下呉地

しもくれじ


20150608初

20160819胡

【沿革】

 長宗我部地検帳では「下久礼地村」と表現し、枝村をもたない単独の村として取り扱っている。当時の魚の川地区も下久礼地村の一部として取り扱い、小区分すらしていない。

 明治22年(1889)4月1日、明治の大合併により、高岡郡床鍋村、影野村、奥呉地村、魚川村、下呉地村、替坂本村、六反地村、仁井田村、小向村、中ノ越村、富岡村、平串村の12か村が合併し「仁井田村」が発足し、下呉地村は大字となった。

 昭和30年(1955)1月5日、高岡郡仁井田村は、 窪川町・松葉川村・東又村・ 興津村と 合併し新設「窪川町」となった。

 平成18年(2006)3月20日、高岡郡窪川町と幡多郡大正町・十和村が合併し新設「高岡郡四万十町」となる。

 地区内は、一つの行政区で、下呉地西・下呉地東の班編成をおこなっている。

 

【地誌】

 旧窪川町の北東部。仁井田川と奥呉地川の合流点付近。奥呉地川沿いに平地が開け、集落は奥呉地川沿いと合流点北部の山麓にあり、国道56号・県道323号作屋影野停車場線・JR土讃線が通る。窪川警察署仁井田駐在所・神明宮・大山野神社・若者定住住宅がある。平成17年に発足した「相会クラブ」は宅老所機能を超えて「集楽クラブ」として地域拠点となっている。

(写真は1975年11月撮影国土地理院の空中写真。写真中央部、南流する仁井田川の右岸流・奥呉地川の下流域が下呉地地区)

 

【地名の由来】

   辻重憲氏は『史談くぼかわ・第5号』で「旧仁井田村は仁井田庄時代久礼郷と言い、久礼城主佐竹氏の支配下であった。奥呉地、下呉地共その支配下のうちで、古文書には奥久礼地、下久礼地と書いてある。後に久礼が呉に変わったもので、その位置によって奥、下をつけたものである。」と、佐竹氏の支配下であった久礼郷に関係する由来を述べている。

 

 奥呉地川の流域を、中世の文書である長宗我部地検帳は「久礼地」と呼称したのであろう、上流域を「奥久礼地(奥呉地)」、下流域を「下久礼地(下呉地・魚ノ川)」と区分している。

 高岡郡久礼分地検帳の名称にも「久礼分」とあるように、仁井田庄でありながら佐竹氏の支配関係を示す意味から久礼分・久礼地と呼ばれたものであろうと辻氏は説明するが、その意味では床鍋や影野も同じであり、なぜこの地だけ久礼地としたのか疑問が残る。「久礼地」は佐竹氏の支配地を示すとするなら農地の広がる仁井田川本流域を久礼分・久礼地とするなら、前久礼地(床鍋)、後久礼地(下呉地)となりそうである。

 下呉地のホノギ「久礼地」を基準にして下流域を下呉地、上流域を奥呉地と見立てていることから、地名の語源は支配関係による久礼ではなく、地形地名としてのクレではないかと考える。

 

 クレは、①田畑の畝などを作る時、鋤き起こした土の塊を意味する言葉で岩手県から熊本県まで全国で使われる②「カラ」の転。カレ(枯)・カラ(涸)で水の乏しいところを意味する。カレト(枯所)、カラト、カロウト、カラコ。所屋根の一番高い所、扇状地の中央、丘陵の谷頭、準平原の一番高い所などの地形③「暗い」の転。北西~北向の地。日ヶ暮、日ヶ隠、呉地など西日本に多い④落石程度の崩壊地名。刳る(クル)がなまってクリ(栗)となることもある(民俗地名語彙辞典)。

 

 高岡郡久礼分地検帳の下久礼地村のホノギに「久礼地」とある。このホノギが奥呉地川流域を示す地名となり、位置的な名称として「奥久礼地」となったのではないか。

 大小権現山を源とする奥呉地川が本流仁井田川に合流する付近が「下呉地」であり、仁井田川側上部が隣の「影野」となる。下呉地は、南に山稜が続き、まさに北西に向けた地形である。この暗いが転訛したクレではあるまいか。

 


