「い」の意味

【民俗地名語彙辞典】(松永美吉1994三一書房)

イ ①、井戸、用水溝、水路井堰のこと(新井、井の頭、井上、井関) たんにイを表す表音文字として使われる。向(ムカイ)が向井、境(サカイ)が坂井、酒井になるのもこの例

イー ①上手の方。自然堤防や段丘などの小高い所にある田や土地。イーダは上の方の田(飯田、伊田) ②上、天の方、上の方。または海の方向に対して山の手の方角。またイリに同じ。イリは西、南島。アガリ(東)に対する語

イソ 土佐物部川筋で断崖絶壁の岩山。アイヌ語でも露岩をいう。古代、石はイシ、イワ、イゾと呼んだようである。石上(イゾノカミ)

イド 井戸は古語の「ゐ(ど)」を源とする語で、堰(イ・wi)で水を堰き止めて一所に静止させ(居)て利用する場所、田の用水の取り入れ口ないし用水路がい(ヰ)、ユと呼ばれたのは同じ語源だと思われる。

【地名用語語源辞典】(楠原佑介1983東京堂出版)

 い[伊、五、井、藺、猪、居、亥] ①接頭語。語調を整え、意味を強める ②イ(斎)で「清浄な、神聖な」 ③和数詞イツ(五)の頭音。イソ(五十)など ④高くそびえた所 ⑤ヰ(井)で「泉や清流から水を汲み取る所」 ⑥堀井戸 ⑦湿地 ⑧湿地に生えるイグサ(藺) ⑨井ノシシ(猪)にちなむ地名 ⑩ヰ(居)で「集落」 ⑪十二支の「亥」で北北西の方角

いい[飯、伊井、井伊] ①上。天の方。海の方角に対して山の方の方角 ②自然堤防や段丘などの小高い所にある田や土地 ③イヒ(飯)を盛った形 ④井戸。泉 ⑤ユヒ(結)の転で「共同労働、労働交換の慣習」 ⑥イヘ(家)の上代東国方言イヒによる

【全訳読解古語辞典】(外山映次2007三省堂)

い[接頭] 動詞に付いて調子を整えたり意味を強めたりする

い[斎・忌] 名詞に付いて神聖なものである意を表す。接頭語。上代語

い[寝] 寝ること

い[網]  蜘蛛の糸

い[異] 四相(しそう)の一つ。変化すること。仏教語

【日本語オノマトペ辞典】(小野正弘2007小学館)

いじいじ 態度や行動があいまいで、ひっこみ気味でいるさま

いそいそ 心がはやり、勇むさま。うれしい心をはずませているさま

いちゃいちゃ 男女が、戯れたりまたはあれこれ言い争ったりするさま。いちゃつくさま

いらいら あせって心に余裕のないさま。思うようにならなくて、感情が高ぶっているさま 

【川をなぜカワというかー日本語生成原理の発見】(渡部正理1999新人物往来社)

 

※これについては本文参照(渡部正理著)→ホームページ「日本語の起源」

鈴木健次のホームページ

 日本語では「い/ゐ」「え/ゑ」「お/を」の区別があった。これを変換すると「I」「E」「O」となり区別は消えてしまう。日本語では必要があって仮名文字まで用意されているのであるから、その意図は尊重されなければならない。では「ローマ字31概念」はどのように対応しているのであろうか。

い  I(1)   行動   甲類   き=Kい   企(行動の発生)

ゐ  I(2)  非行動   乙類   き=Kゐ   帰(非行動の発生・居の発生)

 

(20251107) 


よくある地名の語源 「い」

いいもりやま(飯盛山)【】 

 飯盛山、飯ノ山、飯豊山、飯田山、飯綱山、飯谷山、飯場山など諸国にある。山々の開設には、山容が飯を盛ったようにみえるところからの命名らしい。男女両性の神々を祀るものも多い。飯道神社なども祭神論的にはスサノウミコトといわれるが、古代信仰の世界では、飯道彦命・飯道比咩命。それらの山々には役小角の開山伝承に結び付くとある。(『日本民俗文化体系5山民と海人』p111)

 

いげ(神母・伊気・伊下・イゲ)【神母神社(奥呉地・志和ほか)、神母野(興津)】 

 用水を方言でイと呼ぶことに関連する高知に多い地名。稲毛・池など水田稲作に由来する言葉であろう。井戸をイケというのは日本各地にあるという。イケル(埋める)に関連か。土佐特有の用水地名ではあるが「神母」と漢字をあてた経緯は不明。谷川健一は「土佐に多い用水地名」と述べる。県内に226か所の小字が分布する。

 神母地名226か所のうち、接尾語に「木」の付く字が34、「谷」28,「本」16か所となっている。桂井和雄は「神母ノ木」の樹種まで調査しているが、四万十川の中流域にないことは述べていない。 県下全域に発見できる「神母」地名であるが、物部川流域に特に多く見つけることができる。高知の米どころでもある高南台地に稲作由来の地名がないのが不思議である。「おいげさま」と四万十町では土佐州郡志の志和の段に「伊下社」という神社(南磯辺に鎮座する神母神社)があるのみである。

