よくある地名の語源 「さ」

さいのう(才能)

ざいけ(在家)

さこ(迫)

サンハク


さいのう(才能・サイノウテ)

20161001初

20180110胡

■語源

 徳弘勝氏は窪川で採取した「才能」の地名について「山寄りの畔を高知県では、サイノウテという。境をしめす塞(さい)縄手(なわて=のうて)と当字すれば実体に近いだろう、とみられる。東又には坂サイノウ、柿サイノウ、仲間サイノウといった地字がとても多い。そんな中の一つが小字化し才能という表示になったのだろう。地検帳には『大サイノウ、蔵人給、一反』。字面に関係は全くない。」と語る。(土佐の地名p260)

 また、桂井和雄氏は『おらんく記』で「サイノウ 畑の一区画をよぶのに使う単位(山村の地形方言)」と述べている。 

 

▼分布

 この「サイノウ」地名は窪川地区のホノギや字に多くみうけられる。

 川野茂信氏は『長宗我部地検帳のホノギについて(高知高専学術紀要1968年3号~1974年9号)』でサイノウの県下の分布図を示し「サイノウは窪川台地に集中」と述べその他梼原・十和・佐賀に印を付し、「サイノウ 山田の水引きの時の山寄りの畔(桂井和雄 土佐民俗誌)」と引用している。

 

 実際、四万十町内の「才能」の地名を文献調査したら、字が44か所、橋梁名で1か所、町道名で3か所ある。

 町内では旧窪川町に多くみられ、郷分地区9、松葉川地区16、仁井田地区4、東又地区15か所ある。(詳細は後段【採取地】を参照)

 また、才能の名字を「ネットの電話帳」で検索すると高知県で2軒(四万十町家地川・黒潮町伊田)、和歌山県に1軒とあり希少な名字である。「苗字の90%は地名から」と姓名・地名・家紋研究家の丹羽基二氏は述べている。高知県の2軒は近接した位置にあり川野氏が示した長宗我部地検帳のホノギの分布図と一致している。

 

▼「サイ」 賽ノ神 

 「地名語源辞典(山中)」では「さいのかみ【賽神】)の解説で「イザナギノミコトがイザナミノミコトをヨミノクニに訪ねて逃げ帰ったときに、追いかけてきたヨモツシコメをさえぎり止めるために投げた杖から生まれた神で、悪い災いの侵入をさえぎり止める神として、村の入口、道の辻、峠などに祀ることから、道の神とも道祖神ともいう。それを祭ったところが地名となったのがある。」

 「地名用語語源辞典(楠原・溝手)」では「さいのかみ【才ノ神・賽ノ神・境ノ神】」の説明として①道祖神。峠の神。サヘ(障。賽)・ノ(助詞)・カミ(神)の意」と。

 「民俗地名語彙辞典(松永)」では「境界を守る、防障のために祀ったのが中国の石敢当(イシガントウ)であり、わが国の道祖神であった。この賽ノ神(才ノ神)としての道祖神は、後世さまざまに変化して青面金剛(ショウメイコンゴウ)になり、馬頭観音になり、石地蔵になっていった。石を積む場所がムラとムラの境であり、見晴らしのよい場所であったるするのは、そこが賽だからで、これはおそらく賽の境界性、遮断性に関係がある行為に違いない。たぶん、外部から入ってくる敵を追い払うためのつぶてをムラ境に集積しておくことから始まったのではないか。石打とか印地打とかいう地名は、たいてい村境にあって、かつてはそこで隣接両村が石を投げ合ったという話が残っている所が多い。」とある。

 

▼「ナワテ」 縄手・畷   

 歴史民俗用語辞典にはナワテについて「往還筋などで、人家のない所にある田畑の間を通る細い道。」大辞林では「① 田の中の細道。あぜ道。なわてじ。なわて道。 ② まっすぐな長い道。」とある。

 服部英雄氏は『地名の歴史学p20』で「河野(かわの)をコウノと本来の「カワ」が「コウ」になっている。日本語の音便変化としてはありふれている。連続するA+WA(アワ)ではAがOになり、Wが消え、後のAもUにになってオウとなることがわかる。苗代はノウシロ、縄手はノウテとになる。」と述べ、ナワテがノウテと音便変化したものとしている。

 

