」という名字の人がいちばん多い都道府県は、広島県である。しかも、広島市安佐南区に集中している。ちなみに愛媛県の黄幡神社は次のとおり
①日吉神社(鬼北町大字上鍵山151)33.340474,132.791942
②黄幡神社(鬼北町大字父野川下1501)33.326342,132.803734
③黄幡神社(内子町中田渡632)33.602806,132.799526
④黄幡神社(愛南町正木2434)33.013450,132.674899
おおいがわ(大井川)【道徳から東又川合流点までの河川名称・十和地域の大井川地区】
「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川」は有名な馬子歌。箱根以上の往来難所の大井川であるが、渡し船を設けなかったのは川越人足の雇用を守る幕府の雇用政策であったという。日本地名語源辞典では「オホヰ(大堰)の意で、大きな井堰のあった所」とある。
ヰ(井)は井堰とともに水路や川の意味もあるので、大井は大きな川。それにカワ(川)が接尾語として重複されたもの。
おおかわむら(大川村)【】
明治22年の町村制で「大川村」が発足し、以来一度も町村合併をしていない。県下には同じように馬路村・北川村・三原村・梼原町も町村制以来合併しない自治体だ。(梼原町は西津野村から梼原村に名称変更しその後町制を施行した)
おおきれ(大切・大切レ)【七里(越行)】
おおたに(大谷)【】
沖縄の「オウ」と呼ばれる島々が古代の風葬所として全国の海岸部を調査したのが民俗学者谷川健一。その後筒井功は「日本各地に大島という小さな島がある。これは”青島”がなまったもので”アウ・アオ・アワ”は埋葬地」として青塚、青木、青山、青柳を全国調査。
高知県内の「大谷」小字が496か所ある。中谷336、小谷169に比較してはるかに多いのだ。大谷が「大きな谷」と谷の規模だけの名づけ意思とは思えない。すべてを葬送地と思ってるわけではなく谷川健一の云う「オウ」が転訛して大谷となったのもあるのかと推理したまでのことだ。
おおなかおやま(大中尾山)【野々川/標高620.6m)】
おおはた(大畑・大畠・大バタ・大畑山)【大畑(峰ノ上・仕出原・下呉地・替坂本・大道・地吉・十和川口)、大畑山(峰ノ上・窪川中津川・木屋ヶ内】
おおばたけ(大畑・大畠)【大畠(浦越・茅吹手)】
おおはたやま(大畑山)【大正中津川△梼原町/標高789.0m)】
おおひと(大人)
高知県に大人の足跡関連の小字が22か所。長宗我部地検帳にも「大人ノアト」とあることから中世以前の地名だ。
土佐町南川に「大人ノ足跡」や、四万十市平野の「大人(ホノギ/大人ノアト)」、安田町と高知市春野町弘岡中に「大道法師」などがあり、中世以前の地名であることがわかる。
巨人伝説はダイダラボッチが有名だが、柳田国男『ダイダラ坊の足跡』は全国事例を記述し、柳田国男『大太法師』には「土佐では高岡郡仁井田村に大人の足跡が岩の上に存して居る」とある。
おおひら(大平)
桂井和雄は越知町の大平を「桐見川の峡谷を眼下にした広大な山腹に展開する傾斜面の部落」と紹介し「草屋根の棟の側の屋根も大ヒラであり、破風のある側は小ヒラ」と述べる。
県下の小字で「大ヒラ」347と多く、「小ヒラ」も23か所ある。ただ、その多くは大平の漢字のイメージには程遠い急峻な山である。桂井の示す「大平」地名の9か所は、地形図に載る集落地名であり、確かに山間の小平地である。同じ「大平」でも小字地名とは意味合いが違うのだろう。山道の谷川まで落ち込んでいるところを「おーこわい。ビラビラで落ちたらイチコロで」といった。小字ではこんな危険な崖地や急傾斜地をビラと呼びオオビラ・コビラと地名を刻んだのだろうか。
おおほき(大保木)【昭和地区の集落、保喜(小野川・井﨑)、ホキ(影野・弘見)、鈴ノ保木(窪川中津川)、田ノ畝ホキ(日野地)、ホキ谷(一斗俵)、下モホキ(西ノ川)、ホキノヒラ(下津井)、屋式ホキ(茅吹手)横保キ(野々川)ほか】
昭和地区の10組ある班組編成の一つ。昭和地区の最下流域。
ホキは谷川両岸の山峡地で、崖を意味するホキ地名は広く中国・四国・九州に分布している。元来は崩壊によって生じたものであろうが、山岳や谷合などの切り立った崖をいう。大歩危などもその一つ。ホキ、ホケ、ボキ、ハゲ、ハカ、フキも同類の地名。
おおまたやま(大又山)【久保川△昭和/標高620m】
おおむかえ(王迎)【】
黒潮町の海岸に「王無浜」の石碑や土佐くろしお鉄道の海の王迎駅がある。王とは元弘の変(1332)で土佐に流罪となった尊良親王(後醍醐天皇の皇子)のこと。ここに「待王坂・大ナシ谷・国王サコ」などの故地地名がある。土佐は遠流の地だが、今では堂々と「王迎え駅」と名付る。尊良親王は流謫の地・幡多郡有井庄米原で「我が庵は土佐の山風さゆる夜に 軒洩る月も影こほるなり(新葉和歌集1124)」と詠む。土佐州郡志にも「無王浜・大奈志濱・待王坂」と有井庄司の由来地名があるが、大ナシはならし(平)の転訛で平坦地(海岸段丘)の地形地名か?
