よくある地名の語源 「さ」

20251228胡

さいさい(細々)【河内の旧村名】

 

  

さいのう才能)【旧窪川町の各地】

 県下でも窪川地区に多く分布するホノギ、字の地名。山際の水利に関する田畦の地形地名。

 全国的にも稀な才能姓が家地川にある。          詳しくは→「さいのう」

 

ざいけ(在家)【】

 

さいのかわら(賽の河原)【】

 「賽の河原」は全国各地にある。死出の旅(しでのたび)の途中にある河原では、親に先だった子供は三途の川を渡ることはできず、その手前にある賽の河原で必ず積み石の所作を自然とすることになる。サエは境、カワラは死者がこれから向かう小石河原のあっちの世界。それは葬所を意味し、古来の葬制である洞窟葬が石を積んで封じていた。その名残の所作が「石を積む」ことなのだろう。登山におけるケルンもこの意味だろう。ギリシャの「シーシュポスの神話」のようだ。

 県内には高知市土佐山高川に小字「サイノ川原」があり、梼原町豊原には、山越えで飯母や梼原に向かうその村境の稜線に小字「死出ノ峠」「庵ノ川原」「供養畝」3か所が連なる。この「庵ノ川原」は地検帳のホノギにも記録される中世以前の地名だが「賽の河原」の誤翻刻ではないかと思える。中世以前の常民は村境若しくは越境した山深い地に遺棄(風葬)したという。

 『葬送葬制研究集成』には、「常民は今日いうが如き土葬は行なわず、死体は遺棄されるべきものであったし、忌み嫌うべきものであった。従って境を意味する”サイノカワラ”が多くの埋葬地の名称として使用され、しかもその名の如く、埋葬地は村境に設置されることが多い」と田中久夫は述べる。

 柳田国男『葬送習俗事典』は賽の川原(さいのかわら)について「賽の川原と呼ばれる地は極めて多い。そして多く小児の死に関連した石積みの話を伝えているようだ。これは多分仏教からの影響であって、その一つ以前の形があった筈である。私はそこには、小児だけでには限らぬ一つの葬送地であったらしいという想像を抱いている。その他人里近い山中にアシダニ、オソバ等の地名を伝えている所も、前代の葬送地かと思われるということは『山村語彙』に述べていた。」とある。

 

 

さかしま(坂島)【下津井】

 

さぎのくし(鷺の串)【家地川】

 

さがわ(佐川)【下津井。国有林野】

 

さきやま(崎山)【十川△久保川/標高568.5m】 

 

さくしき(作式・作敷・作識)【】 

 中世、作人がその請作(うけさく)地についてもっていた耕作権と収益権を「作識(さくしき)」といった。

 土佐藩における新田開発には、①領知=郷士の新田②役知=領知以外の新田③「作式」=庶民の資本、労力によって開発された新田がある。平尾道雄『土佐藩農業経済学史』は新田開発の経緯と開発の歴史が見える。作式・21か所の小字の大部分が幡多地域に分布し、嶺北農民の蜂起も見える(平尾道雄『土佐藩農業経済学史』p60)。

 「領知」いうのは郷士の領有する新田で、家中武士の知行以外に開発した新田、または郷土の領知高以外のものは「役知」と呼ばれ、庶民の資本、労力によって開発した新田は「作式」と称した。

 

さこ(迫)【各地】

 

ささげしり(大角豆尻)【】〔須崎市下郷の大角豆集落、大角豆尻(南国市廿枝、須崎市下郷、大月町添ノ川)〕 

 大角豆は「ささげ」と読み、日本書記にも「荳角皇女を生みます。荳角、此を娑佐礙(ささげ)と云う」とあり、「大角豆」の初出は平安時代の『延喜式』『和名類聚抄』に「大角豆 一名白角豆(佐佐介)色如牙角故以名之」とある。莢(さや)を牙にみたて「細細牙(ささげ)」といった説、莢の先端が角ばっている説、莢があたかも物を差し上げたような形状をしている説などある。日本でも古くから栽培されている。

 語尾の「尻」は、高知県方言辞典が示すように「一定の作物を作る畑」のことで芋尻、胡麻尻、黍(キビ)尻、牛房(ゴボウ)尻、麦、稗など作物の語尾に着く場合が多い。

 ただ、○○尻と書かれた高知県内の小字は350余りある。川尻、池尻、井尻、谷尻、釣井尻や馬屋尻などの例もあり「畑」だけでは説明がつかないところもあり、「ものの後ろの部分」を意味する地形地名とする場合もある。

 

ささひらやま(笹平山)【大道△下津井/標高1034.8m】

 

