南川口

みなみかわぐち


20150608初

20170119胡

【沿革】

 長宗我部地検帳に「番中之内井細川川口之村」の本村と「ウリウ野之村」、「ヤハシラ之村」、「チヨカイチ」の三つの枝村から成る。

 それ以降の地誌である州郡志(1704-1711)南路志(1813)ともに「川口村」 

 明治22年(1889)4月1日、明治の大合併により、窪川郷上番の高岡郡窪川村・西原村・若井村峯ノ上村金上野村見付村大奈路村根元原村神ノ西村・大向村・高野村・根々崎村・若井川村、窪川郷下番の宮内村・仕出原村・大井野村・口神ノ川村・中神ノ川村・奥神ノ川村・檜生原村・寺野村・川口村・天ノ川村・秋丸村・野地村・家地川村、仁井田郷の東川角村西川角村、これら28か村が合併し新設「窪川村」が発足し、川口村は大字となった。

 桧生原、寺野、南川口、天ノ川、秋丸、野地、家地川、折合の8地区を「立西」と呼ぶ。

 大正15年(1926)2月11日、窪川村は、町制を施行し「窪川町」となった。

 昭和23年(1948)4月1日、幡多郡大正町の一部(折合)を編入した。

 昭和30年(1955)1月5日、高岡郡窪川町、東又村、興津村、松葉川村、仁井田村が合併し新設「窪川町」となった。

 平成18年(2006)3月20日、高岡郡窪川町と幡多郡大正町・十和村が合併し新設「高岡郡四万十町」となる。合併時、町内に同名の大字があることから、調整され名称を川口から南川口に改めた。

 地区内の班・組編成は、1班・2班・3班・4班となっている。

 

【地勢】

 旧窪川町の西部。立西地区の中心地。四万十川と井細川の合流点に位置する。四万十川右岸を国道381号が通り、国道から分岐した県道328号小味野々川口線が井細川沿いに北上。主集落は合流点上流および南流する井細川右岸にあり、対岸の山麓を通る国道沿いにもある。主に農業地域。川口小学校、川口保育所、川口郵便局、立西町民会館、新聞販売所、河内神社がある。

(写真は1975年11月撮影国土地理院の空中写真。写真中央上部、井細川が四万十川に合流する) 

 

【地名の由来】

  辻重憲氏は『史談くぼかわ4号・5号』で「川口の地名は全国に多い・本流へ流れ込んだ所」と述べる。折合の国有林野を源流域とする井細川が本流域に合流する、文字どおり「川口」という地形地名。平成の合併で南川口と大字名称を改めたが、従前から大正地域では「南川口」と呼んでいたような記憶があるが、間違いだろうか。現地踏査で確認する必要がある。

 

 四万十町内では、南川口のほか、十和川口がある。

 微細地名の字となれば、次のとおり。

押川口(金上野)、芦川口(仕出原)、タノ川口(七里・西影山)、下川口(七里・本在家)、西ノ川口(作屋)、川口瀬(窪川中津川)、カイデ川口(土居)、ヒトギノ川口(大正北ノ川)、コイジノ川口(烏手)、吉川口(江師)、足川口(下津井)、佐川口(下津井)、足川口(浦越)、北ノ川口(津賀)、北ノ川口(昭和)、戸川口(十和川口)

※「吉川口」は、芳川川が梼原川合流するところ。旧吉川村は、吉宗の名に配慮して芳川に改称したが、川名は残ったのか。

  高知県内の「川口」地名は

川口(東洋町/野根川と日増谷川の合流域)、河口(物部川最上流・槇山川流域)、川口(大豊町/吉野川と立川の合流域)、川口(仁淀川町吾川/仁淀川と土居川の合流域)、川口(梼原町/梼原川と四万川の合流域)、川口(黒潮町大方/蜷川・みながわの土佐湾河口)、下川口(土佐清水市/宗呂川の日向灘河口域)

 

 


地内の字・ホノギ等の地名

【字】(あいうえお順)

 アシ川、石カサコ、石神越、石ケサコ、イシセキ、石セキ、イノ口、後立目続山、ウリウノ、大谷、大本山、岡分形ア地カヤシキ杭野杭野ノクホタ、黒岩、越ノシタ小屋ノヤシキシタヤシキ嶌野々、スタノラ、立目新山、チウザ、ツシマ、鳶ノ子、永タ中ヤシキ夏ヤケ、ナロ、ニイヤ、ニウドウ、ヌタノヲハシガ谷、不動保木、フトヲホキ、宮ノワキ、ムタニ山、ムロヤシキ、本谷、元ノ谷、本村山、ヤナギ、ヤハシラ、ヲビヤ【46】