▼サイノウ地名の結び   

 境界地名である「サイ」と畦道を示すノウテの最終音のテが消音した「ノウ」の合成音が「サイノウ」で、山寄りの畦道をこのように呼ぶこととなり、それがホノギ化していったと推論している。

 地検帳は農地と屋敷の検地記録であり、そのホノギは農耕や信仰、暮らしの記憶と実際を記録したものとなっている。特に農地の水利は農耕における重要な構成要素であり、ホノギとして特定し区分したことであろう。

 「サイノウ」も田と山谷の際、水利の始点の位置にある田として特定した名称で呼ばれたのではないか。それが周囲のランドマークとなる地形的な特徴や周辺樹木、耕作者を合成し「坂サイノウ」や「柿サイノウ」、「仲間サイノウ」となったのではないか。

 

 稲作にとって境界とは山の神から田の神に変わる時間的な境界と里山と田の境となる空間的な境界の二面性があるのではないか。その空間的な境界は稲作の命といえる水、その水源となるミトグチである。千葉徳爾著『新地名の研究(P115)』では「山からでてくる流れを直接うける三角形の田が、西日本ではミスミダとして尊重された」と水源の近くに苗代を設ける習わしは、神に供える米の栽培には清浄な場所が必要であることからだと述べている。

 この千葉氏の書籍からノウテは縄手ではなく、苗代のノウシロを短縮したノウではないかと考えるようになった。

 サイノウは長宗我部地検帳にも記載される中世以前の地名である。サイノウ地名周囲の自然水利の小谷やイノクチ、ヒノクチなどのホノギとの位置関係により推考する必要がある。  

 

 窪川台地に多く分布する特徴ある「サイノウ」地名である。

 今後、机上調査としてGISにより地形図レイヤーと字・ホノギのベクタデータレイヤーを重ね地形分析し、分布する現地に足を運び、地元の人の話を聞き取りから、地域の農耕の歴史、水利と往還の系譜など景観のトレースを深めることとする。

 

■四万十町の採取地

  •  郷分地区9

才能(金上野)、北才能(東川角)、西才能(東川角)、東才能(東川角)、南才能(東川角)、桑ノ木才能(西川角)、今宮才能(宮内)、笹ノ才能(宮内)、サマノサイノウ(仕出原)    ※東川角北才能線

  • 松葉川地区16

大才能(七里・志和分)、栗ノ才能(七里・志和分)、黒才能(七里・志和分)、桑ノ木才ノウ(七里・志和分)、才能(七里)、徳才能(中村)、カキノキサイノウ(勝賀野)

黒平才能(米奥)、榎サイノウ(窪川中津川)、桑ノ木サイノウ(窪川中津川)、サイノウ(窪川中津川)、杉ノ木才能(窪川中津川)、才能(壱斗俵)、才能(東北ノ川)、

梅ノ木才能(市生原)、才能(市生原)

  • 仁井田地区4

サイノヲ(奥呉地)、菊ノ才能(仁井田)、九升蒔才能(平串)、井口才能(富岡)

  ※才能橋(奥呉地) ※才能魚ノ川線(12444号) ※魚ノ川才能線(12445号)

  • 東又地区15

弥八才能(黒石)、梅ノ木才能(本堂)、才能(本堂)、十二才能(本堂)、東才能(本堂)、才能(親ヶ内)、桧才能(親ヶ内)、才能(八千数)、榎才能(藤の川)、才能島(藤の川)、大才能(数神)、才能(道徳)、榎才能(弘見)、小才能(志和峰)、才能(志和)

  • 大正地区5

柚木サイナウ(下道/ホノギ)、長サイナウ(下津井/ホノギ)、コサイナウ(下津井/ホノギ)、大サイナウ(下津井/ホノギ)、サイナウ(下津井/ホノギ

 

■四万十町外のサイノウの採取地

サイノオ(土佐市岩戸)、才能山(佐川町佐川地区)、カンノオ(仁淀川町長者)、サンノヲ(仁淀川町長者)、杉ノ木サイノウ(津野町船戸)、サンノヲ(津野町芳生野)、サイノヲ(黒潮町佐賀)、サイノ(黒潮町拳の川)、カミサイノウ(黒潮町橘川)、サイノオ(四万十市有岡、サイノ(四万十市片魚)、クイノヲ(四万十市大用)