作屋

さくや


20150608初

20170626胡

【沿革】

 作屋遺跡(昭和23年松葉川中学校校庭/弥生中期後葉)が発掘され、また作屋村の銅矛五口は高岡神社の祭礼に使われるなど古くから居住の地としての記録がある。

 奥州南部因幡守高忠が諸国を巡ったのち一斗俵に止まり開拓(1370頃)を始め、その子孫は大野見殿、津野氏に仕え、神田郷(米野川、作屋、壱斗俵、中津川の15名)は南部氏の領地となった。

 長宗我部地検帳に「是ヨリ作野番」とある。作野番とは、今の作屋・米奥・中津川のことである。

 藩政時代には米ノ川分と仁井田郷分に分割されていた。

 それ以降の地誌である州郡志(1704-1711)、南路志(1813)ともに「作屋村」とある。 

 明治9年7月の県下の村市分合改称等により仁井田郷ノ内作屋村と米ノ川の内作屋村が合併し「作屋村」となった。 

 明治22年(1889)3月31日、「明治の合併」といわれる新政府の町村制により、作屋村は同じ仁井田郷の七里村・中村・勝賀野村・川ノ内村・北ノ川村・市生原村・一斗俵村・中津川村・米奥村と大野見郷の日野地村・秋丸村が新設合併し「松葉川村」となった。

 昭和30年(1955)1月5日、高岡郡窪川町・ 東又村・ 興津村・仁井田村と 松葉川村は合併し新設「窪川町」となった。

 平成18年(2006)3月20日、高岡郡窪川町と幡多郡大正町・十和村が合併し新設「高岡郡四万十町」となる。

 地区内は、西ノ川・上作屋・下作屋の3つの行政区にわかれている。各行政区に班・組編成はない。

 

【地誌】

 旧窪川町の北部。四万十川と川奥川の合流点下流、四万十川右岸に開けた三角状の平地。作屋上(平田)、作屋下、西ノ川の3集落からなる。主に農業地域。集落は西部の山麓にある。県道322号松原窪川線が通る。河内神社・天満宮・弘法寺・東洋精密の工場・三堰キャンプ場がある。近年、大規模な養鰻施設や太陽光発電所も完成した。

(写真は1975年11月撮影国土地理院の空中写真。写真中央部、南流する四万十川の右岸が作屋地区) 

 

【地名の由来】

 


地内の字・ホノギ等の地名

【字】(あいうえお順)

 イゴウ谷山、市ガ谷、壱町田、井林、イリフ子山、岩ガラ、岩ガラ山、岩松山、上ノ谷、ウバタ、ウルシノ窪、上ハダバ、枝折山、大蔵屋敷、大谷、大駄場、大ナロ、奥西ノ川山、ヲ干段、オリ坂、梯谷、柿ノ木平、柿谷、鍛治屋敷、鎌田、平田、上ボキ、上屋敷、カラ谷、神主屋敷熊赤田、熊ノ谷、慶蔵安、ゲゾヲ、幸八屋敷、黒土ノ窪、五社料、ゴシロ山、コボシロ作ノダバ、桜ノ本、椎尾山、枝折山、シシアナ、シビタイゾウ、新大蔵、神ノ谷、水持山、清七屋敷、セト山、瀧平、ダバ屋敷、寺田、長田、中山、ナガレヤ、西ノ川口、西ノ川ダバ、西ノ川山、弐升ナベ、乃田山、野中屋敷、伴吉屋敷、ビシャゴ、ビシヤゴ谷、広瀬駄場、フマデン、ブンジャウ、防ケ市、戍ケ谷、ホコノコシ、堀切、マザイ谷松ノ本、水木谷、三月田、宮ノ谷宮ノ前柳立目、和田【80】

 

(字一覧整理NO.順 作屋p68~70)

  1和田、2鎌田、3防ケ市、4大駄場、5大ナロ、6ゴシロ山、7シシアナ、8寺田、9ビシヤゴ谷、10水木谷、11オリ坂、12岩松山、13柳立目、14乃田山、15新大蔵、16コボシロ、17大谷、18イゴウ谷山、19枝折山、20堀切、21三月田、22平田、23ゲゾヲ、24熊赤田、25宮ノ谷、26柿谷、27壱町田、28神ノ谷、29ホコノコシ、30マザイ谷、31上ボキ、32フマデン、33五社料、34イリフ子山、35松ノ本、36長田、37清七屋敷、38ウバタ、39鍛治屋敷、40桜ノ本、41広瀬駄場、42上ハダバ、43ヲ干段、44作ノダバ、45宮ノ前、46上屋敷、47ダバ屋敷、48黒土ノ窪、49セト山、50神主屋敷、51慶蔵安、52野中屋敷、53伴吉屋敷、54大蔵屋敷、55ブンジャウ、56ナガレヤ、57市ガ谷、58ウルシノ窪、59瀧平、60西ノ川山、61西ノ川口、62西ノ川ダバ、63幸八屋敷、64熊ノ谷、65中山、66戍ケ谷、67井林、68柿ノ木平、69岩ガラ山、70カラ谷、71椎尾山、72奥西ノ川山、73水持山、74弐升ナベ、75上ノ谷、77岩ガラ、78枝折山(再掲)、79シビタイゾウ、80梯谷(カキタニ)、81ビシャゴ、82タキヒラ(再掲)

※字マスターに「枝折山」、字一覧にも「19枝折山」とあるが、枝折山は米奥、窪川中津川、奥神ノ川を境とする山である。

 