 

(字一覧整理NO.順)

  1鳶ノ子、2フトヲホキ、3クホタ、4シタヤシキ、5カヤシキ、6岡分、7本村山、8ム谷山、9大本山、10イシセキ、11杭野ノ、12元ノ谷、13越ノシタ、14ヲビヤ、15コヤノヤシキ、16ヌタノヲ、17ウリウノ、18永タ、20ニイヤ、21嶌野々、22形ア地、23ヤハシラ、24石神越、25石カサコ、26チウザ、27中ヤシキ、28ツシマ、29アシ川、30ニウドウ、31ナロ、32宮ノワキ、33ムロヤシキ、34ハシガ谷、35黒岩、36イノ口、37夏ヤケ、38大谷、39鳶ノコ(再掲)、40不動保木、42ムタニ山(再掲)、44石セキ、45杭野、46本谷、47越ノ下(再掲)、48小屋ノヤシキ(再掲)、49スタノラ、50永田(再掲)、52ニイヤ(再掲)、53ヤバシラ(再掲)、55石ケサコ、59ヤナギ、60ニウドヲ(再掲)、61ナロ(再掲)、64黒岩(再掲)、66後立目続山、67立目新山

※ホノギ「スタノヲ」は、字一覧の「16ヌタノヲ」に比定できるのでは。スとヌの誤転載か

※ホノギ「刑部地」は、字一覧の「22形ア地」に比定できるのでは。どのように転訛したのか疑問

 

【ホノギ】川口村/枝村:ウリウ野之村、ヤハシラ之村、チヨカイチ

〇高岡郡仁井田郷地検帳 四(高岡郡下の2/検地日:天正17年2月12日)

 ▼番中之内井細川川口之村(川口之村/p419~420)

 シマノ野、タツミ、古川ノモト、クサキヤフ、刑部地、ツ井クチ、川クホ 

 ▼川ヲ西路ヘ渡テウリウ野之村ヲ付(ウリウ野之村/p420~422)

 ウツシリ、サイノヲ溝、ワサタ、宮ノクホ、クイノモト、カワヘヤシキ、井ノ上、ワタ、ニシ、ワキヤシキ、ワキフン、ニイヤヤシキ、クミチノモト、クミチ、シタヤシキ、鍋地、ノホリアカリ、山シタ、コエノサキ、ト井クチ、ハイノモト、ウリウノ川永タ、川原田、スタノヲ、タカアセ、シタ神田、コヤノモト、山ノ谷、ワタセノモト、シモ永タ、トトロノモト、コエノシタ、ワタリアカリ、コエノタハ、カリシカ谷、モトノ谷、家ノムカイ 

 ▽爰ヨリマタヤハシラ川ノ谷ノセイモトヨリ付(ウリウ野之村/p422~423)

 梶原谷、ヒノクチ、ツエノモト、石ノサコ、椿サコクチ、道クチ、高アセ、忠三良ハタ、コウカ木ノモト、シイノ木ノモト、金内ヤシキ 

 ▼爰ヨリヤハシラ之村(ヤハシラ之村/p423~426)

 中ヤシキノマヘ、山口道、中ヤシキ、ヒノキノモト、ニイヤヤシキ、クホ畠、桃木サイノヲ、クリノ木モト、ツシマフン、永久庵ヤシキ、アシ川口、カミヤシキタ、ヲウヤヤシキ、治部タ、クイノ野、川辺、神ノ山下、ナル川、与一ヤシキ、タン、ヲカフン、スケ沢、中井ノ前、中井ヤシキ、中マヤシキ、クホヤシキ、シイノ木ノ本、カヤシキ、荒畠、下ヤシキタ、下川辺、クホタ、サイノヲ、雲龍寺寺中 

 ▼同村之内チヨカイチ(p426~429)

 山下、宮ノナロ、フマテン、辻堂ノクホ、宮ノワキ、ソ子ノタハ、ホンテン、フカセノモト、ホリキリ、池ノモト、四升マキタ、ヒワクヒ、楠ノ木ノモト、池タ、刑部地、シハノ、柿ノ木ノモト、大ノウシロ、ムロヤヤシキ、榎瀬川、タハ家ノマヘ、神田大道、ツル井ノモト、タハヤシキ、ノモト、神田、ハシカ谷、エノ木ノモト、井ノクチ、ウシロマタ、川辺、与次良タ、池ノモト、夏ヤケ、ハイサキ

※ホノギ「ヒワクヒ」の意味は。全国に分布するビワクビ地名。「ビヤ」は牛の古語、「クビ」はクビトの転訛で焼畑関連地名

 