さだぶん(蹉跎分)【中世の広域地名】

 中世の仁井田庄が仁井田庄八郷八番と言われたころの八郷の一つ。宮内村、仕出原村の蹉跎分2か村で神願分、神願番と言われた。金剛福寺の支配下であったため蹉跎山金剛福寺の号をとったもの。蹉跎は、サダは動詞サダル”落ちる”の語幹で”断崖”とか”陸が海に落ちた所=岬の説があり、山中の場合はサ”狭”・タ”所”などの意味があるが、谷川健一氏の「大隅半島の佐多岬、愛媛県の佐田岬などのサタは、先立つとか先導するという意味を持っている。海の向こうからやってくる神を迎える”サダル神”に由来。ミサキは御先で、サタとミサキは同義語」が一番しっくりくる。蹉跎岬は足摺岬の別称。

 

さで(サデ)【峰ノ上・檜生原・家地川・日野地・影野・弘瀬・市ノ又】

 樹木のない山の急斜面や伐木を落とすため急傾斜地の木を払った部分を静岡や和歌山や四国でこう呼ぶ。和歌山では伐木を落とす作業をサデという(分類山村語彙)。その材の搬出作業の進化形に「スラ(シュラ・修羅)」がある。山の傾斜面を利用して材木を投げ落とすため、路に敷く丸太の装置、その作業をスラという。スラスラという擬態語が地名になったひとつ。もっと発達した山中での運材装置は木馬(キンマ)である。緩やかな勾配の山道に簡便な枕木を敷き、その木馬道に材木を積んだ木組みを人力で引き滑らせる。滑るほどに危険な山仕事である。その後、軌道を敷設したトロッコ、それを機関車が牽引する森林鉄道に発展し、車社会の到来によりトラックへと進化していった。

 高知県方言辞典ではスラについて、うえの運材装置の説明のほかに、砂の上を船を動かすときに下へ敷く木(香南市)、湿気を防ぐため米俵の下に敷く角材(三原村)もスラと呼ぶとある。

 四万十町内の字名では、サデガスソ(家地川・影野)、サデノスソ(檜生原・弘瀬・市ノ又)、サデガ谷山(峰ノ上)、フタサデ(日野地)がある。また、長宗我部地検帳に記録された中世以来の地名(ホノギ)として、サテノスソウ子(檜生原)、サテノスソ(若井川・家地川・影野) 

 

ざとう(座頭)【】 

  桂井和雄『土佐民俗記』は”オンバ”について「オンバの語であるが、是は単純に土佐で言う尻尾の方言のオバの転訛である」と述べ、またザトウクジラについても「座頭の姿を連想して、是を座頭鯨と馴呼してきた一群の日本人があった」と加える。英語でもHumpback Whale=猫背の鯨=座頭の背中全体の丸みをいう。

 県下には2つの「座頭」小字(四万十市三里字ザトウ谷・四万十市久保川字座頭ダキ)がある。

 高知県下の11万の小字には瞽女(ゴゼ)や座頭やメクラなど今では差別語となる小字地名がある。

 

さねひろ(実弘)【井﨑地区の集落・組】

 

さねもり(実盛)【】

 柳田国男『地名と歴史』は、往時の村境をしめす手引として事例をあげている。村境の外的侵入は人間だけでなく「目に見えぬ悪霊を追却することもあった」として虫送りの地名「神送り場・虫ヶ原・雲霞山(ウンカ)」を示し、「夜は炬火をたいてここ(村境)まで送ってきた。稲の害虫をなぜかウンカと称す」と説明する。

「実盛」地名について『地名用語語源事典』は「害虫送りの行事、またその場所」と紹介しつつ、「斎藤別当実盛の祟りで稲虫がつく云々という伝承があるが、単純にサネ(実)・マモリ(守)と解すべきだろう」と注釈する。

 県内では「虫送」地名が大月町弘見に見えるが、一般的には「実盛(サネモリ)」なのだろう県下に11か所の小字が見える。

『夜須町風土記』『山田、南国伝説散歩』『本川の民話』に実盛民話もある。

 高知県の「実盛」小字11か所について、小字図から数か所をあたってみた。いずれも村境(現在の大字境)だった。虫送りだけでなく悪霊を追い払う儀式であったかもしれない。

①香南市野市町中ノ村字実盛

②中土佐町久礼字実盛公

③四万十市蕨岡字サ子ノ森

④四万十市楠島字サ子モリ

 

さばい(サバイ・作倍・五月蠅・佐婆為)【サハイダ/仕出原、作倍・サバイ/香南市新宮、サバイガキ/香南市口西川、サバイギ/四万十市田野川乙】 

 高知県の中央部に多い小地名。サバイの語尾に「田」が付くことから、高知でいう「オサバイ様」で、田んぼの神様に関係する地名。高知方言辞典ではサバイは蚜虫(ありまき)と書いているが、アブラムシのことか。

