よくある地名の語源 「お」

おおいがわ(大井川)【道徳から東又川合流点までの河川名称・十和地域の大井川地区】

「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川」は有名な馬子歌。箱根以上の往来難所の大井川であるが、渡し船を設けなかったのは川越人足の雇用を守る幕府の雇用政策であったという。日本地名語源辞典では「オホヰ(大堰)の意で、大きな井堰のあった所」とある。

 ヰ(井)は井堰とともに水路や川の意味もあるので、大井は大きな川。それにカワ(川)が接尾語として重複されたもの。

おおきれ(大切・大切レ)【七里(越行)】

 

おおなかおやま(大中尾山)【野々川/標高620.6m)

 

おおはた(大畑・大畠・大バタ・大畑山)【大畑(峰ノ上・仕出原・下呉地・替坂本・大道・地吉・十和川口)、大畑山(峰ノ上・窪川中津川・木屋ヶ内】

 

 

おおばたけ(大畑・大畠)【大畠(浦越・茅吹手)

 

おおはたやま(大畑山)【大正中津川△梼原町/標高789.0m)

 

おおほき(大保木)【昭和地区の集落、保喜(小野川・井﨑)、ホキ(影野・弘見)、鈴ノ保木(窪川中津川)、田ノ畝ホキ(日野地)、ホキ谷(一斗俵)、下モホキ(西ノ川)、ホキノヒラ(下津井)、屋式ホキ(茅吹手)横保キ(野々川)ほか】 

 昭和地区の10組ある班組編成の一つ。昭和地区の最下流域。

 ホキは谷川両岸の山峡地で、崖を意味するホキ地名は広く中国・四国・九州に分布している。元来は崩壊によって生じたものであろうが、山岳や谷合などの切り立った崖をいう。大歩危などもその一つ。ホキ、ホケ、ボキ、ハゲ、ハカ、フキも同類の地名。

おおまたやま(大又山)【久保川△昭和/標高620m】

 

おうぎやま(扇山)【窪川中津川/標高651.5m】

 

 

おおた(太田・大田)【】

 

おか(岡)【大井川地区の集落 

 大井川地区の8組の一つ。大井河神社に合祀される旧岡神社は竹窪に鎮座した東方鎮祀の役割。大井川地区の南東に位置する。国土地理院地形図に記載される地名。

おきじゅう(沖重)【大井川地区の字名】

  大井川の沖重(おきじゅう)は、沖内(おきうち)と奥内(おくうち)が合併して成立した地名で「重」は漢字音の借用。家中、村中というような意を表示する国語にほかなるまい(ふる里の地名p100)。大井川地区内の班組名称の調査では沖内と記載ある。国土地理院地形図には「奥内」「沖重」とある。

おきぞり(オキゾリ)【上沖ゾリ(神ノ西)、ソリタ(高野)、ソリタノ内(宮内)、曽利田(仕出原)、京田ゾリ(東川角)他多数】

 高南台地にあって、微高地が河川に平行して連なっている地形を呼ぶ、「河岸段丘」の方言(窪川町史p59)。高知県方言辞典には掲載されていない。

 町内には、ホノギや字名に「・・ソリ」は多い。全国的にはソリは焼畑、焼畑あとの休閑地を意味するが、島根県太田市付近で少し高くて用水の掛けにくい田をソリ田という。高知県ではアゲと同じく高くて乾きのよい田所をソリクボという。 →「ソリ」を参照  →「天ノ川」の地名の由来を参照

おきつとうげ(興津峠)【与津地△興津】

 

おきのの(沖野々)【松葉川地域の郷村】 

 

おくおおどう(奥大道)【大字・大道の行政区】 

 

おくうついがわ(奥打井川)【打井川地区の集落・行政区】

 

おくぐみ(奥組)【戸川地区の集落、地吉地区の集落】

 愛媛県の砥部町・鬼北町・愛南町にも奥組があり、愛媛から伝播した地名の命名法か 

おしたに(押谷・ヲス谷・押ヶ谷)【】

  長

 

おそごえ(遅越)【】

 

おちあい(落合)【】

おちだ(落田)【大井川地区の集落】

  長宗我部地検帳に大井川村の枝村として落田村(刊本では荷田村とあるが誤植。十和村史も同じ)と記録される中世以前の地名。大井川地区の8組の一つ。県道332号昭和中村線沿いの四万十川左岸集落。

おとなし(ヲトナシ)【天ノ川・影野・下津井・古城・井﨑

 須崎市浦ノ内の鳴音神社(おとなしじんじゃ)は土佐の宮島ともいわれるパワースポットで有名。土佐国一之宮である高知市一宮の土佐神社・しなね様の元宮といわれる。オトナシの「ナシ」はナシ(無)ではなくナシ(成)・ナル(鳴)で逆の意味となる。

 『ふる里の地名(十和村教育委員会)』には「滝があるのに下の山の上から聞けば、滝の水の音が全然聞こえないので、音無しと言う字名となった。音無神社(神体は竜玉宮)」と説明しているが、どうだろうか。