おか(岡)【大井川地区の集落】
大井川地区の8組の一つ。大井河神社に合祀される旧岡神社は竹窪に鎮座した東方鎮祀の役割。大井川地区の南東に位置する。国土地理院地形図に記載される地名。
おきじゅう(沖重)【大井川地区の字名】
大井川の沖重(おきじゅう)は、沖内(おきうち)と奥内(おくうち)が合併して成立した地名で「重」は漢字音の借用。家中、村中というような意を表示する国語にほかなるまい(ふる里の地名p100)。大井川地区内の班組名称の調査では沖内と記載ある。国土地理院地形図には「奥内」「沖重」とある。
おきぞり(オキゾリ)【上沖ゾリ(神ノ西)、ソリタ(高野)、ソリタノ内(宮内)、曽利田(仕出原)、京田ゾリ(東川角)他多数】
高南台地にあって、微高地が河川に平行して連なっている地形を呼ぶ、「河岸段丘」の方言(窪川町史p59)。高知県方言辞典には掲載されていない。
町内には、ホノギや字名に「・・ソリ」は多い。全国的にはソリは焼畑、焼畑あとの休閑地を意味するが、島根県太田市付近で少し高くて用水の掛けにくい田をソリ田という。高知県ではアゲと同じく高くて乾きのよい田所をソリクボという。 →「ソリ」を参照 →「天ノ川」の地名の由来を参照
おきだい(沖代)【松葉川地域の郷村】
明治9年(1876)7月、高知県下の村市分合、改称等により本在家村・柳瀬村・沖野々村・小野川村・西影山村・越行村・志和影山村の七か村が合併し「七里村」となる。この旧沖野々村が沖代となったのか、集会所の名が「沖代」である。
おきつとうげ(興津峠)【与津地△興津】
おきのの(沖野々)【松葉川地域の郷村】
おくおおどう(奥大道)【大字・大道の行政区】
おくうついがわ(奥打井川)【打井川地区の集落・行政区】
おくぐみ(奥組)【戸川地区の集落、地吉地区の集落】
愛媛県の砥部町・鬼北町・愛南町にも奥組があり、愛媛から伝播した地名の命名法か
おしたに(押谷・ヲス谷・押ヶ谷)【】
おそごえ(遅越)【】
桂井和雄『土佐の地名』は「遅越という峠も、十指に近いものをただちに拾うことができる」と述べ、県下各地の例を挙げる。「その多くが旧道の名称であり(略)出かけたものが用事を果たして帰る一日行程で自分の部落に帰り着くのに夕暮れて遅く越さなければならない峠の意味」と桂井は推考する。長宗我部地検帳にも見える中世以前の地名だ。
『十市村の地名の研究』には「ホソコエ(細越)が訛ってヲソコエ。獺とする説も」と紹介する。
柳田国男『葬送習俗事典』には「賽の河原は小児だけには限らぬ一つの葬送地であったらしいという想像を抱いている。その他人里近い山中にアシダニ、オソバ等の地名を伝えている所も、前代の葬送地かと思われる」と述べている。ヲソ場・ヲソの石(土葬の枕石)、ヲソ地などみるとそう思ってしまうが事例が少ない。
桂井和雄は「遅い時刻に越えた峠路」といい、松尾俊郎は「オソは”空(ウト)”に通じる言葉から切り通しの峠」と解釈する。「オソ」の付く地名では遅越77、ヲソ谷17、ヲソバ13、ヲソノ石2、ヲソヂがある。「ヲソ」が特別なモノや場所を指しているように思える。
「遅越(オソゴエ)」は西日本に分布し、高知県の小字は77所もある。語釈は「”遅”は”アサ(浅)”と同義であることは地図によっても認められ、”遅越”の地名は、短い近道とする山越えの所に命名されてる(民俗地名語彙事典)」とある。
すべてを小字図であたることはできないものの、多くは山越えの近道であることは理解できる。大月町頭集に「少越」の小字があるが読みは「おそごえ」とあることからも、隣の集落への山越えの近道といったところだろう。
新荘川の遅越はカワウソの通る峠道「獺越」なのだろうか。
高知県の小字にウソもホラもあるが、例えば、宿毛市宿毛に「ウソヶ谷」があるが「ヲソ谷」の転訛ではないか。
