「い」の意味

【民俗地名語彙辞典】(松永美吉1994三一書房)

イ ①、井戸、用水溝、水路井堰のこと(新井、井の頭、井上、井関) たんにイを表す表音文字として使われる。向(ムカイ)が向井、境(サカイ)が坂井、酒井になるのもこの例

イー ①上手の方。自然堤防や段丘などの小高い所にある田や土地。イーダは上の方の田(飯田、伊田) ②上、天の方、上の方。または海の方向に対して山の手の方角。またイリに同じ。イリは西、南島。アガリ(東)に対する語

イソ 土佐物部川筋で断崖絶壁の岩山。アイヌ語でも露岩をいう。古代、石はイシ、イワ、イゾと呼んだようである。石上(イゾノカミ)

イド 井戸は古語の「ゐ(ど)」を源とする語で、堰(イ・wi)で水を堰き止めて一所に静止させ(居)て利用する場所、田の用水の取り入れ口ないし用水路がい(ヰ)、ユと呼ばれたのは同じ語源だと思われる。

【地名用語語源辞典】(楠原佑介1983東京堂出版)

 い[伊、五、井、藺、猪、居、亥] ①接頭語。語調を整え、意味を強める ②イ(斎)で「清浄な、神聖な」 ③和数詞イツ(五)の頭音。イソ(五十)など ④高くそびえた所 ⑤ヰ(井)で「泉や清流から水を汲み取る所」 ⑥堀井戸 ⑦湿地 ⑧湿地に生えるイグサ(藺) ⑨井ノシシ(猪)にちなむ地名 ⑩ヰ(居)で「集落」 ⑪十二支の「亥」で北北西の方角

いい[飯、伊井、井伊] ①上。天の方。海の方角に対して山の方の方角 ②自然堤防や段丘などの小高い所にある田や土地 ③イヒ(飯)を盛った形 ④井戸。泉 ⑤ユヒ(結)の転で「共同労働、労働交換の慣習」 ⑥イヘ(家)の上代東国方言イヒによる

【全訳読解古語辞典】(外山映次2007三省堂)

い[接頭] 動詞に付いて調子を整えたり意味を強めたりする

い[斎・忌] 名詞に付いて神聖なものである意を表す。接頭語。上代語

い[寝] 寝ること

い[網]  蜘蛛の糸

い[異] 四相(しそう)の一つ。変化すること。仏教語

【日本語オノマトペ辞典】(小野正弘2007小学館)

いじいじ 態度や行動があいまいで、ひっこみ気味でいるさま

いそいそ 心がはやり、勇むさま。うれしい心をはずませているさま

いちゃいちゃ 男女が、戯れたりまたはあれこれ言い争ったりするさま。いちゃつくさま

いらいら あせって心に余裕のないさま。思うようにならなくて、感情が高ぶっているさま 

【川をなぜカワというかー日本語生成原理の発見】(渡部正理1999新人物往来社)

 

※これについては本文参照(渡部正理著)→ホームページ「日本語の起源」

鈴木健次のホームページ

 日本語では「い/ゐ」「え/ゑ」「お/を」の区別があった。これを変換すると「I」「E」「O」となり区別は消えてしまう。日本語では必要があって仮名文字まで用意されているのであるから、その意図は尊重されなければならない。では「ローマ字31概念」はどのように対応しているのであろうか。

い  I(1)   行動   甲類   き=Kい   企(行動の発生)

ゐ  I(2)  非行動   乙類   き=Kゐ   帰(非行動の発生・居の発生)

(20180413)

 


よくある地名の語源 「い」

いさきだに(井崎谷)【井﨑地区の集落】

 

いさなぶち(イサナブチ)【希ノ川】

 希ノ川の四手ノ川川を入ってすぐの対岸(エコロギー四万十の対岸)がイサナブチ。語尾のフチは、瀬渕と思われるがイサナが気になるところ。イサは夜漁のイサリの短縮形、ナは土地を意味する古語(産土、名主、名子のナ)と理解すれば四手ノ川地区の漁場といえるがどうだろうか。大月町赤泊には「イサフチ」、土佐清水下益野には「イサイ沖」の字名がある。

いしがみ(石神)【】

 