 桂井和雄は『土佐お神母考』では、県下281社(高知県神社誌)の神母神社を詳しく調査している。高知県神社明細帳では神母神社は高知県内に145社(長岡郡90、吾川郡13、幡多郡11、土佐郡・高岡郡10ほか)と、香長平野に突出して多いが、美味しい米産地・高南台地には1社しかない不思議。土佐における小祠・神母の全体を、神社明細帳の鎮座名、県下全域の聞取調査、イゲに因む地名などから論考する。神母神社281社の祭神から水信仰や稲作関連が見える。

 県下に233か所の小字。その習俗も人から機械に替るとともに消えていく。オサンバイも一緒だ。

高知にあって徳島にない地名の一つが「神母」地名。下記の民間信仰地名だけ見ても、面白い。

神母(イゲ) 239高知VS徳島0

佐婆為(サバエ)57高知VS徳島0

野津後(ノツゴ)60高知VS徳島2

 ※野神(ノガミ)26高知VS徳島34 

 

石神(イシガミ)294高知VS徳島3

 

いさきだに(井崎谷)【井﨑地区の集落】

 

いさなぶち(イサナブチ)【希ノ川】

 希ノ川の四手ノ川川を入ってすぐの対岸(エコロギー四万十の対岸)がイサナブチ。語尾のフチは、瀬渕と思われるがイサナが気になるところ。イサは夜漁のイサリの短縮形、ナは土地を意味する古語(産土、名主、名子のナ)と理解すれば四手ノ川地区の漁場といえるがどうだろうか。大月町赤泊には「イサフチ」、土佐清水下益野には「イサイ沖」の字名がある。

いしがみ(石神)【】 

 小林達雄『縄文文化が日本人の未来を拓く』は、火焔型土器の物語性、縄文土偶の精神性、竪穴住居の世界観、環状列石の宇宙観、それらは自然を征服する弥生以降の現代文明の落とし穴を埋めるチカラがあるような。山や石を崇める日本人の古層が、驚くほどの「石」地名を刻んでいる。1万年以上の縄文の文化的遺伝子は脈々と今に生きると述べる。

 石は動かない永遠性、神秘性があり、位置を示す道標となり、暮らしの道具の実用性も備えるゆえに、高知県下の小字に「石」地名が2,990か所刻まれる。中でも多いのが石神290か所。他は立石156、砥石89、クレ石73、大石57、丸石42,三ツ石41。

 岡本健児『土佐神道考古学』に古事記の石長比売の物語を引用して「石は永久に不変堅固なるがゆえに古代人は、石を神とみたてて石神信仰・岩神信仰を行った」と述べる。山の磐座が信仰対象であるのは遥拝する石鎚神社しかり。立岩26、烏帽子岩23、鉾岩21、火打岩など尖りがお好きだ。

 

 五来重『石の宗教』は「庶民は、雨の日も晴れの日も路傍に立っている石塔、石仏、石碑に飾らない信仰心をいだく」という。山に登ると大きな自然石には注連縄が飾られ、山頂では石を積む習慣となる。石の崇拝は柳田国男『石神問答』にも書かれているが、「石」こそ日本民俗学の出発点だ。

いしさし(石指)【平串、黒石、石サシタ(市ノ又)、石サシ本田(数神)】

 四万十町の平串と黒石の字「石指」は、長宗我部地検帳にもホノギとして記録されている中世以前の地名である。サシは焼畑をする意の古語とある(民俗地名語彙辞典)。関東にはサスという地名が多く、佐須、指の字が当てられている。 

 長瀬瑞己は『地名を読む(サス、サシ)』(2003年、東京学芸大学研究紀要)に、関西方面の「小字一覧」から「石指」の小字28か所を示し、「これらイシザシが『日葡辞書』に見える”イシザシ”であることは、ほぼ間違いない。」と述べて、次を引用している。

Ixizaxi イシザシ:Ixicaqi(石垣)に同じ。石の塀、または石の垣

  また、高知県の分布として、土佐市家俊の「石指(いしざし)」、四万十市西土佐藤ノ川の「石サシ」を挙げている。

 『四万十町地名辞典』の編集子が収集した県下116,998の小字データによると、この2か所の他に、四万十町黒石字石指、四万十町数神字石サシ本田、四万十町平串字石指、四万十町市ノ又字石サシ田、津野町杉ノ川上石指・同下石指、黒潮町馬荷字石サシ、宿毛市押ノ川字石サシの8カ所あり、高知県西部に多く分布することから、何らかの共通性が感じられる。また、津野町杉ノ川には集落名称として「石指」がある。

 長宗我部地検帳(仁井田郷地検帳/刊本「高岡郡下の2」p232」)のクロイシ村(四万十町黒石)に「イシサシノモト」のホノギが見える(字の読みを「せきし」を付しているのは電算化の誤読入力と思われる)。また、長宗我部地検帳(久礼分地検帳/刊本「高岡郡下の1」p690」)にも「石サシノソト」とあり、このことからも、日葡辞書と同時代に記録された、中世以前の地名であることが理解できる。

