かろうと(カラヲト・唐櫃・唐音・鹿路都・家籠戸)


■編集子の語り

 遠い昔、カロウトの話を聞いたことがある。多分、梼原の家籠戸のことであったが内容はよく覚えていない。寒い風が通り抜けるような「カロート」の音が今も耳に残っている。

 このカロウト、先日NHK新日本風土記で放映していた。尾瀬の福島側の入山口となる雪深い奥山・福島県桧枝岐村では江戸時代から昭和30年代までの風習として、桧でしつらえたカロウト(唐櫃。実物は脚がない)を嫁入りに持たせ、男は成人になり渡されたという。このカロウトは、普段は衣装箱であるが、持ち主が亡くなったときには棺になるとのこと。冬場雪深いこの地ではすぐには棺をしつらえることができないことから、事前に備えた知恵である。それととともに、人生の終焉の備えは、臨終只今の覚悟でもあり、生きることへの潔さを感じるカロウトである。また、墓地も雪かきや墓堀りができるよう道沿いにつくられているという。貧村ゆえ僧侶も居つかないこの村では、村人が寄り添い葬送の儀をおこなったであろうし、日常的にも道端で祈りの手向けが行われていることだろう。

 

 この全国に分布するカロウトの地名について、桂井和雄氏は高知県内各地のカロウトの地名を示し「現地踏査によれば、峠のように見えながら、勾配のきわめてゆるやかな切り通しの道であることが共通していた。土佐市北地のカロウトの遠望は、カメラを通してのぞいて見ると、西日の影が差すその深い切り通しの道は、大きな墓地穴の底を連想させた。」という。

 四万十町金上野にあるカロウト越は、桂井氏のいう切り通しの道である。望めば横倉山とおなじ土佐修験の山「御在所」が鎮座し、その麓には「市野瀬」(イチの語は神をあがめるの意の「斎(いつ)く」のイツと同じ語源)があり、峠としての結界の地でもある。

 峠のおおくは村界でありそこには悪霊や災いが入ってくるのを防ぎ村を出ていく旅人の安全を守る賽の神(道祖神・祠・石仏)が祀られた。

 この世とあの世、世俗と修験、日常と非日常。その空間を仕切る事物は鳥居・注連縄・暖簾・箕と塩・躙り口など多様であるが、その結界の地を聴覚化し呼び継がれたのが「カロウト」ではなかろうか。

 

 「カロウト」地名について、桂井氏は「大きな墓地穴の底」と表現し、郷土史家・岡村憲治氏は幡多地域の事例から「小さい内地(うとち)」と解釈している。編集子が思うには、中世の葬制の変化により使われなくなり、「カラ」となった遺体を納める空間(納骨棺・洞穴)の「ウト」が、カラウト→カロウト→に転訛したのではないかと思う。物としての棺も、墓石の下に設けた石室も、結界である峠としての空間も、同じくカロウトと呼ばれるようになったと考える。

 長宗我部地検帳には県内各地に多くのカロウト地名が記録されていることから中世以前の地名であることは確かである。

 

 民俗研究家の筒井功氏は『葬儀の民俗学』や『「青」の民俗学』で「日本古代の葬制は洞窟葬である。古墳時代の横穴葬、塚を築く古墳も要するに洞窟葬の延長である。その葬法は、日本人の宗教観・他界観の反映であった。」と述べている。柳田國男も「石器を使っていた時代の人骨は出て来るのに、いかなる古い村にも中世以前の墓場というものがない」と述べていることから「カロウト」は各地の葬制と洞窟や峠の地形との関連、青地名との関係などを現地踏査することにより地名由来を発見することができると考える。

 カロウト地名の分布が大川(四万十川、仁淀川、物部川など)沿いには出現しないことから葬制の相関性が一つの発見になるかもしれない。

 

 余談だが、櫃は、脚を4,6本付けた蓋のある収納箱で湿気から衣服・書物などを守る役割を担った。これと同じ機能を持つ「おひつ」は蓋はあるが脚がない。いまでは炊くから保温まで一体化した器具をジャーと呼んでいるが、昔は炊いたご飯を「おひつ」にうつし余分な水分を取る最後のひと手間の調理道具(けっして容器ではない)があった。