いしさし(石指)【平串、黒石、石サシタ(市ノ又)、石サシ本田(数神)】

 四万十町の平串と黒石の字「石指」は、長宗我部地検帳にもホノギとして記録されている中世以前の地名である。サシは焼畑をする意の古語とある(民俗地名語彙辞典)。関東にはサスという地名が多く、佐須、指の字が当てられている。 

 長瀬瑞己は『地名を読む(サス、サシ)』(2003年、東京学芸大学研究紀要)に、関西方面の「小字一覧」から「石指」の小字28か所を示し、「これらイシザシが『日葡辞書』に見える”イシザシ”であることは、ほぼ間違いない。」と述べて、次を引用している。

Ixizaxi イシザシ:Ixicaqi(石垣)に同じ。石の塀、または石の垣

  また、高知県の分布として、土佐市家俊の「石指(いしざし)」、四万十市西土佐藤ノ川の「石サシ」を挙げている。

 『四万十町地名辞典』の編集子が収集した県下116,998の小字データによると、この2か所の他に、四万十町黒石字石指、四万十町数神字石サシ本田、四万十町平串字石指、四万十町市ノ又字石サシ田、津野町杉ノ川上石指・同下石指、黒潮町馬荷字石サシ、宿毛市押ノ川字石サシの8カ所あり、高知県西部に多く分布することから、何らかの共通性が感じられる。また、津野町杉ノ川には集落名称として「石指」がある。

 長宗我部地検帳(仁井田郷地検帳/刊本「高岡郡下の2」p232」)のクロイシ村(四万十町黒石)に「イシサシノモト」のホノギが見える(字の読みを「せきし」を付しているのは電算化の誤読入力と思われる)。また、長宗我部地検帳(久礼分地検帳/刊本「高岡郡下の1」p690」)にも「石サシノソト」とあり、このことからも、日葡辞書と同時代に記録された、中世以前の地名であることが理解できる。

 石垣から読み取れるのが高知の方言で「シガキ(猪垣)」である。猪の作物荒しを防ぐために築いた石垣のことと説明し、別の意として鳥獣を撃つ場所とある(高知県方言辞典)。シガキについて『民俗地名語彙辞典』は「猟をする時、身を隠す場所」として西日本での用例を示している。四万十町江師の山の小平地に開墾された通称「黒作バタ」には、このシガキの跡が数百メートルにわたって残っている。いずれにしても「シシ(猪・鹿)のサシさわり」=有害鳥獣被害であると考えられる。石サシ田、石サシ本田の字名があるように、石指+田の意味するところは、稲作を有害鳥獣被害の被害から守るための石垣をイメージするがどうだろう。

 このシガキの類似する字に、いの町上八川上分字イシシガキ、津野町貝ノ川字石ノシガキがある。「イシノシガキ」が「イシサシ」と転訛したように思えるが言語学的な検証はできていない。

 

いしだがわ(石田川)【地吉地区の集落】

 

いげ(神母・伊気・伊下・イゲ)【神母神社(奥呉地・志和ほか)、神母野(興津)】

 用水を方言でイと呼ぶことに関連する高知に多い地名。稲毛・池など水田稲作に由来する言葉であろう。井戸をイケというのは日本各地にあるという。イケル(埋める)に関連か。土佐特有の用水地名ではあるが「神母」と漢字をあてた経緯は不明。(「列島縦断知名逍遥」谷川健一著)

 県下全域に発見できる「神母」地名であるが、物部川流域に特に多く見つけることができる。高知の米どころでもある高南台地に稲作由来の地名がないのが不思議である。「おいげさま」と四万十町では土佐州郡志の志和の段に「伊下社」という神社(南磯辺に鎮座する神母神社)があるのみである。

いけだ(池田)【】

 

いさいがわごう(井細川郷)【中世の広域地名。現在の天ノ川を除く窪川・立西地区

 中世の仁井田庄が仁井田庄八郷八番と言われたころの八郷の一つ。井細川郷6か村は、檜生原村、寺野村、川口村、秋丸村、野地村、家地川村で現在の折合(折合村)は上山郷に、天ノ川(天野川村。当時は若井の枝村)は窪川郷に属していた。  

