よくある地名の語源 「た」


たのの(田野々)

20160614初

20170812胡

■語源

 田野々は、四万十町発足前の旧大正町の大字地名で、大正町役場の所在地である。中世以前、長宗我部地検帳にもでてくる由緒ある「田野々村」である。この田野々は、「平成の合併」という地名潰しの大惨事により『消えた地名』となったひとつでもある。

 

 大正町史資料編には「田野々村は、中央に丘陵(森駄場)を残し、旧河道跡に平地が開けた地名であり、地名の『たのの』は『たなの』がなまり変わった言葉で、段丘のある開き地に由来するといわれている」とある。

 これをもとに各種地名辞典で「田野々」の語彙を調べてみたがなにもみあたらない。田野をみると「田・野」とあるだけである。

 子どもの頃「田野々」を「タンノ」とリエゾンして呼んでいた。 「丹野」、「端野」などで検索すればもっと見つけることができるだろう。遠野も転訛した一つかもしれない。

 

 各地の田野々をGoogleアースでみてみると、山間地に位置する棚田のある風景であり、豊かな水の流れる暮らしである。「田野」で検索すれば、314件の結果が表示されるほど、全国に分布する地名である。  

 

 吉田東吾「大日本地名辞書」では、田野々が1件(この大正だけ)だが、田野・多野となると10か所以上である。それなりの出自があることだろう。 

 また、「〇野々」地名、特に「市野々」の地名が東北に多く分布する。全国の「市野々」地名は、山形県米沢市市野々、山形県新庄市市野々、山形県尾花沢市市野々、山形県小国町市野々、福島県喜多方市市野々、千葉県木更津市市野々、千葉県いずみ市市野々、新潟県糸魚川市市野々、石川県野々市市野々市、和歌山県那智勝浦町市野々と多い。

 

▽「野々」地名の不思議

 田+の(助詞)+野と解釈すれば由来を考えることもないが、「〇野々」の地名をよくみかけるので、「田」と「野々」と二つに分けて考えてみる。田でなく「野々」に地名の意味をみつけるのである。

 そういえば町内には「野々川」や「神野々」、「古味野々」があり、近くには「市野々川・市野瀬(黒潮町)」や「姫野々(津野町)」、「鍵野々(津野町)」、「宮野々(中土佐町)」、「槇野々(中土佐町)」がある。電子国土Webで「野々」を検索すれば397件、全国各地で見つけることができる。特に多いのが市野々で53件ある。同一地区で重複する検索結果もあることから正確ではないが、北海道から宮崎県までまんべんなく分布し、東北地方特に山形県に多く見られる。

 四万十町内の微細地名(字)で探す「野々」地名は、萩野々(見付)、杭野々(南川口)、嶌野々(南川口)、沖野々(七里・米奥)、菅野々(上秋丸)、堂野々(壱斗俵)、野々又(床鍋)、ツエノ野(替坂本)、ソイノノ(本堂)、興野々(与津地)、神野々(数神)、フキノノ(道徳)、コイ野々(大正北ノ川・烏手)、古味野々(大正大奈路)、イノ野(下津井)、野々串(大井川)がある。

 

▽「ノウノウ」は神への祈り

 黒潮町の市野瀬は修験道の霊山「御所の峰」の麓にある集落で、巫女のイチに関連する地名と思われると他のコラムで述べたところである。筒井功氏もイチの研究のなかで黒潮町の市野々について言及しているが「野々」の説明はない(「葬儀の民俗学」p168~) →Vol.05:「イチ」の付く地名の謎

 この「野々」の前にくる「姫」も「宮」も「槇」も神仏に関連する用語である。

 編集子が子どものころ「のーのーさん」と神様仏様を幼児言葉で呼んでいた記憶がある。「のーのー」は「野々」のことのようだ。高知県方言辞典にも「のーのー(p471)」の項に『【幼】神様・仏様。梼原・中土佐・窪川』とある。