 石垣から読み取れるのが高知の方言で「シガキ(猪垣)」である。猪の作物荒しを防ぐために築いた石垣のことと説明し、別の意として鳥獣を撃つ場所とある(高知県方言辞典)。シガキについて『民俗地名語彙辞典』は「猟をする時、身を隠す場所」として西日本での用例を示している。四万十町江師の山の小平地に開墾された通称「黒作バタ」には、このシガキの跡が数百メートルにわたって残っている。いずれにしても「シシ(猪・鹿)のサシさわり」=有害鳥獣被害であると考えられる。石サシ田、石サシ本田の字名があるように、石指+田の意味するところは、稲作を有害鳥獣被害の被害から守るための石垣をイメージするがどうだろう。

 このシガキの類似する字に、いの町上八川上分字イシシガキ、津野町貝ノ川字石ノシガキがある。「イシノシガキ」が「イシサシ」と転訛したように思えるが言語学的な検証はできていない。

 高知県高岡郡津野町杉ノ川に上石指、下石指の小字があり、国土地理院地形図にも「石指」集落として唯一記録されている。

 

いしだがわ(石田川)【地吉地区の集落】

 

 

いけだ(池田)【】

 

いさいがわごう(井細川郷)【中世の広域地名。現在の天ノ川を除く窪川・立西地区

 中世の仁井田庄が仁井田庄八郷八番と言われたころの八郷の一つ。井細川郷6か村は、檜生原村、寺野村、川口村、秋丸村、野地村、家地川村で現在の折合(折合村)は上山郷に、天ノ川(天野川村。当時は若井の枝村)は窪川郷に属していた。  

いずがたに(伊豆ヶ谷)【秋丸伊豆ノ谷、平串伊豆ノ谷、奈路伊豆ノ本

 イズの音の大部分は伊豆の字が当てられ、「伊豆ヶ谷」地名が大部分で県内各地にある。伊豆ヶ谷のほか伊豆ヶ奥、伊豆ノハナ、伊豆ノ本などの字地名がある。

 イズは①イヅミ(泉・出水)の略②イヅユ(出湯)の略で温泉③ユ(湯)・デ(出)の転④イヅ(出)の意で地形が海中に出ているから。一般に出っ張った所と『地名用語語源辞典』は解説し「主として伊豆の国名を中心に考えられてきたが、あるいは”場所”を示す語の省略された形と見るべきか」とも追記している。イズコ(何処)がイズに省略され「伊豆」の漢字を当てたというのか。いずれにしてもイズの音に伊豆の漢字しか当てられていないのが不思議である。

 四万十町内の三例をみても伊豆半島のような突出地形でもなく伝播地名でもない。温泉が出る場所でもないので、水利としての井出と理解するのが普通か。秋丸(ホノギ・イツノヲクに比定)、奈路(ホノギ・イツノモトに比定)ともに長宗我部地検帳にも見られる中世以来の地名である。 

いそ(イソ・磯・石)【】 

 一般的に岩の多い波打ち際の海岸を磯(いそ)というが、磯のほか石上(いそのかみ)というように「石」の字もあてられる。イシ(石)が転訛して磯になったのだろう。五十と書いてイソと読むのも岩石がいっぱいあるさまをいったのだろう。

 古代、石はイジ、イワ、イソと呼んだようである。『和名抄』の地名部に大和国「石上」をイソノカミ。普通イソは岩石の露出している海岸をいうが、陸岸を遠く離れた海中に孤立するもの、たとえぼ徳島県津田港口(徳島市)の南東方四キロの海中にある磯亀のようなものもある。イソほ海岸のみならず、川原の石の多い所をもいう。

  高知の方言で断崖絶壁の岩山を「イソ」という。高知県下にイソの小字が200カ所近くあるが、うち141か所が内陸部。安芸市、香南市、香美市、大豊町の山間部に60%が分布するのはそのためだろう。土佐物部川筋で断崖絶壁の岩山。岩手、秋田ではそういう山から崩れ落ちる土砂または雪崩をいう。伊豆諸島では小岩礁の海水の干満により出没するようなもの。アイヌ語でも露岩をいう。磯谷のヤは陸地〔『地形名彙』〕。

 

 内陸部に多い「磯」地名だが、接頭語でみれば「黒磯」24、「横磯」12、「長磯」11で、磯ノ上・下磯といった「方位+磯」地名が32か所と多い。磯のイメージは、砂浜と違って、岩石の多く、特に大きな石や岩がゴロゴロしている場所。そうなら、吉野川や仁淀川の上流域の岩石ゴロゴロの景観は黒磯・横磯・磯ノ上など磯=岩石を基準にした名づけのようだ。「黒磯」のクロは色彩の黒ではなく、高知でいう稲グロ・藁グロ・石グロといった、物を小山のように積み上げた所をクロと呼ぶ。とすれば、ゴロゴロとした大きい岩石を積み上げた景色が「クロ磯」なのか。ただ、石グロとクロ磯では、物質(岩石)と形状(積み上げ)の順が逆になる(磯グロなら理解できる)。

 

いた・・(イタ・・)【】

 ①波の静かなこと②潮の古語③崖と推定しうるものも多い。城址の丘端の崖地(民俗地名語彙辞典)