いずがたに(伊豆ヶ谷)【秋丸伊豆ノ谷、平串伊豆ノ谷、奈路伊豆ノ本

 イズの音の大部分は伊豆の字が当てられ、「伊豆ヶ谷」地名が大部分で県内各地にある。伊豆ヶ谷のほか伊豆ヶ奥、伊豆ノハナ、伊豆ノ本などの字地名がある。

 イズは①イヅミ(泉・出水)の略②イヅユ(出湯)の略で温泉③ユ(湯)・デ(出)の転④イヅ(出)の意で地形が海中に出ているから。一般に出っ張った所と『地名用語語源辞典』は解説し「主として伊豆の国名を中心に考えられてきたが、あるいは”場所”を示す語の省略された形と見るべきか」とも追記している。イズコ(何処)がイズに省略され「伊豆」の漢字を当てたというのか。いずれにしてもイズの音に伊豆の漢字しか当てられていないのが不思議である。

 四万十町内の三例をみても伊豆半島のような突出地形でもなく伝播地名でもない。温泉が出る場所でもないので、水利としての井出と理解するのが普通か。秋丸(ホノギ・イツノヲクに比定)、奈路(ホノギ・イツノモトに比定)ともに長宗我部地検帳にも見られる中世以来の地名である。 

いた・・(イタ・・)【】

 ①波の静かなこと②潮の古語③崖と推定しうるものも多い。城址の丘端の崖地(民俗地名語彙辞典)

 『地名用語語源辞典』には「イタは動詞イタブ(痛)の連用形で”物が損なわれること”から崩崖などの崩壊地形」とある。

 イタビカズラ(崖石榴)は常緑の匍匐性ツル植物であり、本州の福島県・新潟県以西、四国、九州、朝鮮、台湾、中国に分布する。「崖石榴」と漢字が当てられているようにイタビは「崖」の意味であり”崩壊地に生えるカヅラ”が字義通りの植物名であろう。高知の方言では犬枇杷(いぬびわ)のことをイタビではなくイタブという。

いたづり(イタヅリ・虎杖・板取)【虎杖谷(四万十町七里越行・床鍋)、イタヅリ田(四万十町仁井田の浜ノ川集落)、板取山(四万十町志和)】 

 「イタヅリ」地名は県下各地に見える。イタヅリ、板取、虎杖川、板ツリサコ、イタヅリ谷、イアタヅリ田、イタヅリバタ、イタヅリハラなど山川や田畑などの接頭語として使われることが多い。

 イタヅリは土佐の郷土料理につかう食用植物「いたどり」の県下全域の方言であり、イタンポ(幼/県下全域)、イタッポ(幡多)、イタンコ(幼/安芸・香美)の地域方言がある。暮らしに身近な食用植物であるためサコや谷を付して自生地を地名化したものと思えるが、かたや忌避された虎杖の話もある。虎杖を食べれば「七日の穢」という俗諺は「熊野の縁起」によるものである。

 熊野権現が天竺から垂迹した由来を描いた絵巻「熊野本地絵巻」に詞と絵で詳しく描かれているが「虎杖と熊野社」の関係を理解するために全体のあらすじを紹介する。

 印度まかた国の大王に世継ぎがないことから後宮に千人の后を召す。大王は六年目にして千人目となる后を五衰殿へ訪ね、容顔美麗で観音信者であった后は懐妊。九百九十九人の后は嫉妬して大王に讒奏し、大王は妊娠中の五衰殿を山中に遺棄する。王子は死骸の乳房をすい虎狼にもまれて成長し王宮にかえるが王位を捨て神国日本に飛来したという。これが「熊野の縁起」で、大王は本宮証誠殿(熊野本宮大社主祭殿/家津御子・素戔嗚/阿弥陀如来)、五衰殿は那智の結宮両所権現(那智大社/夫須美・伊邪那美/千手観音)、王子は若宮(若一王子/天照大神/十一面観音)であるという。九百九十九人の后は後を追って日本へ渡る途中、暴風で海中に沈みその霊が赤い虫となって熊野の「虎杖」にとりついた。このことから熊野詣の途中で虎杖にさわってはいけない、食べてはならないという俗諺となったのである。(「熊野詣」五来重、講談社学術文庫p127)(サントリー美術館データベース熊野本地絵巻<https://www.suntory.co.jp/sma/collection/data/detail?id=644>)