秋田のマタギは食事の前にオソ(口笛)を吹くという。日葡辞書には”VSO(ウソ・嘯):口笛”)。高知県下に「ヲソフキ」の小字が仁淀川町大平・黒潮町大方橘川、四万十市西土佐下家地にあるが、口笛を吹くことが地名になるのだろうか。
ホラ地名は「洞」を意味する場合が多いと思う。県西部に「ホラノカイ」3か所、法螺貝のことか。
おちあい(落合)【】
落合と出合、どちらも川の合流点を示す地名だが、高知県下の「落合」小字は92か所と断然多く、高知県中東部に多く分布する。「出合」小字は29か所で県西部の幡多郡に集中分布する。
電子国土Webで検索すると落合392、出合72か所で落合が断然多い。
おちで(落出)【】
国道33号線を高知から松山に向かうと愛媛県境の街「落出」となる。そこをもっと松山に進むと久万川と二名川が合流する「落合」となる。また類似の地名に「出合」や「川又」、「川口」がある。川の合流点の地形地名であるがニュアンスが少し違うという。愛媛では落合が多く15か所、出合は4か所で南予に多い。
おちだ(落田)【大井川地区の集落】
長宗我部地検帳に大井川村の枝村として落田村(刊本では荷田村とあるが誤植。十和村史も同じ)と記録される中世以前の地名。大井川地区の8組の一つ。県道332号昭和中村線沿いの四万十川左岸集落。
おとし(落シ)【】
京都府日吉町の天若道跡で縄文後期(約四千年前)の狩猟用の落し穴67基を発見。穴の底には落ちた獣が突き刺さるように槍状の仕掛けを一本ずつ埋めこんだとみられる穴があるという。高知県にはオトシアナの小字はないが「オトシ」小字が16か所。香美市に夢野・鹿落・猪落の小字が香美市の高知工科大学付近の「夢野」にある。付近に「夢の温泉」もある。夢野は日本書紀の仁徳38年の条や摂津国風土記に見える、夢野にいたという夫婦の鹿の説話。
片岡雅文『土佐地名往来』では獲物を狙って射手が身を隠すための設えが「射目(いめ)」で、射目野の転訛と紹介する。地検帳にも夢野の付近に鹿ヲトシの地名(猟場)がある。
ヲトシの類似地名に「牛落」小字6か所があり、龍神に捧げる雨乞い儀礼とおもわれる地名もある。また、高知市薊野のに落神の小字がある。『高知県史民俗編』の猟師と負い神の章に「土佐の山中には、厨子を背負うて巡った猟師もいた。土佐では背負ひ来た神を負い神とか落神とか称している」とある。猟師は殺生ゆえに信仰深い。
『高知県史民俗編』第五章狩猟第二節狩猟と信仰に「狩猟と負い神」の段(p307)が詳しい。
おとなし(ヲトナシ)【天ノ川・影野・下津井・古城・井﨑】
須崎市浦ノ内の鳴音神社(おとなしじんじゃ)は土佐の宮島ともいわれるパワースポットで有名。土佐国一之宮である高知市一宮の土佐神社・しなね様の元宮といわれる。オトナシの「ナシ」はナシ(無)ではなくナシ(成)・ナル(鳴)で逆の意味となる。
『ふる里の地名(十和村教育委員会)』には「滝があるのに下の山の上から聞けば、滝の水の音が全然聞こえないので、音無しと言う字名となった。音無神社(神体は竜玉宮)」と説明しているが、どうだろうか。
地名用語語源辞典には「祈願により川音を止めたという英雄伝説、高僧伝説が語られることが多く、今でも一般的にそう解釈されているが、地名の場合のナシは”無”の意味ではなくナス(成)の運用形ナシで”有”のほうである」と無でなく成の説明となっている。
電子国土Webで「音無川」を検索すれば全国各地に分布してヒットする。命名伝説には川音を止める呪術・霊験が似合うのだろうか。
高知県内のオトナシ(ヲトナシ)は、鳴無(ヲトナシ/須崎市浦ノ内東分の)、音無(津野町芳生野・大月町頭集・土佐清水市中浜)、音ナシ(越知町越知)、ヲトナシ(四万十市住次郎・四万十市西土佐玖木・宿毛市橋上・大月町姫ノ井)と高知県中西部にしか分布していない。このことからも須崎市浦ノ内の鳴音神社(おとなしじんじゃ)に関係した地名のように思える。