 『地名用語語源辞典』には「イタは動詞イタブ(痛)の連用形で”物が損なわれること”から崩崖などの崩壊地形」とある。

 イタビカズラ(崖石榴)は常緑の匍匐性ツル植物であり、本州の福島県・新潟県以西、四国、九州、朝鮮、台湾、中国に分布する。「崖石榴」と漢字が当てられているようにイタビは「崖」の意味であり”崩壊地に生えるカヅラ”が字義通りの植物名であろう。高知の方言では犬枇杷(いぬびわ)のことをイタビではなくイタブという。

いたどり(虎杖・板取・イタヅリ)【虎杖谷(四万十町七里越行・床鍋)、イタヅリ田(四万十町仁井田の浜ノ川集落)、板取山(四万十町志和)】 

 「イタドリ」地名は県下各地に55か所見える。イタヅリ、板取、虎杖川、板ツリサコ、イタヅリ谷、イタヅリ田、イタヅリバタ、イタヅリハラなど多いが、接尾語としてはイタドリ谷、イタヅリサコなど「谷」や「サコ」を付して自生地を地名化した小字が33か所ある。

 『高知県方言辞典』には土佐の郷土料理につかう食用植物「イタドリ」の方言名がいっぱい。一番近いのが「いたづり」で県下全域。大正や大方・中村では「いたっぽ」、室戸や物部・香北では「いたんこ」で、幼児言葉として「いたんぽ」が県下全域。その他、大豊町・土佐町や中土佐町では「たちんぼ」、高知市鏡や大月町では「ちょんぼ」、沖ノ島では「ぼんぼん」、黒潮町佐賀では「めぐみ」とあった。「めご」もある。

 

 電子国土Webで検索した「虎杖」は、高知県のほか愛媛県西条市と秋田県・北海道にしかなかった。ただ、「板取(イタドリ)」では、中部地方に多く、金山・銀山の選鉱の熟練工の意味もある。

 イタヅリは食用でなく忌避された虎杖の話もある。虎杖を食べれば「七日の穢」という俗諺は「熊野の縁起」によるものである。

 熊野権現が天竺から垂迹した由来を描いた絵巻「熊野本地絵巻」に詞と絵で詳しく描かれているが「虎杖と熊野社」の関係を理解するために全体のあらすじを紹介する。

 印度まかた国の大王に世継ぎがないことから後宮に千人の后を召す。大王は六年目にして千人目となる后を五衰殿へ訪ね、容顔美麗で観音信者であった后は懐妊。九百九十九人の后は嫉妬して大王に讒奏し、大王は妊娠中の五衰殿を山中に遺棄する。王子は死骸の乳房をすい虎狼にもまれて成長し王宮にかえるが王位を捨て神国日本に飛来したという。これが「熊野の縁起」で、大王は本宮証誠殿(熊野本宮大社主祭殿/家津御子・素戔嗚/阿弥陀如来)、五衰殿は那智の結宮両所権現(那智大社/夫須美・伊邪那美/千手観音)、王子は若宮(若一王子/天照大神/十一面観音)であるという。九百九十九人の后は後を追って日本へ渡る途中、暴風で海中に沈みその霊が赤い虫となって熊野の「虎杖」にとりついた。このことから熊野詣の途中で虎杖にさわってはいけない、食べてはならないという俗諺となったのである。(「熊野詣」五来重、講談社学術文庫p127)(サントリー美術館データベース熊野本地絵巻<https://www.suntory.co.jp/sma/collection/data/detail?id=644>)

 この話は熊野の御師(おし)や山伏・修験道・比丘尼によって全国に広められ熊野社の勧請が進むとともに地名にも刻まれていったことだろう。この忌避された虎杖が土佐の食用植物にもなったいきさつは何か。民俗地名として探求したい。

 松浦武四郎『四国遍路道中雑誌』は「此辺りに(室戸)虎杖をとち来て喰。其餘山野に有るとあらゆる艸をもち来り喰」と土佐の食事事情を記録。18歳の武四郎、矢立と野帳で道中を記録する手法は四国から始まった。 

 板のつく地名にはガケからきたものもある(民俗地名語彙辞典)。板ツリ迫(本山町沢ヶ内)、板取(南国市廿枝)、板取山(四万十町志和)のあり、字義どおりに板に関連する地名かもしれない。

 『地名用語語源辞典』に「イタは動詞イタブ(痛)の連用形で”物が損なわれること”から崩崖などの崩壊地形」とありガケ地から来た地名かもしれない。

  四万十町仁井田の浜の川集落の西側の谷合にイタドリ田があり、同町志和の志和川の上流域北側に板取山がある。

 県内の字地名として、次の地名がある。※虎杖を「トラツエ」と読んで字データベースとしたものと思われるものも含む。

 虎杖谷(安芸市穴内・南国市才谷)、虎杖サコ(越知町横畠北)、虎杖原(津野町三間川)、虎杖川(梼原町上成)、虎杖山(黒潮町鈴・四万十市下田)、虎杖カラス(宿毛市和田)、虎杖渕(土佐清水市横道)、板取(南国市廿枝)、板取谷(黒潮町入野)、板ツリ迫(本山町沢ヶ内) 

 

いちのまた(一の又、市の又)【井﨑地区の集落、国有林野】

 