 地名用語語源辞典には「祈願により川音を止めたという英雄伝説、高僧伝説が語られることが多く、今でも一般的にそう解釈されているが、地名の場合のナシは”無”の意味ではなくナス(成)の運用形ナシで”有”のほうである」と無でなく成の説明となっている。

 電子国土Webで「音無川」を検索すれば全国各地に分布してヒットする。命名伝説には川音を止める呪術・霊験が似合うのだろうか。

 高知県内のオトナシ(ヲトナシ)は、鳴無(ヲトナシ/須崎市浦ノ内東分の)、音無(津野町芳生野・大月町頭集・土佐清水市中浜)、音ナシ(越知町越知)、ヲトナシ(四万十市住次郎・四万十市西土佐玖木・宿毛市橋上・大月町姫ノ井)と高知県中西部にしか分布していない。このことからも須崎市浦ノ内の鳴音神社(おとなしじんじゃ)に関係した地名のように思える。

 四万十町内では、ヲトナシ(天ノ川・影野・下津井・古城・井﨑)

 『土佐地名往来(No22)』は須崎市浦ノ内の鳴無神社を詳しく紹介する。

 

おどりば(踊場・踊駄場)【踊駄場(木屋ヶ内】〔踊場(土佐市太郎丸、須崎市多ノ郷、四万十市平野、同井澤)、踊駄場(津野町烏出川)〕 

 柳田国男は「村の小字に舞台又は踊場など云ふ地名多し。若し其地形が概して村の境又は民居の外辺などの交通の要衝に当るものならば即ち自分の説(踊りの目的は昔も今も災害除去・御霊寃癘の思想)を証するものなり(『踊の今と昔』定本⑦p425)」と踊場地名の意味と村界・交通の要所など所在する位置を説明している。

 俳句で「踊場」は盆踊りの場所を指す季語となっているし、日常用語としての「踊場」は階段の半ばに設けられたいくぶん広い小休止の場所である。外の風景を眺め風を感じながら少しの秘密の語らいをする、そんな学校の踊場を想起する。校舎の踊り場は、非日常な開放空間であったように思う。「踊場」は信仰地名であり往来地名でもある。

 民俗地名語彙辞典では「オドラ」「オドロ」について「雑草の密生した所。高知の東部」とある。高知県方言辞典にも「草木の乱れ茂っている所〔香美・幡多〕とある。オドラ・バが転訛してオドリバとなったかもしれないので、周辺環境から判断する必要がある。

 

おのがわ(おのがわ)【七里地区の集落・行政区、小野ジリ(影野)、見小野(魚ノ川)、小野(与津地)、小野(大字)、上ミ小ノ(十川)】

 松葉川の中村に光明寺がありその棟札に「薬師堂 大檀那(中略)願主 小野川掃部」。天正地検帳にも小野川掃部とあり、小野川の地名は小野川氏の名より起こったものと辻重憲氏は『史談くぼかわ第5号』で七里の「小野川」を説明している。

 苗字と地名の研究家・丹羽基二氏は「苗字の90%は地名から」という。辻氏のいう「小野川掃部」の苗字から地名という10%の確率を裏付ける説明はない。単に「小野」の「川」では面白くないのだろうか。

 ちなみに、小野川の姓は、松葉川地域の小野川地区には小野川姓はなく、大正地域がダントツ多い。(大正大奈路13、大正12、大正中津川4、下道4、他)

 

おむろ(小室・御室)【小室(興津)、室林(藤ノ川)、日室(飯ノ川)、室ノ越(飯ノ川)、ムロヤシキ(桧生原・南川口)】

 興津地区の集落名。白砂青松の小室の浜は「日本の水浴場八十八選」の一つで、四万十町を代表する佳境の地。

 『土佐州郡志』には「小室」の由来を二つ記している。京都仁和寺の法親王が足摺に向かう途中暴風雨を避けてこの地に寄港した。それにちなんで、仁和寺の俗称である「御室」にしたという。もう一つは製塩の塩煮場が御室に転じたというもの(土佐地名往来194)。

 『南路志』には小室でとれる五色の色彩を帯びた色貝を「・・此濱に色貝有、国中第一の名品也。」とあり、古来からの景勝地であることには間違いない。

 神社の古語のオムロ(御室)もミムロと同じ意味で、ヒモロギ(神籬)からきた語でヒモロ(氷室)の転じたもの。ムロは神のいます所を意味する(松尾俊郎著「日本の地名」p141)。

 桂井和雄氏が述べるように中村一条家と與津は密接な関係にあり興津八幡宮の聖林に由来する地名が一番妥当か(民俗選集②p262)。

 四万十町の字マスターの読みは「こむろ」とあるが誤植ではないか。 

 

おもや(母屋・主屋)【】

 

おりつき(折付・ヲリツキ)【折付(大井川)、ヲリツキ(高野・瀬里・希ノ川・江師・里川・昭和・大道・古城)】

 峠越えの坂を下り付いたところで、折口(おりくち)、折戸(おりと)など同義。

おんじ(陰地・音地・恩地)【】

 

(20230121現在)


ちめい

■語源

 

■四万十町の採取地

 

 

■町外の採取地