【ホノギ】

 ▼是ヨリ作野番(仁井田壱斗俵村地検帳 土佐国高岡郡津野分p547~550/検地:天正16年2月22日)

 マサイ谷、松木ソ子、ヒノシタ、ホコノクシフマテン大谷、刑部タ、クマ若タカキ谷ヒラタ永タ、横タ、宮ノ前、カラヒノクホ、作野タハ野中神主ヤシキ、ホシヤ谷

 慶蔵庵寺中内外共ニ志和分ト南部分堺ハホシヤ谷クチ大岩南脇西地ハ寺後樫掛傍爾也右之苦悩ハ左ノ理也(p550~)  

 慶蔵庵寺中ウルシノクホ松ノ本ナカレタ、ハシツメ、セウシタ、コホウウシロ、島ヲチ、シシアナヒシヤク谷柳ノタチメ

 本帳(p551/2月23日

 ココエ、宮谷、鹿ノアナ、大穴、大ナロ、叶松 

 

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【通称地名】

 

 

【山名】

山名(よみ/標高:)

 

【峠】

峠(地区△地区) ※注記

 

【河川・渓流】

平田川(橋梁台帳)

西ノ川(橋梁台帳) 

 

【瀬・渕】

 

 

【井堰】

松葉川堰(葛切堰。地元では三堰/所在:作屋字落段) 三地区(作屋、西川角、宮内)の水田灌漑用水のための井堰で灌漑面積120ha ※窪川町史p592引用。作屋に落段という字はない。

 

【ため池】(四万十町ため池台帳)

平田池

 

 

【城址】

 

 

【屋号】

 

 

【神社】 詳しくは →地名データブック→高知県神社明細帳

六十余社/21ろくじゅうよしゃ/鎮座地:壱町田

河内神社/22かわうちじんじゃ/鎮座地:イリフ子山 ※村社(上作屋)

天満宮/23てんまんぐう/鎮座地:ナガレヤ  ※村社(下作屋) 

 


現地踏査の記録


地名の疑問

1)枝折山

 字マスターに「枝折山」の記載があるが、集成図にはない。枝折山(606.3m)は神の川や中津川川の源流となる位置で、作屋の地内ではない。別の山とすればどの位置にあるのか

 


出典・資史料

■長宗我部地検帳(1588天正16年:佐々木馬吉著「天正の窪川Ⅱ」)

 地検帳の記録によると、この部落の冒頭に『是ヨリ作野番』と記している。作野番とは、今の作屋・米奥・中津川の各部落を指した言葉である。例えば旧米川の場合には『是ヨリ米川村作野番内』と言うように表現している。(同p637)

 検地を行ったのは天正16年2月22日から23日へかけてである。

・神社

 六十余神(村社/字壱町田鎮座)/合祀:天満宮

 河内神社(村社/字入船山鎮座)/合祀:熊野神社、天満宮、山之神社、竈戸神社

 天満宮(村社/字ナガレタ鎮座)

・寺院

 慶蔵庵

 

■州郡志(1704-1711宝永年間:下p261)

 作屋村の四至は、東限大川西限山南限立田北限米之川本田縦五町横二町其土黒

 山川は、西之川山、平谷山

 寺社は、地蔵堂、権現社とある。

 

■郷村帳(1743寛保3年)

 寛保3年に編纂した「御国七郡郷村牒」では、石高31.577石、戸数9戸、人口44人、男26人、女18人、馬10頭、牛2頭、猟銃1挺

 

■南路志(1813文化10年:③p338) 

181作屋村 仁井田郷本堂之内、又云神田郷四村之一也 地五十一石二斗九舛三合

熊野三所権現 サクヤ 正体高六寸五歩 祭礼九月廿七日

 地検帳ニ所領有、籠物鏡一・鉾一・石玉一 末社川内大明神

若宮天神 流ヤ 祭礼九月廿七日

今大神 流ヤ山

権現 祭礼九月廿八日

慶蔵菴 退転、本尊のミ残

 本尊十一面観音 地蔵大師

※神田四か村は米野川村、作夜村、一斗俵村、中津川村。南部とも作屋番あるいは奥番とをいわれる。仁井田庄七郷の一つ

 

■ゼンリン社(2013平成25年)

p15:作屋、四万十川、高野川、県道松原窪川線、平田橋、河内神社、弘法寺、Ю東洋精密前、Ю平田分岐、Ю作屋北

p21:作屋、四万十川、

p28:作屋、西ノ川、四万十川、県道松原窪川線、西の川橋、天満宮

 

■国土地理院・電子国土Web(http://maps.gsi.go.jp/#12/33.215138/133.022633/)

 作屋、西の川、松葉川橋

 

■基準点成果等閲覧サービス(http://sokuseikagis1.gsi.go.jp/index.aspx)

西の川(四等三角点:標高337.16m/点名:にしのかわ)作屋字市ガ谷1268番地 

 

■四万十町橋梁台帳:橋名(河川名/所在地) 

柳立目橋(平田川/作屋字柳立目113-1) ※ゼンリン社地図では「高野川」とある。

下蔵橋(平田川/作屋字下蔵225-1)

西ノ川橋(西ノ川/作屋字西ノ川口774-4)

 

熊ヶ谷橋(西ノ川/作屋字熊ヶ谷795-1)

 

■四万十町広報誌(平成25年11月号)

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ぶら〜り散策0410【作屋】20131101.pdf
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