 下流から谷別れを順に付したのが「一ノ又、二ノ又、三ノ又」。アイヌも川は下流から上流に向かうものということから縄文語のカケラかもしれない。この一ノ又は県西部の呼称で東部は一ノ谷、中部嶺北は一ノ瀬となるから面白い。ただし、行政の河川管理は上流からの視点で弥生文化だ。 

いちのせ(市野瀬、市の瀬、市之瀬、一の瀬)【四万十町大正北ノ川一ノセ、四万十町烏手市ノ瀬、四万十町十和川口一ノ瀬】<黒潮町市野瀬、土佐清水市下ノ加江の市野瀬集落、佐川町丙の市の瀬集落、梼原町越知面田野々市ノ瀬、香美市土佐山田町西又一ノセ、南国市白木谷市ノ瀬ほか多数>

 「イチノセ」地名について、筒井功氏の著書『日本の地名』では「イチ(漢字は、ほとんどが市か一)の付く地名は各地におびただしくある。なぜ、こんない多いかが、まず謎である。(略)市ノ瀬は代表的なイチ地名の一つで、各地にざらに見られる。大部分は深い山中に位置して、市場とのかかわりは想定しにくい。かといって、いくつかある瀬のうちの何番目という意味でもない。(略)イチの語はおそらく「神をあがめる」の意の「斎(いつ)く」のイツと語源を同じくしているのではないか。(略)東北地方で口寄せを業とするイタコ(コは人といったほどの意)、戦前まで各地で見られた祈祷者のイチコ(略)などもみな一種のイチである」と巫女の一形態である土佐の「佾(いつ)」とイチ地名の関係性を述べている。

 高知県下に市野瀬が二つあり、そのふたつとも付近に市野々の地名もあわせもつ不思議な関係にある。黒潮町市野瀬は四万十町と黒潮町の境に座する修験の山・五在所ノ峯の南麓にあたる集落で、いっぽうの土佐清水市下ノ加江の市野瀬集落は土佐の延喜式社・二十二座のひとつ・伊豆田神社のふもとにある集落。中世以来の地名であり、巫女の一形態である土佐の「佾(いつ)」との関連性をにおわす地名である。長宗我部地検帳にも「佾ヤシキ」「イチノミコやしき」といったホノギや「佾給」「惣佾」「権佾給」「一宮佾給」「八幡佾給」などの給地がみられる。「佾」について白川静氏の字源辞典字統は「祭肉を頒つ意であろう。肉を両分することをいい、舞楽の列を佾という」とある。他の辞書では音読みとしてイツに加え、イチもある。

 高知県内の字名では県下全域にイチノセ(市ノ瀬、一ノ瀬など)が20カ所近くあり、大豊町には戸手野、小川、立川下名、南大王、八畝の四地区に見られる。その他イチノサコ、イチノクボ、市神堂、市頭、市ヶ谷、一ノ宮、市屋敷、

 

いつ・いち(佾・イチ)【】 

 中山太郎『日本巫女史』が詳しく巫女を①神和(かんなぎ)系の神子②口寄(くちよせ)系の巫女に大別して、土佐では多くの神社に佾や佾太夫がおり、長宗我部地検帳にもホノギ「佾ヤシキ」や「佾給・惣佾・一宮佾給」などの給地がある。中山は「土佐国では佾(イツ)」と紹介している。市や一の転訛・借用もあり全容は不明。柳田国男『巫女考』は「土佐で多くの社に佾(いつ)と云ふ者が居る。其住所を佾屋敷と云ひ、或は男の神主を佾太夫などとも云ふ」という。

 佾を中山、柳田ともに「イツ」と訓じているが、長宗我部地検帳では「イチ」と記されている。刊本19巻に89か所の脇書きの「佾給・いち給・いち居」がみられる。一所に「一之舞給、惣ノ佾給(高岡村)」とあることから、県内には百人を超える佾が居たのではないか。

 筒井功『葬儀の民俗学』では「おそらく数百人」と予測する。長宗我部地検帳の「佾」の給地から郡別分布をみると 安芸郡7、香美郡7、長岡郡6、土佐郡18、吾川郡11、高岡郡37、幡多郡2か所みられ、高岡郡はなかでも土佐市26か所と多く松尾八幡宮・蓮池西宮八幡宮・宇佐八幡宮の八幡系に特徴。土佐一之宮・土佐神社や朝峯神社、朝倉神社、小村神社と古社に多い。

いど(井戸)【】 

 今では井戸をイメージできない世の中となったが、災害時に備えて見直されている。皿屋敷の怪談話など「井戸」の歴史は意外と新しく、地検帳ではツルイが212か所あるが「イド」は2か所(ゐ戸・イト)、明治時代に作成された小字「井戸」も56か所と少ない。田舎では昭和30年代まで利用された。

いなり(稲荷)【】 

 

 全国分布の稲荷地名は渡来人・秦氏の稲荷信仰が勢力拡大とともに全国に伝播という。稲荷の音・トウカから「十日」に転訛した地名も多い。高知県大月町姫ノ井のもとは狐の棲家を意味する狐塚村だ。

 

いで(井出)【】

 

