けごや(警固屋)【】
警固屋をケイゴヤと読むと「警固する人たちの小屋。警固する兵士たちの詰所」で、ケゴヤと読むと「敵勢の動きを見守る建物」の意味だそうだ。「警固屋」は敵の動静を監視する建物で簡易な出城なのだろう。県内に「ケゴヤ」らしき小字が19か所ある。地検帳のホノギとしても記される中世以前の地名で、安芸・香美の2か所は「ケイコヤ」で他は「ケコヤ」。
大豊町立川のケゴヤが『高知県文化財地図情報システム』にあったので、ついでに高知県内の山城等をgoogleマップにして公開。https://www.google.com/maps/@33.3353143,132.7822968,176424m/data=!3m1!1e3!4m2!6m1!1s1NoR9BDH6dB2yQ4M3C6scE-Vz1MOE8hU?hl=ja
けた(桁・毛田)【本山町木能津桁集落、四万十市西土佐須崎下桁集落ほか山間部に多数】
高知県山間部の地形地名で山の中腹部を桁という(民俗地名語彙辞典)。一般的には、家屋の梁や橋梁の桁など、構造物の水平にかけわたされた部材の名称をいう。他の県では、陸に近い海・波打ち際をさす地名例があるが高知県内はすべて山間地域である。
『分類山村語彙』にケタがあり「海岸の地名にはケタといふものが昔から多い。台地又は段丘の意と解せられている」として、これが山村地形になっている例として「土佐などが最も著しく、多くは川に沿うた高い平地。吉野川上流では山の上の方」と説明する。
桂井和雄は「吉野川の一支流を遡った奥地に即と記す奇名の小部落がある」として「桁」地名を数例示し、『寺川郷談』の「山の峯をケタと云」を引用し、「その語源はわからないが、どうやら山の峰に近い収穫のない土地を意味しているようである。」と述べる。
『明治大正時代国府村民俗語彙』では「けた 峯・山ノ高キ所・畝・岸ノ上」とある。土佐町東石原の峯石原に大桁・石神ケタ・新屋桁の三つの桁地名がある(地形図参照)。
災害地名に詳しい小川豊は『地名と風土』で「背後の山から地滑った土が、麓に堆積してケタをつくる」と説明するが、嶺北一帯は地滑り地帯、峯石原集落もそのような中腹の小平地といった地形である。
建築物の構造の「桁」。屋根の垂木を受ける水平材の呼称だが、地方によっては屋根裏・中二階をさし、高くて平らな場所の意もある。「高くて平らな場所」といえば、高知県では大豊町の山の上段に集落が広がる景観を思い出す。大豊町怒田集落は、谷川から山稜の中腹部(標高5,600m)の緩傾斜にあり、それより100m位高い所の小平地。まさに集落の二階といったところに、土地を開いたのだろう。
県下に「桁」小字が86か所、県中央部の山間に多く特に嶺北地域に顕著である。注目すべきは長宗我部地検帳に「ケタ」ホノギが見られないこと。地検帳は田畑、屋敷地、切畑の検地であり、年貢換算されない土地の記録はないことから理解できる。長宗我部地検帳にはないため近世以降の地名かもしれない。
県内の事例では、
本山町木能津には桁集落があり、四万十市西土佐須崎に下桁川(四万十川第二支川目黒川の支流)と下桁集落がある(国土地理院地形図)。高知県内の小字では、西は香美市土佐山田町西後入ケタノヲク、東は四万十市蕨岡東桁ヶ谷と県内の山間部に広く分布し小字で65か所みられる。特に嶺北地域に広く分布し、高知市の鏡川上流域にも多く分布する。
『寺川郷談』には「山の峰をケタと」云、カウマヘ共云、高山の嶺をケタカウマヘなどと云」とある。また『明治大正時代国府村民俗語彙』では「けた 峯・山ノ高キ所・畝・岸ノ上」とある。
げとうぞう(下藤蔵)【下津井地区の元集落】
けわいだう(化粧田)【】
柳田国男『地名と歴史』は「切絵図の字名になお著しく痕跡を留めている。一番多いのは信仰上の用途に指定された耕地の名」としてケハイ田・ケワイ田・化粧田をあげ、「化粧(けはい)というのは大祭の日の舞女を意味する」と説明。また、柳田国男『妹の力』には「祭祀祈祷の宗教上の行為は、もと肝要なる部分が悉く婦人の管轄であった。巫は此民族に在っては原則として女性であった」としてオナリ神や玉依姫を紹介している。柳田の『巫女考』とあわせて拾い読みしたが化粧の意味は不明。
