大地を刻む

地名は大地に刻まれた二人以上のコミュニケーション符号。

祈りの地名、往来の地名、境界の地名、危険を周知する地名などいろいろ。


Vol.18:神の歳時記 神田いろいろ

 古来より、日常は辛い山や畑や田んぼでの仕事。神の前に同化する日こそハレであり、非日常の米を食することができる。その昔の「月一日の休養日」。それが、正月の若水迎えから田打ち正月の儀式から霜月の収穫祭(新嘗祭)と種籾の聖別儀式など折々の神事となってきたのだろう。  →詳しくは VOL.18 神の歳時記 神田いろいろ

Vol.17:大川の渡し「舟」地名

 川は水運の要であるとともにあちらとこちらを遮るモノでもあった。その遮断性を克服するのが、山は「峠」であり、川は「渡し」である。この「渡し」を地名に刻んだひとつが「船戸」である。船戸に関連した四万十町内の地名分布は、次のとおりである。  →詳しくは VOL.17 大川の渡し「舟」地名

Vol.16:川の名はこうして付けられた(1)

 川の名称が、どのような由来で命名されてきたか。

 四万十川の名称の由来の論争は数々あったが、だれが、どうやて、どんな思いで命名しているかを、命名の癖のもととなる文化の流れとして近隣の九州文化圏(5県)、瀬戸内文化圏(3県)の一級河川の川名ルーツなどを第一弾として示し検証してみる。  →詳しくは VOL.16 川の名はこうして付けられた

Vol.15:峠の地名

 峠は不思議な世界である。風が変わり、景色が変わる「向こうの世界」がここから始まる。村人にとっては、災いを止める所でもある。旅人にとっては、疲れを癒す湧き水があり茶屋がある。古くは、市もある賑わいの場、風葬をおこなう葬制の場、獣往来の狩猟の場。脱藩の道となる新天地への決意の場・・・「峠」は、なんでもありの「ワンダーランド(おとぎの世界)」。町内の峠関連地名を一覧   →詳しくは VOL.15 峠の地名

Vol.11:危ない地名

 黒潮町の上川口では、地名から津波の浸水域を調べる活動が始まった。上川口には、1854年の安政地震の記録『大汐筆記』が残されている。それをもとに安政の津波を記載地名を現地で復元し、今後の集落の防災活動に活かそうとするワークショップが、「日本最大の34.4m」の年、11月におこなわれた。 →詳しくは Vol.11 危ない地名   

Vol.09:中世山城の地名

 「中世の城跡のにおいがプンプンする」と見定めた山を駆けずり廻るのは窪川北琴平町在住の城郭探検家・中川豊氏。多くの城郭のつくりの形状を踏査する経験知から臭覚・視覚を研ぎ澄ませたことだろう。これまでの文献資料にはなかった新発見の城郭を自ら探しあて往時の景色を思い浮かべるのが楽しみという氏の目は少年のように輝いている。

  →詳しくは VOL09:中世山城の地名

Vol.07:四万十川の名称の由来 

 四万十川の名称の由来が定かでないのは不思議である。土佐の小京都といわれる中村(現四万十市)に流れる四万十川。室町時代後期応仁の乱により幡多庄・中村に下向した一条教房が、京の都を偲んでまちづくりをしたという。大川を桂川、後川を鴨川に見立てたということであるが桂川が元はなんと呼ばれていたかという記録は残っていない。暴れ川である四万十川は、過去の記録も消し去ったものであろうか。   →詳しくは VOL.07:四万十川の名称の由来

Vol.06:五郎丸という 山の話 

 2015年ワールドカップラグビー日本代表の快進撃は、世界を驚かせたばかりでなく「Japan Way」の取り組みが日本人の誇りにもなっていった。そのなかでも有名になったのは五郎丸の所作で、子供たちだけでなく、大人まで真似する手のしぐさとなった。それにあやかり、「五郎丸」という山が徳島県と高知県の境にあるとテレビが放送していた。丸は徳島県特有の山を意味する名称ゆえか、徳島県側からは登り口があるという。  →詳しくはVOL.06:五郎丸という 山の話