20251229更
しおり(枝折)【】
山道で目印のために枝を折って道しるべとすること。私は復路で迷わないために分岐点で枝を折るのは習慣となっている。高知県下の小字に61か所みられる往来地名。塩里、栞、柴折などの漢字もある。接尾語には谷7、山5、本5、駄場4
柳田国男は「(猪は焼畑の敵で)茅を折り連ねて垣のように畑の周囲に建てること。之をシヲリという」とある。有害鳥獣対策の鉄柵や電柵をも撃破する猪がこれで大丈夫だったろうか。また、高知の方言でおなかの下痢気味を「しおる」というが、地名にはならないだろう。吉田茂樹『日本地名語源辞典』は明確に「峠名などに散見され、木の枝を折って道しるべとした所」とある。
しおりやま(枝折山)【窪川中津川△奥神ノ川/標高806.3m】
この枝折山は昭和初期まで大正から久礼に行く山道。
しがき(シガキ・猪垣・鹿垣)【萩ノシガキ(打井川)、クイノシガキ(打井川)】
猟をするとき身を隠す場所。鹿や猪のよく通る道筋に待ち構えるのに都合のいい場所。伊与木定氏の朗著「掻き暑めの記上p399」に詳しい。『大方町史』にも猪から気づかれないように”しがき”を作って待つという。しがきとは、柴を折って、中にいる人が見えないようにした囲のこと。猪が通りそうなところにしがきを作ってじっと待つことを「しがき待ち」というそうだ。
高知県方言辞典には①猪の作物荒らしを防ぐために築いた石垣②鳥獣を撃つ場所③猪の通る道とある。小石の裏山の通称「黒作畑」には猪等からの防御施設としての石垣や土塁がある(四万十町指定史跡)。
しげとしやま(重利山)【久保川△津賀/標高640.3m】
しぞう(地蔵)【】
高知県内の「地蔵」小字が187か所。国の境には標木とともに「地蔵」が安置されている。四万十町にも愛媛との国境に地蔵山があり、それぞれの地蔵が安置されている。峠にこの地名が多いのも、道祖神と同じく境の鎮めを目的としたものだろう。石を手向けるのは山のケルンと同じ所作か。峠ではないが、川渡しの双方に見渡し地蔵を設える習慣もある。
しぞうやま(地蔵山)【大道△愛媛県鬼北町/標高1128m】
しちにん(七人)【】
「七人御先」は高知県や中四国に多い。水難など変死した人の怨霊にまつわる怪異とか、長宗我部の家臣・吉良親実の怨霊ともいわれる。成仏するために七人の人を誘い殺す、または一人誘い殺すごとに順に一人ずつ成仏する、などの伝説をもつ。
県下に仁淀川町長者に「七人ツカ」、高知市土佐山都網に「七人墓」がある。
しでざき(四手崎)【昭和地区の集落・組】
しでとうげ(四手峠)【昭和地区の峠】
四万十川は昭和地区轟集落あたりから大きく戸口集落、四手崎集落を穿入蛇行して、昭和地区市街地に至る。その首根っことなるところの峠越えとなる旧往来が四手峠。現在はその峠の下を国道381号線の三島トンネルが通る。四手(シデ)は昭和地区の旧村名。村名は改称されたが峠の名として国土地理院地形図に残る。
じぶた(治部田・地部田)【治部屋敷(本堂・与津地)・治部ハタケ(平野)・治部藪(打井川)・シブチ(打井川)、治部田(上宮)】
四万十町の地名は「治部」の漢字が当てられているが、律令制における治部省に関係するかは不明。語尾に田とあるのでシブの温転か。
鉄分の多い水田を渋田(しぶた)と呼ぶ。水地で年中乾くときもない田をジルタという。松尾氏はこれらの説に異をとなえ「シボムが語源で狭い谷や谷口のような地形」と述べる。また楠原氏は「形容詞の渋いから、円滑でない状態、なめらかでない地形を示すところ」と述べる(地名用語語源辞典)。
大正地区には地部田の姓もある。
しまど(島戸)【興津地区の集落・行政区・総代】
しもぐみ(下組)【戸川地区の集落・組】
しもむかい(下向)【金上野】