佾や行司に神が憑依するための目印なのか。白粉や紅をつける女性の給与のための神田で、高知県にも7か所の小字がある。
『日葡辞書』にも「Qeuai (ケワイ)女性たちが顔にする化粧」とある。地検帳にもケワイデン・キハイ田とあり当時はケワイと読んだのだろう。電子国土Webでは仙台から花巻にかけて化粧地名が続き高知では梼原町の化粧坂が有名。
県下に化粧田が4か所ある。県下の4か所の小字「化粧田」は春野町西分、中土佐町大野見橋谷、黒潮町加持、宿毛市山奈町山田にある。例えば『長宗我部地検帳』長岡郡殖田郷久礼田村の段に「宮ノ西いちキワイテン イチ扣」「宮ノ前 宮ノいち居」とある。近くに「神林 崇神権現」とあるので神社明細帳や南路志を探してみた。『神社明細帳』には久礼田村の村社として熊野神社があり、その合祭された神社として「西内村社若宮八幡宮」とありこれが崇神権現ではないか。佾と八幡宮は県下の事例から関係が深い。その佾の化粧の神事の費用にあてたのが「化粧田」(ここでは給地ではなく扣地となっている)。
『高知県史民俗編』の「祭礼に於ける憑坐」には、室戸市椎名八幡宮のトーニンゴ(行司)を紹介している。「白粉で化粧し赤の着物(中略)手に黄色の幣を持つ。神幸になると四人の者が、注連縄の中にトーニンゴを囲い込めて歩んで行く。この四人の者をケハイ人と称し、この後にトサ婆さんの四人老女。
『地名用語語源辞典』には「化粧田(けわいでん) 中世の豪族、武家、豪農などが、娘の嫁入りの際に持参させた化粧料田の意」とあるが、例えば高知市春野町西分字化粧田など周辺の小字「伊勢ノ宮・大神宮社・日岸田・義和谷・八幡宮・佾屋敷」など、高知の巫女である「佾」が神楽や化粧の費用神田のように思える。
化粧は気這・気配から派生した言葉で、全国に分布。化粧は高知で「化粧田」「化粧坂」の用例がある。梼原の太郎川から役場に向かう旧道が化粧坂で、茶堂もあり趣のある往還道。化粧坂は、巫女が身づくろいをした場所の説もあり、境界地名の一つか。中平一族の墓所も有、埋葬関連も想起。
『民俗地名語彙辞典』は「ケワイサカ」を「化粧坂や墓地は西北の方角にある。わが国では、西北を祖霊の去来する方角で、西北風をタマ風といい、死霊の起こす怖ろしい風とするところは多い(※高知にはない)」と述べる。
福島義之『土佐の祭りと文化』に佐喜浜八幡宮の御神幸ではイチ(佾)による神歌が歌われるとある。最後の「イチ」として記録しているので是非読んでいただきたい。
巫女を土佐では「イチ」と呼び、長宗我部地検帳にも「イチヤシキ」「佾給」とある。神歌を司る子神子の顔に化粧をするイチには「化粧田」として田地一反が給される。
げんだゆうくしやま(現太夫串山)【相去△芳川】
けんや(軒屋)【】
安芸市の名村川の上流域に「三軒家」集落、その手前に「奥栗」集落もあった。消えた集落だ。『森下画伯の絵地図』では「手入れされた里山風景が広がり、おだやかに、ていねいな人々の暮らしがあったことだろう」と結ぶ。安芸市には○軒家と名づく小字が多い。安田町に与床の大字。古い記録には「夜床」と艶めかしい漢字もあてられる。『新安田文化史』には「奈良時代に服部牙右衛門、岡次郎左衛門、西岡勘助、平山某の四人の豪族がここを開拓。四人所からヨンドコロ、転じて与床(よどこ)となった」と述べる。小字に服部・西岡・平山の小字があり、ホノギに岡二良太良ヤシキがある。『新安田文化史』(安田町の大字の由来を書いてある)https://www.shimanto-chimei.com/%E6%A3%AE%E4%B8%8B%E7%94%BB%E4%BC%AF%E3%81%AE%E7%B5%B5%E5%9C%B0%E5%9B%B3/%E5%AE%89%E8%8A%B8%E3%81%AE%E5%B1%B1%E4%BA%BA%E7%89%A9%E8%AA%9E/%E7%8C%BF%E6%8A%BC%E5%B1%B1-%E7%86%8A%E6%8A%BC%E5%B1%B1/
(20251219現在)
■語源
■四万十町の採取地
■町外の採取地