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303南川口字名一覧表.pdf
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303南川口旧全図.pdf
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303南川口旧全図法17条地区.pdf
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303南川口・集成図.pdf
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【通称地名】

 

 

【山名】

山名(よみ/標高:)

 

【峠】

石神越(南川口地区△中神ノ川地区) ※注記

 

 

【河川・渓流】

ウリウノ川(ホノギ)

アシ川(字・ホノギ)

ナル川(ホノギ)

 榎瀬川(ホノギ)

ハシカ谷(字・ホノギ)

 

【瀬・渕】

 

 

【井堰】

 

 

【城址】

 

 

【屋号】

 

 

【神社】 詳しくは →地名データブック→高知県神社明細帳

河内神社/186かわうちじんじゃ/鎮座地:ナロ
※電子国土Webの地図にはニイヤ付近に別の神社記号が付してある。ウリウ野集落の崇敬神か

現地踏査の記録


地名の疑問

1)有ノ木の地名は?

 停留所に「有の木」とあるが、字でもないので通称地名か?地内各地にみられる「アリノキ」地名の由来は

 


出典・資史料

■長宗我部地検帳(1588天正16年:佐々木馬吉著「天正の窪川Ⅰ」)

 地検帳の記録によるとこの部落は、”番中之内井細川川口之村”と表現され、本村とウリウ野之村・ヤハシラ之村およびチヨカイチの三つの枝村から成りたっていたことを示している。(同p133)

 検地を行なったのは天正17年2月12日から14日までの3日間にわたって行なわれている。

・神社

 河内神社(村社/字奈路鎮座)/合祀:大元神社、海津見神社、六十余社、山祇神社、水神社

・寺院

 雲龍寺

 

■州郡志(1704-1711宝永年間:下p281)

 川口村の四至は、東限口神之川村西限秋丸村南限天之川村北限寺野村東西十町南北二十町其土赤

 山川は、屋桂谷

 寺社は、雲龍寺、寶積庵、大元権現社とある。

 

■郷村帳(1743寛保3年)

 寛保3年に編纂した「御国七郡郷村牒」では、石高215.628石、戸数30戸、人口195人、男107人、女88人、馬37頭、牛3頭、猟銃2挺

 

 ■土佐一覧記(1772-1775明和・安政:山本武雄著「校注土佐一覧記」p295

安芸の歌人・川村与惣太が川口(南川口)で読んだ歌

 川口

さらでだに流れてはやき月影を 川瀬の水に映してぞ見る

※そうでなくても世の移ろいは早いもの、今宵の月も川面に仮の姿を映しだし、すーと流れていく。あー私も老いたものだ(勝手読) 

 

■南路志(1813文化10年:③p300)

160川口村 仁井田郷本堂之内、又云井細川郷六村之一也。 地二百十二石八斗八舛七合

天神 本村 正体木形 祭礼九月十五日・十一月十五日

三王権現 本村家林ノ内

白尾権現 ユイノノタ

大元権現 大元 祭礼九月十二日

六十余尊 千代我市

六十余尊 音ナシ

惣川内大明神 センタイ市

雲龍寺 退転、小菴残る

 本尊 徃昔寺領拾七石弐斗一舛

古城

 

■ゼンリン社(2013平成25年)

 p76:南川口、井細川、四万十川、県道小味野々川口線、ウリザネ橋、日乃出橋、有の木橋、Ю瓜生野、Ю有の木

p85:南川口、井細川、四万十川、県道小味野々川口線、川口橋、川口新橋、河内神社、雲龍寺、Ю五十石

 

■国土地理院・電子国土Web(http://maps.gsi.go.jp/#12/33.215138/133.022633/)

 南川口、四万十川(渡川)、井細川

 

■基準点成果等閲覧サービス(http://sokuseikagis1.gsi.go.jp/index.aspx)

川口(四等三角点:標高331.15m/点名:かわぐち)南川口字鳶ノ子742-2番地

 

■高知県河川調書(平成13年3月/p57

井細川(いさい/四万十川1次支川井細川)

左岸:折合字岡ヤシキ72-2

右岸:折合字オウマエ山国有林

河川平均延長:11,270m / 2.94Ak㎡ / 14.5 Lkm 

 

■四万十町橋梁台帳:橋名(河川名/所在地)

天の川橋(四万十川/川口字夏ヤケ653-2)

杭野々橋 川口字杭野々206-2)

有の木橋(井細川/川口字杭野々206-2)

有の木上橋(不明/川口字中屋敷454)

 

■四万十町広報誌(平成 23年6月号・令和元年6月号)

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ぶら〜り散策0303【南川口】20110601.pdf
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ぶら〜り散策0303【南川口】20190610.pdf
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