いぬ(犬)【】 

 高知県内に「犬」小字が60か所。犬は飼主へ「従順」な反面、密偵・密告・偽物など「裏切り」や「犬死」といった負のイメージもある。「犬討・犬ククリ場・イヌヲトシ・イヌヨセ」の小字が示す「犬」は、犬=山犬=狼ではないか。

 県下にオオカミ地名37か所あるが狼18だけでなく、大亀11や大神3、大上ミ13の転訛もあり定かではない。仁淀川町には犬地名5か所で狼地名はなく、狼の方言地名かもしれない。「犬ヶ谷22・犬カエリ7・犬カ墓2」地名もある。

いぬい(戌亥・乾)【】

 

 

いのちやま(命山)【南国市久枝】  

 南国市久枝の旧小字図に「命山」がある(今は高知龍馬空港)。広谷喜十郎は『土佐史談165号』に「土佐の津波の碑と命山」を発表。県下の津波碑などから、津波から逃れた山を感謝をこめて「命山」と呼んだと述べる。土佐は九十九灘(つくもなだ)の別称、『谷陵記』に「亡所浦百三ヶ所」と津波で消えた浦港を示す。

いのちょう(いの町)

 ひらがな市町村名には「合併配慮」や「苦肉の策」があるようだ。

 高知県では伊野町・吾北村・本川村の新設合併「いの町」だけ。平成の合併では高知県で一番早かった。土佐郡本川村と吾川郡の2町村との合併である。歴史より国道194号線の交通の利便関係が勝ったことになる。 

 平成の合併では新しい自治体名称を「公募」による場合が多かった。ここの応募総数は263件。数は公表していないが「伊野町」が過半数(第5回合併協議会議事録)。名称小委員会は「伊野町」で報告したが、合併協議会は公募最多の伊野町でなく「いの町」を選定した。合併協初めての投票だったが、出席35名委員中議長を除く34人(5人欠席)による投票で「いの町17票・伊野町16票・白票1票」の結果、いの町に決定した(20030523)。まんのう町、東みよし町なども同じ事情。多くの自治体名称の決定には、構成市町村への配慮があったし、名称にイメージ戦略のような期待があった。時が慣れさせるだろうが喉にひかかった小骨のような気分だ。 

 

いば(イバ)【】

水の堰。井のあるところ

いばやしやま(井林山)【旧井林山(日野地)】

 田役道具や材料用として存置された山林。公有林(平尾道雄著「土佐藩林業経済史p70」)

 土佐は山間の国であり林業国であることは、藩政時代から今に至っている。藩有林であった「御留山」は現在の国有林野や自治体の公有林となっている。藩政時代の山林種目として、「御留山」「預り山」「支配山」「宮林」「寺附林」「火除林」「所林山(トコロバヤシ/村々で支配する留山の一種の公有林)」「関所林」「家掛林(ヤガカリ/家屋敷付近の植林を許された民有林)」「伐畑山」「明所山(アキショ/地元の願いにより解放された山林で明所山の一種。立木10本につき3本を残置する慣例)」「散山」などがある。

 高知県内の「井林」の字名は、香美市香北町下野尻、香美市香北町太郎丸、香美市香北町猪野々、香美市物部町大栃、南国市明見、いの町神谷にある。

いび(イビ)【】

 イビ・エビは「階段状地形」。指はイビ、海老はエビというのは節がいくつもあって曲がっているものの名

いまざいけ(今在家)【】

 

 柳田国男『地名の話』は開発地名の一つ”今在家”について「新開地の地名として、今在家・新庄家・新屋敷等のごとく、戸を標準とする地名の多いのは自然の結果。農民は資力の許すかぎり分家を造りたい。大規模の開墾事業にしてはじめて在家新設の特許を得る。」と述べる。在家は出家しないで仏教に帰依することであるが地名の多くは、中世の領主の所領内に居住し在家役を負担した農民の居住地や耕地を呼び、新在家や今在家はその分家変遷を示すものだろう。

 高知県にも「在家」小字が24カ所あり、柳田の言う「その地名はかかる肝要なる事実(開発分家)を表したもの」の地名で、地検帳にもある中世以前の開発を示す。

 新在家・今在家に類似する地名が「新屋敷」。この地名は「在家」地名よりはるかに多く63か所ある。地検帳の比定地が少ないところからも近世の開発による地名のようだ。また「新地」地名も県内に30か所あるが地検帳にはなく明治以降の地名であることがわかる。高知市若松町など遊郭街を示す小字でもある。

いまなり(今成)【十和川口地区の集落】

 高知新聞連載コラム『土佐地名往来No29』は「仁淀川が生んだ土地」として越知町今成を紹介。今成は大川の湾曲部に突出してできた砂礫沖積段丘の称で、地図と一致する。現在は沈下橋があるが舟渡の松山街道はここから横畠、黒森へと向かう。四万十の今成は「今在家・新在家」と同じく新しい村の意味か? 