しもやしき(下ヤシキ)【多数】
長宗我部地検帳は、地高の次に田畑屋敷の等級が示される。下ヤシキは、作人などの低い等級の宅地
しゃえんじり(菜園尻)【四万十市西土佐口屋内】
四万十市西土佐口屋内にあった「農家レストラン しゃえんじり」。この地方では「野菜畑」を“しゃえんじり”と呼ぶ。地元でとれた野菜を地元の料理法でお総菜を提供するバイキングレストランだ。干し大根の煮物、ツガニの汁、イタドリの炒め物、リュウキュウの酢物、山菜や川エビの天ぷら、しいたけのタタキなどなど、気張ったモノではなく普段着の料理だ。これが結構人気のある店だったが、「寄る年波にはスタッフ一同あがらうことができず、仕事を続けることができなくなった」と閉店のお知らせが張られていた。
高知市菜園場町は「さえんば」と呼んでいることから、“しゃえん”は方言転訛の読みなのだろう。中世以前の地名をとどめる『長宗我部地検帳』には「サエン所五・サエンハ三・サエンヤシキ二・サエン一・菜園一」の十二か所のホノギがあるが“シヤエン”は一つも見あたらない。
『高知県方言辞典にも「さえん 野菜(野菜物の略)」とあり、県下全域で使用されているが、注記として「室戸では“さえんじり(野菜畑)の意に使用する」とある。また「さえんじり 菜園(「じり」は畠の意)」とあり”菜園“の漢字が当てられ、これも県下全域で使われている。土佐市波介の小字に「菜園(さえん)」があり、高岡郡波介地検帳のホノギ「サエン」に比定できる。同じく中土佐町久礼にもホノギ「サエンバ」も比定できる。「茶エン」のホノギも「茶エンノ芝三・茶エンハラ二」など八か所見られるがサエンの訓みはないにしても、サエンと茶エンは同音であるが接頭接尾語から判断すると、別のものとして検地しているようである。
柳田国男『食料名彙』では、「シャエンモノ 徳島愛媛の二県などには、蔬菜類をシャエンモノといふ語がある。」と説明する。
このよに「シャエンジリ」は「サエンジリ」の方言的な読みである。
ここで、気になるのが「菜園シリ」。「〇〇尻」の尻は何を意味するのか。 →「尻(しり)」を参照
しゃくしとうげ(杓子峠)【大正△四万十市片魚】
しゃだに(蛇谷)【】
「線状降水帯」が一般名詞になるほどになった。大雨災害の影像は、小谷を土石流が暴れて下る。それはイメージとして「蛇」なのだろう。「蛇籠」、「蛇崩」、「蛇抜」などの地名が各地にある。地形図には野根山から流れる「蛇谷川」、本山に「蛇野(はめがの)」。水神の罔象女信仰と災害記録の両方が「蛇」の地名を刻む。
『高知県神社明細帳』で水神社を探したら36社あり、仁淀川水系に半数が分布する。地すべり地帯と一致することから水神の罔象女信仰をうかがわせる。
しゅんぶんとうげ(春分峠)【四万十町と梼原町の境】
標高約730m、久保谷山国有林内にある梼原方面(松原)、窪川方面(窪川中津川)の林道が合流する峠。少し松原に向かうと大正方面(大正中津川)の分岐となる。「総延長15km余の林道が開通したは、昭和43年のこと。竣工式はこの地で行われた。そして、その日がちょうど春分の日(3月20日)だったことから、時の高知営林局長の森尾洋一さんが命名した。「鈴ヶ森」へ向かう登山口。
じゅうろくむら(十六村)【四万十町と梼原町の境】
「十六村」は名のとおり明治の合併で土佐郡の十六の村が集まったが、その歴史はわずか39年。山の往来で結ばれた山村は車社会の到来により里村に分散して消えた。
構成町村の数を村名としたものは、高知県内でも多い。三和村・三里村・三瀬村・四万十町七里・八束村・七郷村(現黒潮町)など郷村の合併でその構成町村数を示す町村名は多い。
