よくある地名の語源 「は」

はえ(碆・礁・林・蠅・南風)【全国】 

高知県でハエといえば岩礁のことを思い浮かべるが、山間部では緩傾斜地で平らなところをハエといい、林の字を当てたりもする。

土佐湾沿岸では岩礁のうち水上岩を碆(ハエ)、水深の大きいものを沚(シ)という。磯釣りで渡船するところがハエである。

山間部にハエが多く、「ハエノクビ」、「ハエノ上ミ」、「ハエノウシロ」、「ハエノモト」、「ハエノ谷」といた用例で、ハエを基準とした命名が目につく。陸上におけるハエは山中の平坦地、海のハエは海中にある広い岩礁で、双方の共通点はせり出した状態の広い地形をあらわしている。「ハ」は、刃、羽、葉、歯、端となり、いずれも「出る状態」をしめす。

はげだきはげだき)【久保川地区の通称地名】 

 四万十川第1支川久保川第2支川ハゲタキ谷川の流域。国土地理院地形図に記載される地名。

 四万十市西土佐半家、土佐市波介とハゲ地名は各地にある。ハゲが「禿」の音であることからよく紹介される地名であるが、一般にハゲはホキに相通ずる地名で、断崖の峡谷など迫っているところに多い(民俗地名語彙辞典)。 →ホキ

はさこ・はざこ(ハサコ・波佐古・ハサコ山・柳ノハサコ等)【宮内、小野川(小野川)、七里、市生原、黒石、数神、弘見、奈路、志和峰、大正、烏手】

 ウネとウネの間のこと(ハサク:民俗地名語彙辞典)。すき間(高知県方言辞典)。「はざける」は土佐方言で挟むの意味。

 長宗我部地検帳には、東川角村に「柳ノハサコ」、小野川村に「松木ハサコ」、奈路村に「楠ノハサコ」、弘見村に「柳ノハサコ、クリノ木ノハサコ」、平野村「コハサコ」とある中世以前の古地名。

 サコは西日本に多く分布する狭い谷間の平坦地。ウネとウネの交わった所付近の斜面をいう(岡山)。

 町内でもサコ地名は多く、字で167カ所ある。

はしづめ(橋詰・ハシヅメ・橋ノ詰)【仕出原、本堂、数神、大正、大井川、河内、大道、地吉、橋ノ詰(檜生原)

 橋のたもと。屋敷、堀の内、館には橋詰という地名がある。大手門、大手の入り口に架けてある橋のたもと。橋は跳ね橋であった(一志茂樹談「地名の話p42」)。すべてが城郭に関連した地名ではないだろうが、田んぼの中に橋詰という地名が残っていればその周辺に何か屋敷跡があるかもしれないと見当をつけることができる。カマエも同じように言える。

 長宗我部地検帳のホノギに「橋詰ヤシキ(本在家)」 

はたちかわ(羽立川)【家地川地区の集落

 

はちぎ(八木)【大井川地区の集落】

 

はっそく(八足)【大正大奈路地区の集落】

 

はらいがわ(払川・祓川・拂川)【払川(宮内/五社)、拂川山(中神ノ川・折合)、拂川(下道)、払川(下津井/仁井田神社)、原井川(十川)】

 身を清める意味の払うから祓川、払川、拂川など神社境内地付近を流れる川に命名された。

 五社の払川(宮内)と特に有名。牛鬼で有名な仁井田神社の若水取りは払川(下津井)で行われる。

はりぎ(針木・張木・ハルキ)【針木窪(宮内)、張木(中世の弘見の村名)、ハルキ(弘見)、針木(上宮)】

 ハリギはハンノキの別称。ハンノキは開墾を意味する古語「墾(はり)」がもとで榛の木となった。日本全国の低地の河畔や沼地の水際に森林を形成する数少ない樹木。焼畑農業の頃、根が浅く再開墾も用意であり、根粒は空中の窒素を固定化することから肥料木として有用された。針木は上宮地区の上流部で集落の一段低い部分は増水時は沈下する。昔は低湿地で、今は圃場整備をされている今でも榛の木が河畔林として形成してる。開墾地名とともに、燃料採取地や草刈場としての地形由来も考えられる。

ばろう(馬路)【】

 険しい所でバラが生えていて利用価値のない所。高知県や愛知と長野の境にもある。馬路と宛てている(民俗地名語彙)

ばんじょう(番匠・番匠屋敷・番上ヲ屋敷)【打井川】

 番匠は中世大工の呼称。長宗我部地検帳にも「番匠屋しき(打井川)」のホノギ、「番匠弥介給(弘瀬・江師・大井川)」「番匠平太給(江師・西ノ川)」「番匠彦七給(地吉)」と職業名を記載した給地がある。

ばんしょだに(番所谷)【大道】

 

 

はんどいし(ハンドイシ)【】

 庭先に置かれた手水鉢(ちょうずばち)。その置き場所をハンドバという。ハンダはハニタ、ハネダで粘土で赤土の田

(20170719現在)


ちめい

■語源


■四万十町の採取地


■四万十町外のサイノウの採取地