地内の字・ホノギ等の地名

【字】(あいうえお順)

 合水谷、イチクルシ山、内宮、大切、大杖山、大西、大畑、大平山、岡谷、岡ノ奥、岡ノ奥山、柿ノ木窪、上岡谷山、神屋敷、木ノ下、杭ノ本、桑原、形部山、権田、坂本山下影野、下影野山、杉ノ谷山、ソウシダ、外宮、タクミバタ、寺中、中岡、ヌタヤシキ、野地ノ川、東外宮、古畑、堀替、槇ノ川山、松ケ平、松ケ平山、間土、松ノ本、ミコノ、ミコノ山、横枕、両井ノ本【42】

 

 

(字一覧整理NO.順 下呉地p97~98)

 1合水谷、2岡谷、3上岡谷山、4ヌタヤシキ、5杭ノ本、6大切、7坂本山、8大平山、9形部山、10下影野、11権田、12松ケ平、13槇ノ川山、14横枕、15木ノ下、16大西、17岡ノ奥、18間土、19寺中、20ソウシダ、21野地ノ川、22杉ノ谷山、23岡ノ奥山、24ミコノ山、25大杖山、26イチクルシ山

 27内宮、28堀替、29外宮、30松ノ本、31ミコノ、32タクミバタ、33大畑、34柿ノ木窪、35桑原、36古畑、37神屋敷、38外宮、39中岡、40下影野山、41両井ノ本、42杬ノ本(クイノモト/再掲)、43松ケ平山、44杭ノ本(再掲)

下呉地と魚ノ川は共通した字名が多い(黄色強調字)。「堀替=堀換」「ミコノ=見小野」「古畑=古畑」神屋敷=神屋敷」「外宮=外宮」「両井ノ本=両井ノ本」「坂本山坂本」「権田=ゴンタ山」。ただし集成図には字名の記載がない。

 

【ホノギ】

 ▼下クレ地入 山カフ(高岡郡久礼分地検帳之事p638~643/検地日:天正16年2月22日~25日)

 ユツマ、谷向、チヤウマンチ、向窪タ、坂本、谷ノヲク、下ホリ、(いったん加江坂本村の検地に入り再び下久礼地ニ入)、ヌタノ、ヲク神田、カツ子岡ノヲク、北地、南地、下道ノカミ、中岡ヤシキ、エノキノクボ、ミスマ畠、南ヤシキ、北地川原田(再び賀屋坂本村に入る)

 下久礼地村(p644~646)

 ヨコマクラ、山カタ、地福寺寺中、■■チヤシキ、トカケ野、山ノ下 

 下久礼地村(p646~651)

 イカケノハシノ本、橋ツメ、高ハシ、ユリヤウ、久礼地、道ノ本ミスミタ、中クホ、西川辺、西ミソ、■ヤシ、サウシタ、東谷向

 下久礼地村(p651~653/検地日:天正16年2月25日) ここから魚の川分

 

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【通称地名】 

 

 

【山名】

山名(よみ/標高:)

 

【峠】

峠(地区△地区) ※注記

 

【河川・渓流】

 

 

【谷川】

 

 

【瀬・渕】

 

 

【ため池】(四万十町ため池台帳)

坂本池

 

【井堰】

 

 

【城址】

 

 

【屋号】

 

 

【神社】 詳しくは →地名データブック→高知県神社明細帳

大山野神社/12おおやまのじんじゃ/鎮座地:刑部山 ※村社(7ヶ村崇敬神)

埋神社/13うめじんじゃ/鎮座地:刑部山

(旧:三日月神社)/14みかづきじんじゃ/鎮座地:横枕

神明宮/15しんめいぐう/鎮座地:岡ノ奥

 

※ゼンリン社p24には下呉地橋のたもとに金比羅宮がある。

ゼンリン社p32には山株に護国神社がある。

 


現地踏査の記録


地名の疑問

1)内宮と外宮

 下呉地と魚ノ川には、同じ字名が多いが、どうしてか

 

2)山株は大字「下呉地」に属し、行政区画では「替坂本」地区のひとつの集落なのか

 


出典・資史料

■長宗我部地検帳(1588天正16年:佐々木馬吉著「天正の窪川Ⅰ」)