しょうじ(ショウシ・障子・庄司・庄次・小路・正路)【障子ヶ内(奈路)、障子越(金上野)、庄次畑(八千数)、庄次谷山(若井川)、庄次ヶ谷(相去)、小路ノウ子(浦越)】〔庄司ヶ市(梼原町島中)、障子ヶ谷(香美市土佐山田町楠目、大川村南野山、宿毛市押ノ川)、庄次ヶ谷(土佐市太郎丸、四万十市西土佐橘)、庄司ヶ奈路(津野町杉ノ川)など多数〕
「ショウジ」地名は県内でも各地に分布する。漢字は障子、庄司、庄次、小路、正路が多く、時に笑シ、城師、正寺が当てられている。
語尾に付く文字は「谷」が多く「藪」「ナロ」「平」「淵」などの地形景観を示す場合もある。一方では「屋敷」「畑」「ヶ市・ヶ内」「作」といった、支配形態を示す場合もあるので、現地で確認する必要がある。
地名用語語彙辞典も①細流。泉②小路。幅の狭い道③小字・小名④荘園管理の従事者・庄司にちなむ⑤岸壁を障子に見立てるとある。
ショウジ・谷は、ショウズ(水の湧き出る所)からきた地名だろうか。往来周辺に付けられた地名はショウジ(幅の狭い道)として小路・正路を当て、そそり立つ岸壁や岩山を障子にみたてて障子滝、障子越としたかもしれない。
ショウジには、荘園の管理に従事した役職「庄司」「荘司」によるものもある。庄司屋敷、庄次畑、庄司ヶナロ、庄司ヶ市などはその名残りかもしれない。庄次作、庄次畑は耕作人を付した焼畑地名かもしれない。
宿毛市平田町黒川に平田俊遠の墓(字・日林寺)がある。宗福寺を拠点として荘園の維持管理をする地方官吏であった平田俊遠の職名が庄司であったことから「庄司」と呼ばれた。宗福寺の谷奥に「障子奥」「障子奥ダバ」の字名があるのは、この職名に由来するものと思える。この黒川の地の向いに式内社「高知坐神社(たかちにますじんじゃ)」がある。往古、幡多の中心は平田であったのではないか。
しょうじょう(猩々・猩々山)【上岡】
上岡の集落の対岸、四万十川右岸の口打井川にまたがる町有林が「猩々山」である。不思議な地名で印象に残る。
猩猩(しょうじょう)は、古典書物に記された架空の動物。能の演目から、猩々が真っ赤な能装束で酒に浮かれながら舞い謡う印象が強くそのイメージが定着しているという。
身近にショウジョウトンボ(オス・猩々蜻蛉)、ショウジョウバエ(別名小蠅・猩猩蠅)など「ショウジョウ」が付けられた昆虫がいる。いずれも赤い体、酒に寄ってくる、小さいイメージから命名されたようだ。
このショウジョウに似た音韻で「侏儒(シュジュ)」があり、芥川龍之介の『侏儒の言葉』が有名だ。侏儒は背の低い人の蔑称や思慮の浅い人さす意味がのだが、龍之介は自分を謙遜していたのかもしれない。いずれにしても「小さい」というイメージは共通している。
四万十町には、この小字(町有林)だけで、猩々の伝承説話はない。
九州に「猩々坂(しょうじょうざか)」がある。近世には肥後と薩摩・大隅を結ぶ主要道の一つとなる峠坂(標高500m)で『国誌』には「太タ曲折レタル長キ坂ナリ、此坂ノ上ニ時光仏トテ小石ヲ積タル所アリ、不知所以、往来ノ者小石ヲ投テ達者ヲ祈ルト云」とある。また、京都市中央区小川通三条下ルに「猩々町」があり、『坊目誌』には「この町西行に酒やあり。表のひさしのうへに猩々をつくりて出しきたればをのづから家の名になれりといふ」と書いてある。
しょうぶ(菖蒲・勝負)【】
県内に「しょうぶ」の小字が92か所。多くは菖蒲の漢字だが2か所「勝負」もある。五月五日は「菖蒲の節句」、菖蒲や蓬を敷き邪気を払う「五月女の忌み籠り」の祭りでもある。同時に男は田植え先立ち農作物を荒らす鹿狩りを行う。菖蒲が尚武と同音でいつしか男の節句となったという。ソウズ17(僧津=泉・水路・水車・水汲み場・鹿威し)の転訛も考えられる。特に菖蒲谷が42か所と多いのは水辺植物のためか。
菖蒲と書いてアヤメともショウブとも読む。アヤメが古名だが地検帳にはショウブが主流。