四万十町内では、ヲトナシ(天ノ川・影野・下津井・古城・井﨑)
『土佐地名往来(No22)』は須崎市浦ノ内の鳴無神社を詳しく紹介する。
おどりば(踊場・踊駄場)【踊駄場(木屋ヶ内】〔踊場(土佐市太郎丸、須崎市多ノ郷、四万十市平野、同井澤)、踊駄場(津野町烏出川)〕
柳田国男『地名と歴史』は、「踊り場」も境界地名と指摘し「遠く里離れた境界線にあるのも、今日の盆踊りから考えると不思議のようだが、やはり本来は亡霊を送る行事だったからである。二つの村の間には、おりおりこうという送り物の衝突があった」とも述べる。
また、柳田国男『踊の今と昔』定本⑦p425』は「村の小字に舞台又は踊場など云ふ地名多し。若し其地形が概して村の境又は民居の外辺などの交通の要衝に当るものならば即ち自分の説(踊りの目的は昔も今も災害除去・御霊寃癘の思想)を証するものなり」と踊場地名の意味と村界・交通の要所など所在する位置を説明している。四万十町には伊予境・地蔵山や、四万十市境・堂ヶ森に境相互の村人が集う奉納相撲の行事がある。
俳句で「踊場」は盆踊りの場所を指す季語となっているし、日常用語としての「踊場」は階段の半ばに設けられたいくぶん広い小休止の場所である。外の風景を眺め風を感じながら少しの秘密の語らいをする、そんな学校の踊場を想起する。校舎の踊り場は、非日常な開放空間であったように思う。「踊場」は信仰地名であり往来地名でもある。
『民俗地名語彙辞典』では「オドラ」「オドロ」について「雑草の密生した所。高知の東部」とある。『高知県方言辞典』にも「草木の乱れ茂っている所〔香美・幡多〕とある。オドラ・バが転訛してオドリバとなったかもしれないので、周辺環境から判断する必要がある。
高知県に「踊場」の小字が19か所。高知県西部に多く分布し県東部には一か所もない。高知県の「踊場」は村境はあまり見られず、長宗我部地検帳のホノギと比定されるところも少ないので、一般的な意味としての階段の踊り場的な地形をさすのかもしれない。
おどろ(オドロ)
『分類山村語彙』は「土佐・伊予の境では、羊歯類又は灌木蔓荊類の密生した場所、即ち藪をシブリ又はゴソという」とあり、伐採後の枝葉の堆積もそういうとある。高知県東部ではゴソ、県西部にシブリの小字があるが、数が少ない。私は県西部だが、ゴソの言葉をつかう。『分類山村語彙』はシブリ・ゴソに類似した「オドロ」を小枝がちの燃料またはそんな植物の叢生地と紹介する。
このオドロについて桂井和雄も『おらんく記』で「オドソ 荊棘灌木地帯(本川村寺川・吾北村)。オードソ(土佐山村)オドロ(中村市八束)。シブロ(本川村寺川)。シブクレ、オドソワラ(土佐山村)ともいう。」と説明。ただ、高知県小字一覧でさがしてもオドソは合致するところがない。オドロはオドロ石・オドリ石など18か所
おのがわ(おのがわ)【七里地区の集落・行政区、小野ジリ(影野)、見小野(魚ノ川)、小野(与津地)、小野(大字)、上ミ小ノ(十川)】
松葉川の中村に光明寺がありその棟札に「薬師堂 大檀那(中略)願主 小野川掃部」。天正地検帳にも小野川掃部とあり、小野川の地名は小野川氏の名より起こったものと辻重憲氏は『史談くぼかわ第5号』で七里の「小野川」を説明している。
苗字と地名の研究家・丹羽基二氏は「苗字の90%は地名から」という。辻氏のいう「小野川掃部」の苗字から地名という10%の確率を裏付ける説明はない。単に「小野」の「川」では面白くないのだろうか。
ちなみに、小野川の姓は、松葉川地域の小野川地区には小野川姓はなく、大正地域がダントツ多い。(大正大奈路13、大正12、大正中津川4、下道4、他)