 この話は熊野の御師(おし)や山伏・修験道・比丘尼によって全国に広められ熊野社の勧請が進むとともに地名にも刻まれていったことだろう。この忌避された虎杖が土佐の食用植物にもなったいきさつは何か。民俗地名として探求したい。

 

 板のつく地名にはガケからきたものもある(民俗地名語彙辞典)。板ツリ迫(本山町沢ヶ内)、板取(南国市廿枝)、板取山(四万十町志和)のあり、字義どおりに板に関連する地名かもしれない。

 『地名用語語源辞典』に「イタは動詞イタブ(痛)の連用形で”物が損なわれること”から崩崖などの崩壊地形」とありガケ地から来た地名かもしれない。

 

 四万十町仁井田の浜の川集落の西側の谷合にイタドリ田があり、同町志和の志和川の上流域北側に板取山がある。

 県内の字地名として、次の地名がある。※虎杖を「トラツエ」と読んで字データベースとしたものと思われるものも含む。

 虎杖谷(安芸市穴内・南国市才谷)、虎杖サコ(越知町横畠北)、虎杖原(津野町三間川)、虎杖川(梼原町上成)、虎杖山(黒潮町鈴・四万十市下田)、虎杖カラス(宿毛市和田)、虎杖渕(土佐清水市横道)、板取(南国市廿枝)、板取谷(黒潮町入野)、板ツリ迫(本山町沢ヶ内)  

 

いちのせ(市野瀬、市の瀬、市之瀬、一の瀬)【四万十町大正北ノ川一ノセ、四万十町烏手市ノ瀬、四万十町十和川口一ノ瀬】<黒潮町市野瀬、土佐清水市下ノ加江の市野瀬集落、佐川町丙の市の瀬集落、梼原町越知面田野々市ノ瀬、香美市土佐山田町西又一ノセ、南国市白木谷市ノ瀬ほか多数>

 「イチノセ」地名について、筒井功氏の著書『日本の地名』では「イチ(漢字は、ほとんどが市か一)の付く地名は各地におびただしくある。なぜ、こんない多いかが、まず謎である。(略)市ノ瀬は代表的なイチ地名の一つで、各地にざらに見られる。大部分は深い山中に位置して、市場とのかかわりは想定しにくい。かといって、いくつかある瀬のうちの何番目という意味でもない。(略)イチの語はおそらく「神をあがめる」の意の「斎(いつ)く」のイツと語源を同じくしているのではないか。(略)東北地方で口寄せを業とするイタコ(コは人といったほどの意)、戦前まで各地で見られた祈祷者のイチコ(略)などもみな一種のイチである」と巫女の一形態である土佐の「佾(いつ)」とイチ地名の関係性を述べている。

 高知県下に市野瀬が二つあり、そのふたつとも付近に市野々の地名もあわせもつ不思議な関係にある。黒潮町市野瀬は四万十町と黒潮町の境に座する修験の山・五在所ノ峯の南麓にあたる集落で、いっぽうの土佐清水市下ノ加江の市野瀬集落は土佐の延喜式社・二十二座のひとつ・伊豆田神社のふもとにある集落。中世以来の地名であり、巫女の一形態である土佐の「佾(いつ)」との関連性をにおわす地名である。長宗我部地検帳にも「佾ヤシキ」「イチノミコやしき」といったホノギや「佾給」「惣佾」「権佾給」「一宮佾給」「八幡佾給」などの給地がみられる。「佾」について白川静氏の字源辞典字統は「祭肉を頒つ意であろう。肉を両分することをいい、舞楽の列を佾という」とある。他の辞書では音読みとしてイツに加え、イチもある。

 高知県内の字名では県下全域にイチノセ(市ノ瀬、一ノ瀬など)が20カ所近くあり、大豊町には戸手野、小川、立川下名、南大王、八畝の四地区に見られる。その他イチノサコ、イチノクボ、市神堂、市頭、市ヶ谷、一ノ宮、市屋敷、