柳田国男『地名の研究』は、墓制地名として「菖蒲谷」をあげている。その後の著作にも墓制地名としての菖蒲谷の説明はない。『地名用語語源辞典』には①細流②サトイモ科の菖蒲・アヤメ科のハナショウブなどの植生③合戦や合戦伝説による地名④「所務分」の転で遺産分配の耕地とある。④が遺産分配ということで墓制地名の匂いがするがどうだろうか。
『高知県方言辞典』に「しょ-ぶわけ(所務分け) 形見分け(県下全域)」とある。『綜合日本民俗語彙』に「ショウブ 四十九日の遺品分けをショウブワケと呼ぶ地は、福井県・高知県などにある。幡多郡十和村ではショウブワケというが、所務分けという中世語の残留であろう」。
高知県の小字「ショウブ」92か所のうち、ショウブ谷が47か所と割合が高い。小字「梅」が352か所でうち「梅谷」が100か所、小字「藤」が304か所でうち「藤谷」が37か所、小字「桜」が265か所でうち「桜谷」が66か所、小字「椿」が103か所でうち「椿谷」19か所。ここからもショウブと谷の相関性が感じられる。
高知県内の菖蒲谷の9か所を全図であたってみた。その内4か所、いずれも村境の谷川の奥まった所ではあった。村境といえば葬送の地でもある。墓制地名として柳田国男は「菖蒲谷」をあげているるのはそこからかもしれない。
①須崎市神田字菖蒲谷
②中土佐町上ノ加江菖蒲谷
③四万十町七里菖蒲谷
④土佐清水市鍵掛
じょうろく(丈六・常六)【四万十市】
四万十市に大字地名の常六がある。不思議な地名であるが、一般的にジョウロクは一丈六尺の略で釈迦の身長を仏像(立像)の基準とされたという。そのことから「丈六」が仏像の別称ともなっている。「立像を安置した『丈六堂』の所在による地名か」と地名用語語源辞典は説明する。
じよしやま(地吉山)【里川△大正/標高637.6m】
○○しり(○○尻)【】
『高知県方言辞典』には、「さえんじり 菜園(「じり」は畠の意)」と「尻」は畠の意味と説明する。県下の大字にも、香美市香北町下野尻、土佐町井尻、土佐市宇佐町井尻、土佐清水市浦尻の4か所がある。また、小字に「○○尻」小字が699か所もあるが、不思議なことに次の三種類に分類できるので、その種類ごとに「尻」の意味を考えてみる。
■植物+尻 271か所
胡麻尻35・稗尻26・芋尻24・黍尻21・アサ尻17・粟尻17・蕎麦尻15・野稲尻15・木綿尻11・菜尻11・帯刀尻9・牛蒡尻7 ほか63か所
この 「○○尻」地名の接頭語には植物地名が多く、それも胡麻・稗・芋・黍・粟・蕎麦など焼畑で育てる作物が多い。その意味では 『高知県方言辞典』のいう尻=畠のようではあるが、「焼畑」に関連する別の意味が「尻」地名のようにも思える。
<解釈1>時間的な尻=最後
例えば、県下に「灰首・林首・ハエクビ(はいくび・はやしくび・はえくび)」小字が34カ所ある。雑木林を「ハエ」というのは高知だけでなく越前などでもハヒヤというそうだ。「首」について、本間雅彦『牛のきた道』では、牛首地名の「首」をクビタ=焼畑と解釈している。多くの「首」地名は焼畑を意味するものかもしれない。そう理解すれば焼畑を始めようとする林が「林・首」で、何らかの焼畑作物を数年植え付け痩せ地になったところを、植えていた作物の名を冠し、作り終いの焼畑として作物名+尻(時間的な最後の意味)と名付けたのではないか。土佐町高須に「蕎麦尻アレ」の小字があるが、前者からもっと時間経過した状態の地名ではないか。
また、家庭で野菜づくりをしている人が一番気を遣うのが「連作障害」で、標準語の「厭地(いやち)」を高知方言で「イヤジリ」という。連作ストップの意味として時間的な終いを意味する「尻」をつかいイヤジリとしたのではないか。土佐町東石原と高知市鏡的渕にイヤジリの小字がみえる.
