20150608初
20161021胡
【沿革】
長宗我部地検帳では、「中ノ越村」とある。
州郡志(1704-1711)に「中野越村」、南路志(1813)には「中之越村」とある。
明治22年(1889)4月1日、明治の大合併により、高岡郡床鍋村、影野村、奥呉地村、魚川村、下呉地村、替坂本村、六反地村、仁井田村、小向村、中ノ越村、富岡村、平串村の12か村が合併し「仁井田村」が発足し、中ノ越村は大字となった。
昭和30年(1955)1月5日、高岡郡仁井田村は、 窪川町・松葉川村・東又村・ 興津村と 合併し新設「窪川町」となった。
平成18年(2006)3月20日、高岡郡窪川町と幡多郡大正町・十和村が合併し新設「高岡郡四万十町」となる。
【地誌】
旧窪川町の中央部北東寄り。仁井田川と東又川の合流点下流、仁井田川右岸の小平地。音無神社がある。
(写真は1975年11月撮影国土地理院の空中写真。写真中央左下部、仁井田川と東又川の合流点右岸が中ノ越地区)
【地名の由来】
【字】(あいうえお順)
エリハナ、カシヤシキ、カヂノクボ、カミヤシキ、シロガハナ、シンカイ、ソヲノカイ、中丸、中ヤシキ、西ノクボ、山ノ下タ【10】
(字一覧整理NO.順 中ノ越p146)
1シロガハナ、2ソヲノカイ、3シンカイ、4山ノ下タ、5エリハナ、6西ノクボ、7中丸、8カヂノクボ、9カシヤシキ、10中ヤシキ、11シロガハナ(重複)、12カミヤシキ、13エリハナ(重複)
※土地台帳調査は中ノ越地区の北部となる仁井田川右岸の浜ノ川集落境から下流に向けて行われているが、最初に調査した「1シロガハナ」が中ノ越地区の南部にあり調査経緯が不明である。
※「9カシヤシキ」と「12カミヤシキ」はミとシの記載錯誤か?集成図には「カミヤシキ」のみ記載有
※小向にも「ソヲノカイ・シンカイ・山ノ下タ・エリハナ・西ノクボ・中丸・中ヤシキ・カヂノクボ・シロガハナ・カミヤシキ」の字名がある。
【ホノギ】
川井村の検地のあと中ノ越村に入り浜之河村へと進んでいる
▼中ノ越村(高岡郡久礼分地検帳之事p612~613/検地日:天正16年2月15日)
ノヂノクボ、中ヤシキ、川ソエ、ヤシキ、ヲト、西ノクホ
【【通称地名】
【山名】
【河川・渓流】
大谷川(高知県防災マップ404-75-215)
目黒谷川(高知県防災マップ404-75-012)
【瀬・渕】
【井堰】
【城址】
音無神社/29おとなしじんじゃ/鎮座地:エリハナ
■長宗我部地検帳(1588天正16年:佐々木馬吉著「天正の窪川Ⅰ」)
長宗我部地検帳の記録によると、この部落名を中ノ越村と表現しており枝村をもたない単独の村として取り扱っている。(同p257)
検地を行ったのは天正16年2月15日の前半と、翌16日の後半に行われたようで、この間に浜之河村の一部と柿山村の一部の検地が行われている。
・神社
音無神社(村社/字ヱリハナ鎮座)/合祀:若宮神社、竈戸神社、山ノ神社
境内社:若宮神社
・寺院
西福寺(仁井田郷七福寺のひとつ)
■州郡志(1704-1711宝永年間:下p289)
中野越村の四至は、南限冨岡村北限濱之川村東西五町南北十町其土赤
山川は、宮之谷、中山
寺社は、天神社
古跡は、城址「不詳何人所居」とある。
■郷村帳(1743寛保3年)
寛保3年に編纂した「御国七郡郷村牒」では、石高150.29石、戸数19戸、人口81人、男38人、女43人、馬14頭、牛8頭、猟銃0挺
■南路志(1813文化10年)
171中之越村 仁井田郷本堂之内、又云窪川郷十三村之一也。 地百六十石七斗五升三合
聲無大明神 カチノクホ 祭礼九月廿三日
天神 同八月廿五日
神明 シラヒケノ森
竹林山西福寺 禅宗久礼村常賢寺末
本尊地蔵 往昔仁井田郷七福寺之一也。往古ハ寺領三石三斗弐升之有
■ゼンリン社(2013平成25年)
p49:中ノ越、仁井田川、小向中ノ越橋、音無神社
■国土地理院・電子国土Web(http://maps.gsi.go.jp/#12/33.215138/133.022633/)
中ノ越、仁井田川
■四万十町橋梁台帳:橋名(河川名/所在地)
中ノ越橋(中ノ越用水/中ノ越字シンガイ27)
■四万十町広報誌(平成26年11月号)