 地検帳は下久礼地村と表現し、枝村をもたない単独の村として取り扱っている。この場合の魚の川部落について、大正7年旧仁井田孫編纂の仁井田村史によると『魚ノ川・下呉地内承応の頃(1652~16545)郷士開拓』と記されており、天正16年(1588)頃の魚の川は下久礼地村の一部であったことを示している。したがって、地検帳では現在の魚の川部落を下久礼地村の一部として取り扱い、小区分すらしていない。(同p303)

 検地を行ったのは天正16年2月23日から同月25日までの三日間

・神社

 大山野神社(村社/字形部山鎮座)/合祀:天満宮、若宮、若宮

 埋神社無格社/字形部山鎮座)/合祀:聖神社、竈戸神社、仁井田八幡宮

 三日月神社無格社/字ヨコマクラ鎮座)/合祀:鉾神社

 神明宮(無格社/字岡ノ奥鎮座)/合祀:白皇神社、神母神社、山之神社、若宮神社

・寺院

 地福寺

【魚の川の分】

・神社

 大本神社村社/字外宮鎮座)/合祀:疫神社、白皇神社、竈戸神社、山津見神社

水神社

 杉本神社無格社/字ホドノ山鎮座)

 

■州郡志(1704-1711宝永年間)

下呉地は、下久礼地村と下久禮地村の2カ所にわたり記載されている。

 下久礼地村(p256)の四至は、東南限大路西限山北限笹野山縦横十町其土黒雑砂

 山川は、山柢之山、魚之川

 寺社は、権現社とある。  ※この段は「魚ノ川」の部分と思われる。

 

 下久禮地村(p288)の四至は、東限交坂本影之村西奥久禮地村南限六反地村東西二十五町南北二十町其土赤有川流

 山川は、岡之奥山(禁伐採)、乃宇志之川谷、牛方左古谷、槇之川谷、加宇水谷

 寺社は、鉾之権現社、天神社、白皇社

 

■郷村帳(1743寛保3年)

 寛保3年に編纂した「御国七郡郷村牒」では、石高122.589石、戸数22戸、人口108人、男57人、女51人、馬18頭、牛6頭、猟銃1挺

 

■南路志(1813文化10年)

147下久禮地村 仁井田郷本堂之内、又云久礼郷十村之一也 地百廿六石三斗五升七合

魚之川村枝村承應年中郷士の新開撥也。

大山野神 大山野 正体不動 脇宮 天神 若宮 今宮 祭礼九月廿三日

白王 上ミタハ 祭礼九月廿三日

白髪 上ミタハ西 同

六十余尊 西ヤシキ 祭礼九月廿三日

三ケ月明神 田中 同九月廿二日

鉾権現 田中東 同上

惣川内大明神 同上

 

■ゼンリン社(2013平成25年)

p19:下呉地、奥呉地川、寿谷川、量井橋

p20:下呉地、仁井田川

p23:下呉地、奥呉地川、寿谷川、県道作屋影野停車場線 (坂本池)

p24:下呉地、奥呉地川、仁井田川、下呉地橋、替坂本橋、JR土讃線、大山野神社、金比羅宮、山株Ю

p32:下呉地、護国神社

 

■国土地理院・電子国土Web(http://maps.gsi.go.jp/#12/33.215138/133.022633/)

下呉地、山株

 

■基準点成果等閲覧サービス(http://sokuseikagis1.gsi.go.jp/index.aspx)

下呉地(四等三角点:標高371.32m/点名:しもくれじ)下呉地字刑部山473-1番地 

 

■四万十町橋梁台帳:橋名(河川名/字名)

替坂本橋(仁井田川/下呉地字下影野151-2)

替坂本沈下橋(仁井田川/下呉地字タタミバタ437-3)

野地ノ川橋(野地ノ川/下呉地字野地ノ川395)

大西上橋(関ノ奥谷川/下呉地字大西275) ※「岡ノ奥谷川」の錯誤では?

大西下橋(奥呉地川/下呉地字大西272) ※「岡ノ奥谷川」の錯誤では?

山株橋(/下呉地字ヌタヤシキ56-6)

 

■四万十町広報誌(平成24年9月号)

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ぶら〜り散策0505【下呉地】20120901.pdf
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