おむろ(小室・御室)【小室(興津)、室林(藤ノ川)、日室(飯ノ川)、室ノ越(飯ノ川)、ムロヤシキ(桧生原・南川口)】
興津地区の集落名。白砂青松の小室の浜は「日本の水浴場八十八選」の一つで、四万十町を代表する佳境の地。
『土佐州郡志』には「小室」の由来を二つ記している。京都仁和寺の法親王が足摺に向かう途中暴風雨を避けてこの地に寄港した。それにちなんで、仁和寺の俗称である「御室」にしたという。もう一つは製塩の塩煮場が御室に転じたというもの(土佐地名往来194)。
『南路志』には小室でとれる五色の色彩を帯びた色貝を「・・此濱に色貝有、国中第一の名品也。」とあり、古来からの景勝地であることには間違いない。
神社の古語のオムロ(御室)もミムロと同じ意味で、ヒモロギ(神籬)からきた語でヒモロ(氷室)の転じたもの。ムロは神のいます所を意味する(松尾俊郎著「日本の地名」p141)。
桂井和雄氏が述べるように中村一条家と與津は密接な関係にあり興津八幡宮の聖林に由来する地名が一番妥当か(民俗選集②p262)。
四万十町の字マスターの読みは「こむろ」とあるが誤植ではないか。
おもや(母屋・主屋)【】
おらび(オラビ)【】
怪異現象に「オラビ」があり伊与木定『上山郷のいろいろ掻き暑めの記』に「葛籠川のオラビ」の話。姿なく全山を揺るがす雄叫びと木の葉を散らす「オラビ」。叫ぶことを全国各地の方言でオラブというとある。
『高知県方言辞典』では「オラブ:①叫ぶ。どなる②悲鳴をあげる」とあるが、オラビの記述はなく、地名もみあたらない。
おりあい(折合)【】
明治期の村は、山道の往来で結ばれていた。その道の痕跡を残す地名が「折合(織合)」で、二つ以上の山道が下りつく地点をいう。類似の「折付(83か所)」は山から集落に下りついてホッと大休止するところで、途中に小休止する「休場(452か所)」ともニュアンスが違う。それを地名は語っている。
高知県下には、仁淀川町大植字「ヲリアイ」、四万十町折合字「折合川」の2か所がある。
おりつき(折付)【】
「休場」が往来の小休止なら、「折付(オリツキ/83か所)」は山道を里に降りついたところの地名。車社会の今では理解できない地名だろうが、消えた旧往還を探す糸口となる地名だ。その半数47か所が県西部の幡多郡にある。四万十町江師の「ヲリツキ」は近くにヤドヤとカジヤの屋号があり当時の往来を物語る。
おりつき(折付・ヲリツキ)【折付(大井川)、ヲリツキ(高野・瀬里・希ノ川・江師・里川・昭和・大道・古城)】
峠越えの坂を下り付いたところで、折口(おりくち)、折戸(おりと)など同義。
おんじ(陰地・音地・恩地)【】
柳田国男は『地名と歴史』で「紀州大和辺から中国地方にかけて南東に山を控えて日当たりのよくない土地をオンジ(陰地)といい、またヒウラなどという語もある」と述べる。作物を作るには日照条件が一番で「日」やその対となる「陰」が地名に多く刻まれることは多い。陰陽は中国由来で山の北が山陰、南側が山陽となる。
高知県にオンジ小字が32か所、カゲジ小字が67か所。オンジは高知県西部の幡多郡に多く分布し、カゲジは県下全域に分布する。難解なのは「日ノ浦・日裏(ヒウラ)」地名で普通なら日陰なのだが、ウラが内の意で日の当たる土地をいうところもある。高知県には、「ヒウラ」小字が294か所もあり、日照地名の代表的な地名で県中東部に多く分布する。「ヒノジ(日野地・日ノ地)」は50か所と少なく、長宗我部地検帳のホノギにもないことから新しい地名と言える。吉野正敏『気候地名をさぐる』は日向・日影・日浦の全国分布図を示している。
(20251109現在)
■語源
■四万十町の採取地
■町外の採取地