 また、櫃でも脚のないものは、倭櫃(やまとびつ)と呼ぶそうだ。脚がないのに唐の字をあてているが、本来は亡き骸のカラの櫃で「カラヒツ」である。

 またまた、余談だが「おひつ」も夏になるとご飯がすえるので「そうけ」にいれた。それも取っ手のついたもので風がとおるところにひっかけ吊るしたものだった。秋にはふかし芋をどっさりそうけにいれていた。白米の消費を減らすため夕飯前に芋をたらふく食わすことが貧しい家庭の食料戦略だったという。おやつのない戦後世代はまさに「一杯喰わされた」。

 箕もそうけもおひつも暮らしからなくなった民の芸。箕つくりの職としてのサンカ社会がなくなり、つくる技がなくなり、すえるという味蕾も衰え、箕をつかってふるい分ける仕方など、民芸を失うことが暮らしの知恵を退化させていくのだろう。

 生活するチカラの弱くなった自律できない「ヒト」はいつしか絶滅危惧種になるのではと考えてしまう。

 暮らしの中で「チンする」は立派な動詞になっている。食文化の大革命である。食の素材は自ら菜園尻(しゃえんじり:自宅の周辺の畑)で育て、実を選別し、煮詰め、挽き、干すなどの加工を加え、醸し、蓄え、その一部を一夜の食とする。そのすべての過程をギュッと短縮した「食品」をチンすると、モノの時空が湯気の中から食卓に広がる。なんと便利な世界になったものだ。

 人生の最期もチーンとなって火葬されるが、煙突の先にはその人の歴史が煙となって空に消えていくのだろう。

 

(東京オリンピック以前の「昭和の伝承者」の使命をもつ60歳代)

 

■語源

  • 「カロウト」

 松永美吉氏は「カロウトは、カレ(枯・涸)との関係ある語で「末端」をも意味する。」として下記の桂井和雄氏の説を引用している。(民俗地名語彙辞典上p252)。

 桂井和雄『土佐民俗選集』二には県内各地のカロウトの地名を示し「現地踏査によれば、峠のように見えながら、勾配のきわめてゆるやかな切り通しの道であることが共通していた。土佐市北地のカロウトの遠望は、カメラを通してのぞいて見ると、西日の影が差すその深い切り通しの道は、大きな墓地穴の底を連想させた。カロウトの同音の唐櫃は柩(ひつぎ)、棺の意味だが、そうとも考えられない」と説明している。

 大言海は、「唐櫃」について「カラびつ 櫃ニ、脚アルモノ。被蓋アリテ、脚ハ、前後ニ二本ヅツ、左右ニ一本ヅツアリ、・・・。音便ニ、からうど、からうづ。約メテ、かろと」とあり、「窪川私記」に記述される 唐櫃越に一致する。なお、カロト越は金上野の字名である。

 また四万十市の郷土史家・岡村憲治著『西南の地名』には、梼原町・中村市などの地名を示し「家籠戸(川) かろうとの地名は、各地にあり、地形の共通しているところは、小さい内地(うとち)である。焼畑のある入谷と考えられる。その川地の集落」と説明。

 

 大日本地名辞書は「鹿老渡(カロウド・安芸③p497)、我老林(ガロウバヤシ・羽前⑦p803)、家老山(かろう・磐城⑦p67)、家老山(かろう・大内⑦p343)、鹿狼山(かろう・磐城⑦p67)、霞露岳(かろが・陸中⑦p668)、賀露港(かろ・因幡③p316)、甘露神社(かろの・因幡③p293)」を掲載

 

 「カロ・カレ」

 「カレ」については「①干(枯)、王余魚(カレイ)の宛字もあって、枯居、枯井であって、水涸れを生じやすい小川や谷沢の意となる。軽井沢・涸沢②山の崩れた所。崖。加礼崎③谷に沿った細道を遠州榛原郡でカレという。④南紀西岸で暗礁、地のカレ、沖のカレなど。カレはカレ潮(干潮)と関係があるか。」。「カロ」の項では「崖、洞。カレの転(家老・賀露・鹿老渡・神籠岳・霞露山・鹿狼山」とある(民俗地名語彙辞典上p250)

 地名用語語源辞典は「がろう」の解説で「カロ、ガロ、カロウ、ガロウは同系の用語。語源はカラ(空)ではなくカレ(枯)で崩壊・斜面・堤防・洞穴と続く一連の地形を示す用語であろう。侵食を受けやすく、また水気に乏しいから涸にも通ずる。」