沖縄の西表山に前良川(まいら)と後良川(しいら)があり、ここでも「後」をシイと呼んでいる。このシリの転訛が尻なのだろうか。
<解釈2>時間的な起点・候補地としての「代」の転訛
尾瀬には「田代」地名が多いが池塘(ちとう)の広がりが、水田としての開発予定地と思わせる。全国に分布する「田代」である。
『地名用語語源辞典』は①高山の湿地をなす小平地(鏡味)②湿地から田を連想したか③水草の生えている湿地④田のある所⑤新田⑥開田予定地。山間、沢のカッチなど開田可能地、とある。や苗代の「代」の意味と同じようにその作物にあてがわれる予定地といった意味ではないか。柳田国男も「田代は田の代、即ち水田候補地」と述べ、「(田は新村を作るに欠くべからざる条件で)山中では田代の地が非常に肝要であった為に、自然地名と成って今日に残っている」と”水田候補地”説を説く(『定本柳田国男④「山民の生活」p499)』。
紙で人体や動物の形をしたものをつくり、これを流したり焼いたりして災いを除く呪術・祭祀がある。これを「形代(かたしろ)」という。いわば人の身代わりの意味だろうが、そこに神を降ろさせる依代ともいえるのではないか。田づくりでは「苗代」といい、稲の苗を育てる水田で、苗が成長したら束ねて、本田に移し3,4本を植えていく。山の神が田の神としてまず最初に籾種・苗に下りてくるから「苗代」ではないか。
<解釈3>「土地」の方言が「尻」
同じ土地に毎年続けて同じ作物を栽培することを「厭地(いやち)」というが、高知の方言では「いやじり」と呼ぶと『高知県方言辞典は述べる。イヤジリと呼ぶのは高知県全域で、兵庫県・島根県・山口県・広島県・愛媛県・香川県と中四国でもその例がある。桂井和雄編『明治大正時代国府村民俗語彙』にも「いやじり ◎弥代0連作0同柏物ヲ毎年作ル地」とある。土佐町東石原、高知市鏡的渕に「イヤジリ」の小字があるが「厭尻」の意味なら連作障害を避けるための名付けだろうが、これが地名になるのかが不思議。イヤには奥まった所や、葬送地のイヤもあり、好ましくない土地を意味するので地名のイヤジリはこの意味かも知れない。
■水利+尻 222か所
谷尻50・池尻36・井尻34・江尻17・川尻17・釣井尻13・水尻11 ほか44カ所
水利に関係する「谷尻・池尻・井尻」などが多いのは、暮らしに必要な「水」の取り入れ口を示すための地名ではないか。接頭語となる地物の末端(体幹の下部・尻)を意味しているように思えてならない。
■地形+尻 152か所
ウヅ尻51・田尻21・野尻19・潰尻14・サコ尻8・サデ尻7・浦尻7 ほか25カ所
須崎市神田に「豆尾(まめじり 」小字がある。地検帳にはマメノヲとあることから、地形地名の「尾」と尾根筋の末端を意味する「尻」とが交替しているのかもしれない。ここの場合の「豆」は植物でなく小さい意味のマメではないか。
また、扇状地は川谷が山地から低地に向かって扇状に開く河川によってつくられた堆積地形で、扇状地の伏流水は扇端に泉となって湧出することから集落が形成され有利な水利により田畑が早くから開発されてきた。その意味からも「尻」は扇状地の「扇端」をさし、水利の良さや作付けに最適な雑穀類を地形地名である「尻」に冠してきたのではないか。多くの「地形+尻」地名はこれで説明できる。