  

 楠原・溝手『地名用語語源辞典』では「巫女に関する地名か。信州では巫女のをノノということからである。」とある。巫女研究の第一人者の中山太郎が「信州の北部では巫女をノノーといっているのに反して、南部ではイチイといっているという(日本巫女史p270)」というのを引用したのだろう。中山氏は同書で「信州は古くから巫女の名産地。信州では口寄巫を一般にノノウと呼び、神社に属して神楽を奏する巫を鈴振ノノウと云ふ」と日本第一の巫女村である禰津村のノノウ暮らしについて詳しく述べている。

 柳田國男は「 沖縄では花がノウノウ、肥後の葦北郡でも花をノウノウ又はナナ、同球磨郡には美しいをナナカという形容詞も出来て来て、伊豆新島でも供花がノンノウであるといふ・神仏などを拝む人の言葉が常にナウナウを以て始まる」と述べ、ノウノウが単なる幼児言葉や方言だけでは説明できない古い言葉のようである。

 

 ノウノウが大和言葉で説明できないこと、沖縄から北海道まで分布することから縄文地名、アイヌ語地名ではないかと考えて「沖縄地名考(宮城真治著)」、「地名アイヌ語小辞典(知里眞志保著)」、「北海道蝦夷語地名解(永田方正著)」を読んだが理解に至らなかった。

 Webで検索したら「アイヌ語電子辞書(管理者:東京都八王子市 富田隆氏)」のサイトがあった。「nonno:花」とある。ファッション雑誌「ノンノ(nonno)」は女性が花のように美しくあってほしいという願いを込めてアイヌ語の花(nonnno)から名付けられたという。ノンノの語呂が先行誌アンアンに共通しているところも選考理由という。

 柳田國男も花をノウノウと沖縄や熊本県葦北郡で言っていると説明している。

 

 「田」について説明する必要があるが、地名を学ぶ基本は漢字でなく音韻である。 「タ」は①平の意で、耕作用地の意に用いられる。②ヘタ(辺)、ハタ(端)のタ、遠近を表すアナタ、コナタのタがあり、場所を表すタがある。

 タが本来的に水田を表す語ではなく、タ・トに同じく場所、地面、平坦地一般を同源の派生語であると述べていること(民俗地名語彙辞典)に理解する。

 

▽「たのの」は熊野神社の神領地?

 高知新聞夕刊(2007年9月25日付)の「土佐地名往来」に田野々が紹介されている。片岡雅文記者の署名連載コラムは、現在まで県内各地600ヶ所を現地踏査し記事にしている。 詳しく知りたい方は→当hp「地名データブック」から地名と連載日、その要約を。詳細は県立図書館・高知新聞データベースを利用されたい。

 片岡氏は記事で「大正町史 資料編」を引用し「田野々村は、中央に丘陵(森駄場)を残し、旧河道跡に平地が開けた地形であり、地名の『たのの』は『たなの』がなまり変わった言葉で、段丘のある開き地に由来」と紹介するにとどめている。

 確かに上山郷に入ってきた田那部一族がここらあたりでは開けた土地であり「たのの」と名付けたかもしれない。

 

 大正地域には、縄文遺跡はあるが弥生遺跡はまだ見つかっていない。農地も少なくその大部分は山林である。縄文の語が色濃く残っている土地、佐賀の熊野浦から市野々をとおり、上山郷に入ってきたことを「熊野神社」と関連付けてて、平坦な神領地と理解したい。今の段階での推理である。 

 

■四万十町の採取地

  長宗我部地検帳の仁井田郷平野村の段に「田野々セイ本」のホノギがある。

 

■町外の採取地

  「田野々」の地名は、高知県内外にも各地にある。電子国土Webは

①南国市田野々

②梼原町田野々

③徳島県三好市田野々

④徳島県上勝町田野々

⑤香川県観音寺市田野々

⑥三重県熊野市田野々

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