  • 「ウト・ウド・ウロ・ウツ」

 「ウト」については「①洞の字を宛てる。渓谷のこと。洞、ほら穴を淡路島、岡山、四国、宮崎、鹿児島で。②海岸のえぐられている所③渓谷、狭い谷。低くて小さい谷。袋状の谷。宇都・宇土・鵜頭・善知。ウドの鵜土は「沢」「迫」と同じく渓流であり、宮崎地方に特色のある地名③崖④連峰⑥猪の通路(山梨県西八代郡)狐、てん、兎の通路(長野県上伊那郡)」とあり(一部省略)、ウトー、ウトウ、ウドについても転訛として詳細記述(民俗地名語彙辞典上p120)

 地名用語語源辞典では「うと」の解説で「語源としては、一応ウツ(空・虚)の変化した語。共通する特徴は、崖から洞穴、波打ち際に至る崩壊地形・侵食地形を示す用語」とある。

 鹿持雅澄「幡多方言」に「穴ヲウドト云又穴ウドト重テモ云」とある。

 

■四万十町の採取地

唐櫃越:藩政時代、窪川在番の安養寺禾麿が記録した「窪川私記」に「坂にハ(中略)唐櫃越 片坂の半里ばかり北に有」とある。(窪川町史p259)

カロウトノ越:地検帳に「金上野之村成川に、ニカケ道谷川懸テカロウトノ越ノセイモト」とある。(長宗我部地検帳高岡郡下p348)

カロウト:地検帳に仁井田郷本在家之内野口村(松葉川・影山)の検地として「是よりかめわり谷之せいモトカメワリ境ヨリ付るカロウトノマヘヨリ北ウラヲ付る。」とある。(長宗我部地検帳高岡郡下p47)

カロト越:四万十町金上野の字名

カラト越山:四万十町峰ノ上の字名

加登呂山:州郡志に「大道村 山川 加登呂山」とある。(土佐州郡志下p338)

カトロ:四万十町大道の字名

カロヲト山:四万十町大井川の字名

 

■町外の採取地

カロヲト:安芸市舞川の字名

カロト:安芸市黒瀬の字名

カロウトクチ:夜須庄地検帳の出口村(長宗我部地検帳香美郡上p88)

カロウト大堺:物部庄内上岡村(長宗我部地検帳香美郡下p62)

カロウト:南国市稲生の字名 

西カロウト:南国市包末の字名

唐音(カラウト):南国市野中の西方に続く切り通しの道にある(土佐民俗選集二)

カロヲト山:高知市唐岩の字名

カロヲトクチ:高知市瀬戸の字名

カロトロ:高知市北端町、山手町の字名

カロヲトロ:高知市福井町の字名

カロヲトロ:伊野町(大字名なし)の字名

カロト:土佐市甲原の字名

カラウト:土佐市塚地の字名

カロヲト山:佐川町黒岩地区の字名

カロウト:仁淀川町長者の字名

カロヲト坂:黒潮町鞭の字名(海岸端の浮鞭郵便局の山手側旧街道。段丘に、弓場、岩田坂の字名。天満宮がある)

カロヲト:黒潮町加持の字名

全図では「カロト」とある。カロト、カロヲト、カラトヲも同じ意味をもつように思える。

カラトヲ:黒潮町大方橘川の字名

『土佐州郡志』に「庄司薮(橘川集落から加持川への来往路)」、「比和之谷坂(上馬荷へ山越えする来往路)」と記される往来の拠点。『長宗我部地検帳』にも「シヤウシヤフノ同しカロウト口」とある。小字「カラトヲ」はホノギ「カロウト」が転訛したものか。

カロウト:幡多郡入野郷地検帳 橘川(長宗我部地検帳幡多郡上の2p345。字名はカラト)

カロウト谷:幡多郡入野郷田浦三村地検帳 田ノ口村(長宗我部地検帳幡多郡上の2p440)

カロウト・カロヲト:四万十市田出ノ川の字名

カロヲト:四万十市西土佐藤ノ川の字名 

カラウト谷・カラフト谷:四万十市敷地の字名

カラウト谷:四万十市国見の字名

カラウト:宿毛市山田の字名

カロウト:三原村亀ノ川の字名 

カルト谷:土佐清水市布の字名