 柳田国男の『田の神の祭り方(定本⑬p370)』にサバイについて詳しく書かれている。佐渡地方では用水から、水を引く最初の田を水口田といい田植え初めの儀式をする。三把苗を三つ構えて執り行うという。山の神が田の神として迎える祭事が水口祭であり、四国中国地方の「オサバイ様の祭り」となる。柳田は「オサバイ様の祭をする田はなるべく苗代から近くにある三角の田を選ぶ」と述べている。耕作する者が三角の形や三の数詞に神の依代としてのチカラを期待したのであろう。サバイは、田初めの神事の三把苗・サンバナエの転訛とも思える。サバイの語尾に付けられたサバイガキやサバイギの地名はオサバイ様の儀式に挿すための木を採取したことによる名づけであろう。

 香南市新宮に作倍の漢字を当てたサバイ地名がある。サは耕作のことを言う古語でもある。サッと伸びる生い立つ勢いを感じる「サ」は、サ・苗として水がはられ田にサ・乙女が植えていく。五月はゴがつではなく、サつきがふさわしい。 

 

さる(猿)【】

 松尾俊郎『日本の地名』に「猿には断崖の立岩や崖地に関連したものが多い」とあった。県内の「猿」小字は342か所と多く、なかでも猿滝38、猿嶽5、猿喰12と断崖や崩壊地らしき地名が目に付くのはザレの猿転訛だろうか。猿走11、猿押6は狩猟の用語だろうが、一番多い猿屋40の意味は不明。

 マタギや山師にとって「猿=去る」は忌詞で『高知県史民俗編』に「山師たちの(中略)忌み言葉に猫・猿・坊主という言葉」とある。山言葉で猿を「キムラ」、十和では「ヘンテコ」「ヨツアシ」と呼ぶ。宿毛市黒川に木村ヤシキ、三原村柚ノ木にキムラの小字。香美市物部別府に四ツ足峠がある。大月町添ノ川に「猿クライ」という小字があり「うまくらい」と読みがふられている。猿が厩の守り神であるという信仰は古く、単なる間違いともいえない(写真は鎌倉時代の『一遍聖絵(1299)』)。県下に「馬」の小字は497か所と「猿」より多い。馬ジ63、馬越46、馬床34、馬木29。佐川町に「猿丸峠」がある。説明板には猿丸大夫伝説の墓(弓削浄人)とあり兄道鏡に連座して土佐に配流されたとある。民間伝承では日光二荒山神社の神職小野氏の祖「小野猿丸」=猿丸大夫の伝説があり、全国各地に流布され猿丸屋式の地名が刻まれている。この短縮形が「猿屋」か。一般的には、猿まわしの大道芸人が猿屋である。吉田茂樹『日本地名語源辞典』には「サルヤ(猿屋) 愛媛県大洲市の地名で、河谷上流に立地。”サルヤ(避屋)”で、離れた集落の意」とあるが?だ。柳田国男『神を助けた話』に小野猿丸・猿田彦・猿女と猿屋・木地師の話がある。しっかり読もう。

 谷川健一『続日本の地名』は猿のつく地名について「猿渡川(熊本県矢部町)は猿が渡る川ではない。山が崩れ欠けたところをザレといい、崖地の下を流れる川を渡る場所が猿渡である」と述べ高知の猿渡を紹介する。サルワタリは南国市、四万十市、大月町にある。梼原町などの佐渡は転訛?。

 高知県下の小字に「猿滝38・猿嶽5・猿走11・猿飼2」あるが、滝や嶽は崩壊地名でもあり、飼は峡の転訛ともいえる。小字を見れば土佐の奥山ばかりで、山峡の崩壊地をイメージする。土佐市塚地に猿橋もある。甲州道中を歩いたとき日本三奇橋の一つ「猿橋」に出会った。美しく技術的にも最高水準だ。

 

さんがつでん(三月田)【】 

  廣江清『長宗我部地検帳の神々』に三月三日に神事を行う土佐の神社は78社あり、同日にイソアソビをするのも、農作のまえに邪気を払い禊をする行事だろうという。行事の内容は不明だが神社の祭祀祭礼の経費に充てられる免税田「三月田」が高知県下に10か所ある中世以前の地名だ

 

 

さんでん(散田)【七里(柳瀬)】

 

さんはく(サンハク)【】

 

 

さんまい(三昧)【】

 『葬送葬制研究集成』に「讃岐の弥谷寺のイヤ谷・イヤ山などという地名はサンマイとよぶ埋葬地以前の風葬地ではなかったか」とある。今は三昧は好き勝手にする意だが法華三昧堂のように宗教用語だろう。『日葡辞書』には「サンマイ ハカドコロ。寺院の墓地」とある。

 県内の小字「サンマイ」は三枚の漢字が当てられているのが7か所。三昧(サンマイ)とは違うかもしれないが、イヤ谷も含め悉皆調査が必要だ。「イヤ・イヤ谷」は県下に47か所の小字があり、イヤ地名は長宗我部地検帳にもみえる中世以前の地名だ。高知方言でイヤスといったら「穴を埋める」意味だ。