宇津尻・ウヅシリには渦尻も数か所みえる。「○○尻」小字の中で一番多く51か所もあり、多くは地検帳のホノギにも比定される中世以前の地名だ。本来なら「ウツ」は、ウト、ウドなどとともに小谷の急な窪地、穴の形状からつけられた地形地名で、狭隘な小谷の窪地に設えた畑の意味と考えられるが、高知県では草木の繁茂しているところを方言で「ウズソ」(民俗地名語彙辞典)ということから、ウズソのシリ、これが転訛してウズシリとなったようにも思える。
その他の54か所は「堂尻」42、「馬屋(厩)尻」11、「牛屋尻」1か所がある。
堂尻があって社尻はなく、馬屋・牛屋の尻はあっても他の例が見あたらない。
全国に○○尻地名は分布するが、クナシリ(国後)・オクシリ(奥尻)と北海道にあり、アイヌ語若しくはそれ以前の縄文人の言葉かもしれないし、沖縄でも「人参しりしり」という郷土料理がある。
さっぱり読めないのが「○○尻」地名である。
しらおう(白皇)【】
白王権現(はくおうごんげん) 高知県の小字に「白皇78・白王28」が109か所。読みはシラオウが61、ハクオウ43。
柳田国男『巫女考』(定本⑨p269)に「白王権現と云う祠は土佐に甚だ多い。此神の王の字は王子の王で、古人の幼名に何王何若の多いのが、何れも元は神のミコに擬して其保護を仰いだのと同じく、神託を仲介するべき人の称号から移った名でああうと思う。」とあるが、小字も高岡郡、幡多郡に多く見られ、高知県神社明細帳でも白皇(白王)神社が91社あり幡多郡75と突出して分布する。
寂本『四国徧礼霊場記』に明石寺について「右に熊野十二所権現(中略)白王権現石というのがあって籬で囲ってある。この神石によって、寺を明石という。土地のならわしではアゲイシというそうだ。今ここを領している人は神主ではなく修験者だという。」とある。また金剛福寺の奥の院は白皇権現(今は白山神社)で寺の裏山が白皇山(458m)。いずれも四国西南地域に多いが、愛媛県側は白王神社、高知県側(幡多郡)は白皇神社の表記が多い。長宗我部地検帳では、幡多郡猿野村の段に「白王正月廿日神田」「白王宮床」、幡多郡烏村の段に「白王神田」、幡多郡戸川村の段に「白王」とあるが、「白皇」の記述例はなく、読みは、シラヲウ・シラヲ(高須名・ナロノ村・戸川村・烏村・勝間村・塩塚村・竹島村・奥猿野村)とあることから、白王(シラオウ)が中世の表記だったのだろう。
廣江清は『長宗我部地検帳の神々』に「祭神は大己貴命(大国主命)がほとんどで、少彦名命が併せ祀られる。この二神が協力して出雲地方の開拓にあたった」として白王を土地開発の神とし、「ほとんどが(開発の遅れた)高岡郡と幡多郡であることは、開発神であることの傍証」という。
高知県と愛媛県南予に多く鎮座する白皇神社(白王)について、廣江清『長宗我部地検帳の神々』や『高知県史』にも深い論考はない(よう探せんかも)。36番青龍寺から石鎚山は四国山林抖擻の中辺路といわれる。これを境界にして西に分布する白皇。青龍寺の鎮守社は白山神社。
白山神社は高知県に19社鎮座し白皇神社と違って県下に広く分布。38番金剛福寺の奥の院は白山権現で、鎮座地は白皇山。 日本全国に三千社とも五千社ともいわれる白山信仰(神社)だが、熊野信仰の「黒い宗教(八咫烏のイメージか)」にたいして「白い宗教」と前田速夫『白の民俗学』は述べる。
『南路志』に記録される「白王」は次の四か所
①吾川郡下p49/44下八川村の段に「白王神 ウツキ」
②吾川郡下p51/47鎌井田村の段に「白王権現 中川内」
③吾川郡下p57/57菜野村の段に「白王権現」
④吾川郡下p58/58僧都村の段に「白王 下野地」、「白王権現 タムラ」
しりなし(尻無)【香南市夜須町西山ほか】