『高知県市町村合併史』に越知町の段で「今成(いまなり)は新村の意」と紹介する。

いめの(夢野)【】[香美市土佐山田町片地地域]

 高知工科大学付近に「夢の温泉」があり、Hpでは地域の字の名称「夢野」から命名とある。高知県土佐山田町片地地域に「夢野・ユメダ・鹿落・鹿ノ寝覚」地名が数か所みえる。今でこそ高知工科大のキャンパス地になっているが、中世は未開の地でか狩猟の適地を示す地名ではなかろうか、夢野は射目野、ユメダは射目処と思える。

 谷川健一『列島縦断地名逍遥』に「鹿猪を待ち伏せする場所を射目前(いめさき)といい、猟師が狩りの前の夢占いから射目が夢に転訛した」という。地検帳にも「夢野・夢田・鹿ヲトシ」がある猟場。狩猟語彙は山国土佐ゆえに多いが、地名として刻まれるのは、獣の通り道であり、集団狩りの射る場所である。その他、罠を仕掛ける場所(熊押・猿押)もみられる。『分類山村語彙』の示す語彙も方言があり複雑に転訛していると思われるが、高知県に関係ありそうなのを拾ってみた。

 『分類山村語彙』はナカイメ(中射目)について「イメ又はマブシともいう。狩の射手の隠れて居る処。日向の椎葉ではカクラ(狩場)が広く、獣を追い越すことが困難な場合に中射目を置く」と述べる。古語のイメは九州と関東にわずかに残っているという。九州肥後あたりでは狩の射手をユメ又はイメというと加えて述べる。

 射るは弓矢猟の中世の地名を示しており、近世になり鉄砲に変わっても狩の隠れて射る場所は変わらないだろう。

 

いもふね★(イモフ子・芋舩)【イモフ子(四万十町土居)】 

 『長宗我部地検帳』の高岡郡仁井田郷新在家之村(四万十町土居)の段に「是ヨリイモフ子谷ヲ付」とある。東又川から分れた大井川の左岸が土居地区で、その支流・柚ノ川から、隣の弘見地区に越える谷筋がイモフ子谷と思われる。久礼村中村(中土佐町久礼)の段にも「イモフ子」とあることから中世以前の地名である。安芸郡東山八名御地検帳(刊本安芸郡下p235)の八谷村(安芸市大井八ノ集落)の段に「イモソ子谷川懸テ」とあるが「イモフ子」の誤翻刻とおもわれる。

 四万十市田野川甲の「イモフ子山」は、四万十市全図(後川地区大字田野川甲図面番号25)では「芋舟山」とあり、田野川川の最上流域に位置し、森が峰を越えると口鴨川となる。ここでも「イモフネ」に「芋舟」の漢字を当てているが、イモには別の意味があるのではないか。例えば難読地名に「一口(イモアライ)」がある。「三方は沼にて一方より入口之ある故に一口と書くなり」とあるように村里離れた閉ざされた空間の入口で斎み祓いをしたことからイミハライ→イモハライ(母音交替)→イモライとなったものという説(民俗地名語彙辞典)。県内の小字やホノギの「イモフネ」の景観は「イモライ」と同じように村里離れた山中の閉ざされた空間のようである。

 食物の「芋」というより、身を清める「斎み」や、痘瘡(とうそう)の古名である「イモ」、鋳物の「イモー」をイメージする。

 また、「舟・舩・船(フネ)」は、水に浮かべて人やモノを運ぶ用具であるが、木をくりぬいて水・湯・酒など液体を入れる容器としても利用したことから、内部を空洞にした箱形の容器もフネと呼ばれる。

 タタラ製鉄にも「大舟」「小舟」の名称があり、「大舟」は爐(炉)の真下にある本床を乾燥させる施設のことである。このタタラ製鉄には大量の木炭を必要とすることから、砂鉄とともに木炭を供給できるところが求められ、山奥のそれも小谷が突きあう小平地が地形条件となる。「いもふね」地名が刻まれる高知県下の小字・ホノギの分布位置からもから、鋳物舟→イモノフネ→イモフネとも考えれるるがどうだろう。

 

 安芸市大井字「東イモフ子」

 佐川町四ツ白字「芋舩谷」

 津野町杉ノ川字「イモフ子」

 四万十町土居字「イモフ子」

 四万十市田野川甲字「イモフネ山」 

 

いやがたに(イヤガ谷)【】

 武田明『日本人の死霊観』は日本の各地に死者のゆく山があるとして、四国霊場71番札所弥谷寺の弥谷山をイヤダニマイリする風習を紹介。「沖縄では男親をイヤという。オヤ(親)、ウヤマフ(敬う)など畏敬の意味があり、古代の葬地をイヤと呼ぶ」と述べる。

 徳島と言えば「祖谷(イヤ)」。奥深い祖谷谷の景観をイメージする。讃岐の弥谷寺のイヤ谷・イヤ山のように風葬地と思っていたら『徳島県の研究6』「祖谷の地名と表記」で①祖谷の地名発祥は「小祖谷」②オイヤの原義は「大岩」③小祖谷山→祖山・伊屋→祖谷山と説明。頷く解説だ。

 

 県下に33か所のイヤ谷。旧大方町の西端海岸に「伊屋」の集落があったが昭和32年(1957)中村市に編入され大字双海となった。

 

いやじり(弥代・イヤジリ・厭尻)【】

 