いちのまた(一の又、市の又)【井﨑地区の集落、国有林野】

 

いで(井出)【】

 

いぬい(戌亥・乾)【】

 

いば(イバ)【】

水の堰。井のあるところ

いばやしやま(井林山)【旧井林山(日野地)】

 田役道具や材料用として存置された山林。公有林(平尾道雄著「土佐藩林業経済史p70」)

 土佐は山間の国であり林業国であることは、藩政時代から今に至っている。藩有林であった「御留山」は現在の国有林野や自治体の公有林となっている。藩政時代の山林種目として、「御留山」「預り山」「支配山」「宮林」「寺附林」「火除林」「所林山(トコロバヤシ/村々で支配する留山の一種の公有林)」「関所林」「家掛林(ヤガカリ/家屋敷付近の植林を許された民有林)」「伐畑山」「明所山(アキショ/地元の願いにより解放された山林で明所山の一種。立木10本につき3本を残置する慣例)」「散山」などがある。

 高知県内の「井林」の字名は、香美市香北町下野尻、香美市香北町太郎丸、香美市香北町猪野々、香美市物部町大栃、南国市明見、いの町神谷にある。

いび(イビ)【】

イビ・エビは「階段状地形」。指はイビ、海老はエビというのは節がいくつもあって曲がっているものの名

いまなり(今成)【十和川口地区の集落】

 『高知県市町村合併史』に越知町の段で「今成(いまなり)は新村の意」

 

いもふね★(イモフ子・芋舩)【イモフ子(四万十町土居・安芸市大井・津野町杉ノ川)、芋舩谷(佐川町四ツ白)、イモフ子山(四万十市田野川)】 

 『長宗我部地検帳』の高岡郡仁井田郷新在家之村(四万十町土居)の段に「是ヨリイモフ子谷ヲ付」とある。東又川から分れた大井川の左岸が土居地区で、その支流・柚ノ川から、隣の弘見地区に越える谷筋がイモフ子谷と思われる。久礼村中村(中土佐町久礼)の段にも「イモフ子」とあることから中世以前の地名である。安芸郡東山八名御地検帳(刊本安芸郡下p235)の八谷村(安芸市大井八ノ集落)の段に「イモソ子谷川懸テ」とあるが「イモフ子」の誤翻刻とおもわれる。

 四万十市田野川甲の「イモフ子山」は、四万十市全図(後川地区大字田野川甲図面番号25)では「芋舟山」とあり、田野川川の最上流域に位置し、森が峰を越えると口鴨川となる。ここでも「イモフネ」に「芋舟」の漢字を当てているが、イモには別の意味があるのではないか。例えば難読地名に「一口(イモアライ)」がある。「三方は沼にて一方より入口之ある故に一口と書くなり」とあるように村里離れた閉ざされた空間の入口で斎み祓いをしたことからイミハライ→イモハライ(母音交替)→イモライとなったものという説(民俗地名語彙辞典)。県内の小字やホノギの「イモフネ」の景観は「イモライ」と同じように村里離れた山中の閉ざされた空間のようである。

 食物の「芋」というより、身を清める「斎み」や、痘瘡(とうそう)の古名である「イモ」、鋳物の「イモー」をイメージする。

 また、「舟・舩・船(フネ)」は、水に浮かべて人やモノを運ぶ用具であるが、木をくりぬいて水・湯・酒など液体を入れる容器としても利用したことから、内部を空洞にした箱形の容器もフネと呼ばれる。

 タタラ製鉄にも「大舟」「小舟」の名称があり、「大舟」は爐(炉)の真下にある本床を乾燥させる施設のことである。このタタラ製鉄には大量の木炭を必要とすることから、砂鉄とともに木炭を供給できるところが求められ、山奥のそれも小谷が突きあう小平地が地形条件となる。「いもふね」地名が刻まれる高知県下の小字・ホノギの分布位置からもから、鋳物舟→イモノフネ→イモフネとも考えれるるがどうだろう。

 

いりょう(イリョウ・井領・井料)【】

井領田。農業用水の維持管理にあてるための料田。年貢は免除された。

 

(20211205現在)

(20220511最新)


ちめい

■語源

 

■四万十町の採取地

 

 

■町外の採取地