『地名用語語源辞典』は「砂州、砂丘などのために流れが伏流する川をいう。」と説明する。高知県下の小字に「尻無(シリナシ)」が51か所ある。語尾に谷・畝・森・岩・山がつくなど、お尻のように盛り上がった地形地名ではないか。無はナス(成)の意で、逆に「有」の意味と思われる。全国にも尻無川は多い。
しろ(白)【】
県下の「白」小字576か所のうち、読みで区分すると「シラ」311か所、「シロ」177か所、「ハク」58か所。読みは固定資産税の税務データによるところで「白皇」がホノギではシラヲヲでも比定された小字ではハクオウとなっている場合が多い。『白の民俗学へ』で述べられたように白髪・白石・白木など依り代となる地物はシラ読みが多い。
「白」地名のなかでも「白皇」地名が78か所。「白王」31を加えると109か所と一番多い。読みはシラオウ64、ハクオウ41、ハクコウ4。地検帳には「シラヲウ・シラワウ」とあることからシラオウが中世以前の読みだったか。 柳田国男『巫女考』に「白王権現と云う祠は土佐に甚だ多い」とある。
「シラオウ」地名の高知県内分布では圧倒的に高知県西部(幡多地方)に集中する。加えて、高知県神社明細帳でも白皇神社・白王神社が118社もあるなかで高知県西部(幡多地方)に90社も集中し、1か所を除き全て仁淀川以西である。愛媛県神社明細帳でも白王神社は南予地方しか分布しない。
シラについて谷川健一『青と白の幻想』は「沖縄・古宇利島の岩の上で神女たちが並び海の神を送るそこをシラサと呼んでいる」「シラサは南島語のシラに由縁。刈り取った稲を穂のまんま積んでおくのがシラであり、産室の炉にもやす火をシラビという。つまりシラは生まれることを意味する言葉」という。
名峰白山は修験の山でもある。県下19社の白山神社もハクサンと音読みするが万葉集には「之良夜麻=シラヤマ」と万葉仮名で示されてる。前田速夫『白の民俗学へ』はオシラ神、白太夫、白比丘尼(八百比丘尼)など「シラ」と読むことから白山信仰の謎に迫る。前田速夫『異界歴程』とあわせて読むと面白い。
白山神社は高知県に19社鎮座し白皇神社と違って県下に広く分布。38番金剛福寺の奥の院は白山権現で、鎮座地は白皇山。関連は? 日本全国に三千社とも五千社ともいわれる白山信仰(神社)だが、熊野信仰の「黒い宗教(八咫烏のイメージか)」にたいして「白い宗教」と前田速夫『白の民俗学』は述べる。
白576 シラ311(54%)
白石63 シラ47(74%)
白岩44 シラ22(50%)
白木17 シラ17(100%)
白髪11 シラ11(100%)
しろいがわ(白井川)【十川地区の集落】
しろやま(城山)【】
全国各地にある「城山」などの城に関係する地名は、城郭の存在を探ることができる。特に、高知には長宗我部地検帳という第一級の文献史料があり、その関連地名(ホノギ)の周辺から現在の字や地形図を調べその所在を比定する作業を進めればよい。
城山の定義は「敵の攻撃に備えて土塁や城郭を築いた山で、その名残をとどめた山」。県内の「城山」小字は170か所。ジョウヤマと呼ぶのが10か所で残りは全てシロヤマと呼ぶ。高知県文化財地図情報システムで公開されていた城郭717か所とレイヤーを重ねればみえてくるものもある。
宮地森城『土佐国古城略史』は、一人で県内の334城跡をめぐり記録されたもので、没後の昭和10年に出版。土佐の中世城郭を学ぶバイブル的存在だ。