 『明治大正時代国府村民俗語彙』に「いやじり(弥代)①連作②同植物ヲ毎年作ル地」とあるが、「厭尻」の意味なら連作障害を避けるための名付けだろうが地名になるのが不思議。土佐町東石原、高知市鏡的渕に「イヤジリ」の小字。イヤには奥まった所の意味もあり好ましくない土地が共通する。

 高知市鏡的渕字「西イヤジリ」

 土佐町東石原字「イヤジリ」

いりょう(イリョウ・井領・井料)【】

 

 井領田。農業用水の維持管理にあてるための料田。年貢は免除された。

いる・ゆる(井流)【】

 

 桂井和雄『土佐の地名』は宿毛市姫島の「ユルギ碆」と室戸市佐喜浜町の「入木」を紹介し「他国に多い由良(ゆら)という海辺地名と関係があるようだ」という。砂をゆり上げてできた平地を意味するとして東日本大震災での映像で有名になった「閖上浜」を挙げている。桂井も入木をユルギと読んでいる。「閖上浜」の光景は記憶に強く残る。仙台の名取川河口の港として栄えたが「閖(ゆり)」は水+門でつくられ、水をせきとめて逆流を防ぐ水門のこと。ユリ・ユラは”揺らぐ”で「川の水の動き」つまり”川”を意味したものだろう。

 高知県では溝や水をせき止めて逆流を防ぐ水門を「ゆる」という。徳島県では河川をへこませて設けた木材の集散地を「ゆり」という。高知インターを降りると「杉井流」。スギイルと読むが『地名用語語源辞典』では「ゆる (入・由留・百合)①~④(略)⑤川から田へ水を引くための溝と川との間の水門(高知方言)⑥溝(土佐幡多方言」とある。地検帳の読みではイル6、ユル8と拮抗。田づくりは水が命だ。高知ではユル・イルの漢字は「井流」が多く96か所の小字の内66か所。井流口の例が多く、読みはユル、イルが半々。ただ、ホノギではユルの読みが多く、ユルがイルに転訛して井流の漢字が当てられたのだろう。高知市杉井流が一番知られているが読みはスギイル。

 長宗我部地検帳のホノギでは、 「ユルノクチ20・ユルテン4・ユルノ内3・ユル谷2」など36か所で「イル谷12・イルノクチ5・イルノ本」など24か所となる。中世以前ではユルが主流だがイルノクチなどイルとも呼ばれていた。

 高知県の小字では、「イル」小字が56か所で「ユル」小字が40か所。

 ホノギのユルノ内・大ユルが明治の土地台帳では井流ヶ内・大井流となっていたり、時代とともにイルに転訛したか。

 原田英祐「土佐東部の地名の問題」『土佐史談190号(1992.9月)』に「室戸市佐喜浜町入木は”ユルギ”と通称されてきたが、いつしか”イルギ”に変わりつつある。マスコミの影響によって古来の呼称が無理矢理に抹殺されつつある」と警鐘を鳴らす。「クロイソ→クロイワ」「生見(イクビ)→(イクミ)」など多数あると指摘する。

いろちめい(色地名)【】

 色地名は時代の鏡。人類は火の発見から墨や煤を得て「黒色」をつかって洞窟の壁に鹿などを書くことを覚えた。人類最初の色はクロだろう。高知県の小字における色彩語彙を見れば、黒649、赤650、白473、青239で数の多少が歴史を物語る。なかでもクロイシ・赤岩など色と形状で土地を表示する地名が多く信仰や崩壊の目印。

 慶長時代ころまでの国境・郡境の色は「紫色」だったという。聖性を帯びた国家的な意味合いからふさわしい色として使われていた紫が、江戸期以降は「黒」に転換された。天皇から幕府への権威の移管である。それ以降の国家的な絵図における郡境の色彩として使われることから古地図の制作年代を判断する目安となる。

 「色」地名はその時代を映すものさしである。例えば「黒」。古代には身分の低い階位を意味したが、鎌倉時代になり武士の色として「漆黒」が普及していった。今のレクサスの黒やブラックカードのイメージとして今でも権威の象徴色となっている。反面ブラック企業・黒の商人など、不正、非合法な経済活動を「ブラック」と表現する。

 里道や水路など道路法や河川法が適用されない小さな地物(法定外公共物)を通称、「赤線」や「青線」という。公図には赤と青の色で表示されていることに由来するが、戦後すぐは「赤線」や「青線」は売春を目的とする特殊飲食店街を警察の隠語で呼ばれていた。地図にその地域を赤色・青色で示されていた。昭和の男は両方知っている。

 高知県の「色」小字の接尾語を見た特徴は

黒岩119、黒石78、黒ダキ(滝含む)75、黒松71、黒磯26

赤ダキ(滝含む)80、赤ハケ59、赤ツエ43、赤石34、赤岩22、赤岩22

白石71、白岩44、白滝41、白土23、白髪20

 

 道しるべの色付き岩が多く、赤の接尾語にダキ・ハケ・ツエが多いのは山が崩れた形状か

 

(20211205現在)

(20251107最新)


ちめい

■語源

 

■四万十町の採取地

 

 

■町外の採取地