『高知県中世城館跡分布調査報告書』は高知県教育委員会が昭和59年(1984)に県下全域を調査し、657か所のデータが報告され、その後の調査を加え、717か所となった(高知県文化財地図情報システム)
https://www.google.com/maps/d/edit?hl=ja&mid=1n9CfGInbGuLs7g28qlt_eNlxpS9rVzo&ll=33.926633827701906%2C133.4614475&z=9
しわごう(志和郷)【中世の広域地名】
中世の仁井田庄が仁井田庄八郷八番と言われたころの八郷の一つ。志和本村、大鶴津村、小鶴津村、小矢井加村、大矢井加村、(以上5か村を古代より志和五郷)、志和峯村、与津地村の志和郷7か村。この地域を志和の五郷七村と言われた。現在は、小矢井加村、大矢井加村が中土佐町に属し、残りは東又地区の区域となる。
しわぶん(志和分)【大字・七里の集落・行政区】
しんざいけ(新在家)【新在家(土居)】
新開、新田、新屋敷、新庄、新地など同類の開墾集落名の一つ。「新」は新しい意味で、「在家」は、中世に領主の所領内に居住し在家役を負担した農民、その居住地としての村落構成の単位。七里には本在家集落があり、土居地区の隣の弘見地区には字・今在家がある。
柳田国男『地名の話』は開発地名の一つ”新在家”について「新開地の地名として、今在家・新庄家・新屋敷等のごとく、戸を標準とする地名の多いのは自然の結果」と述べる。
しんざいけごう(新在家郷)【中世の広域地名】
中世の仁井田庄が仁井田庄八郷八番と言われたころの八郷の一つ。新在家郷12か村は、土居村(新在家村)、平野村、黒石村、奈路村、弘見村(別名、張木村)、数家村、神野々村、八千数村、飯ノ川村、道徳村、本堂村、親ケ内村で、これを新在家番・東番とも言われた。東又村と命名した由来は、この地域を東番と記され「ひがしばん」と呼称された故か。現在の東又地域のうち藤ノ川、向川は窪川郷13か村に、志和、小鶴津、大鶴津、志和峰、与津地は志和郷7か村に属していた。数家・神野々が数神村となったのは明治9年の合併によるものである。
しんかい(新開)【七里(柳瀬)】
しんでん(新田)【新田(若井川・秋丸・窪川中津川・与津地・藤ノ川・平野・相去・昭和)、上新田(六反地)】
しんでん(神田)【神田(宮内ほか各地)】
しんばやし・しんりん(新林)【新林(弘瀬)、新林山(戸川)】
江戸時代に新たに植林した森林。『ふる里の地名』に戸川の字・新林山について「焼き山を止めて林になったため新しい林と言う意味である。」、「焼畑をやめて山林になった時期、新林より後になった場合は”若山、若林山”と区分している。」と説明している。「土佐藩林業経済史(p69)」には御留山をはじめとした山林の用途に応じた種目を列記しているが、新林については簡便に「野山の一種として山地新林林がある。」とだけ書かれている。安芸市、越知町、土佐市にも「シンバヤシ」がある。
しんやしき(新屋敷)【】
柳田国男『地名の話』は開発地名の一つ”新屋敷”について「新開地の地名として、今在家・新庄家・新屋敷等のごとく、戸を標準とする地名の多いのは自然の結果」と述べる。
新在家・今在家に類似する地名が「新屋敷」。この地名は「在家」地名よりはるかに多く59か所ある。地検帳の比定地が少ないところからも近世の開発による地名のようだ。また「新地」地名も県内に30か所あるが地検帳にはなく明治以降の地名であることがわかる。高知市若松町など遊郭街を示す小字でもある。
(20251220現在)
■語源
■四万十町の採取地
■町外の採取地
