役所所在地:高知県安芸郡安田町大字安田1850番地
郵便番号:781-6421
電話番号:0887-38-6711
FAX:0887-38-6780
メールアドレス:
URL:http://www.town.yasuda.kochi.jp/
■沿革
安田町は、遠く大和時代(2,500~2,600年前)から人々の居住が認められ、時代の流れとともに、大化の改新では、馬路村を含めた也須田[安田]里(郷)となり、藩政時代には、馬路郷、中山郷、安田郷に分けられました。
その後、明治の市町村制施行にともない、中山郷、安田郷がそれぞれ中山村、安田村となり、大正14年に安田村が町制をしき、昭和18年には中山村と合併し現在に至っています。
また、シンプルなデザインのシンボルマーク(町章)は、安田町の「や」を花開くイメージで構成したもので、豊な産業、文化が花開く町として、丸い形は、町民の融和・協調・円満の願いが込められたものです。
■自然・環境
安田町は、県東部に位置し、高知市から東へ車で約1時間20分、50kmの距離にあります。まちの南側は、黒潮洗う太平洋に面し、まちの中心部を流れる安田川流域に広がる清流のまちです。
安田川下流の平野部では、温暖な気候と自然環境に恵まれ、施設園芸発祥の地として、古くから施設野莱を中心に農業が発展し、現在では、ナスやミョウガ、露地でのオクラ栽培等が行われています。
また、カツオやサバといった海の幸や上流部の魚梁瀬杉を生かした製材業、清らかな伏流水を利用した醸造業など、商工業のまちでもあります。
上流の中山間部では、高温多湿な気象条件を生かした造林業などのほか、露地野菜や柚子、自然薯(じねんじょ/やまいも)の栽培が盛んに行われています。
■文化・観光
・安田川(アユおどる清流キャンプ場/「清流めぐり利き鮎会」2度のグランプリ)
・釜ヶ谷の滝(安田の逆瀬釜)
・27番札所神峯寺
・
■計画等
1687年(貞享4年)
「四国徧禮道指南」
真稔著
▼安田川
▼安田浦
▼しるし石
▼たうのはま
▼かうの峯
▼やうしん庵
▼おふ山
▼こうの村
▼不動堂
1808年(文化5年4月26日)
▼「伊能忠敬測量日記」
▽「伊能測量隊旅中日記」
伊能忠敬著
▼安田浦
▼唐浜浦
1808年(文化5年3月26日)
「奥宮測量日誌」
奥宮正樹著
▼唐の浜
▼神峯寺
▼安田浦
▼安田川
1834年(天保5年)
「四国遍路道中雑誌」
松浦武四郎著
▼安田浦
▼たうの濱
▼二十七番竹林山神峯寺
2003年(平成15年)~
「土佐地名往来」(高知新聞)
片岡雅文記者
▼船倉(ふなくら)
▼与床(よどこ)
▼大木戸(おおきど)
▼安田(やすだ)
▼唐浜(とうのはま)
川村与惣太が旅した1770年頃の土佐一国557ヶ所の地名。
その地名を一つひとつを「校注 土佐一覧記」から引用し、掲載順にまとめました。
①地名【ちめい】000掲載順No
②所在地
③所在の十進座標 ※クリックすると電子国土Web表示
④与惣太の短歌
⑤校注土佐一覧記に記載された地名の概要
(校注一覧記掲載P)
⑥ ※編集人の注記として、追記したもの
与惣太の旅した地名を探しながら平成のその土地を編集人が歩き、その地の250年の今昔を文献史料と現在発行されているパンフレット、下手な写真等により「考現学」としてまとめようとするものです。
また、編集人だけでなく閲覧者の確かな目でほころびを直し、外から見た「土地」のイメージを描こうとするものです。
掲載する内容は
①掲載地名の現在の地名と景観(地名の入った写真)
②地名の由来等、既存の文献史料(一部)をまとめ
③高知県集落調査等の統計資料
④観光パンフレット等の記事
⑤編集人のつぶやき
33.495132,134.011359
小男鹿のつれなき妻や恋わびて
夜床の山に音をば鳴らん
安田川中流の両岸で、旧中山村にある。中山郷では早くから開け、州郡志には戸数7とある。
(校注土佐一覧記p92)
■統計(与床村→与床)
項目 | 寛保郷帳 | 昭 和 | 平 成 | |
年代 | 1743年 | 1960年 | 2018年 | |
戸数 | 19 |
32 |
||
人数 | 88 | 145 | ||
馬 | 12 | |||
牛 | 14 | |||
猟銃 | ||||
船 | ||||
網 |
33.439249,133.981447
安田町東島土居屋敷
安田領主
安田権太夫惟宗泰綱籠城大阪。無後。泰綱父称三河守惟宗益信
あびきする汀に魚のよるを見て
かもめやすだく浦の夕凪
▽安田
安田川流域は早くより開け、室戸の金剛頂寺(西寺)と荘園関係があり、馬路の金林寺・別所の北寺・東島の法禅寺には、空海自作の仏像を安置したと伝えている。
土豪安田氏の居城で、奥地の良材や薪の伐木搬出と積み出しで繁栄し、天和3年(1683)には水主204人・船は64艘。その内に廻船・市艇が38艘あり十端帆(260石積み)以上が10艘あった。安芸郡では田野浦に次いで第二位であり、廻船・酒造も奥地山林との関連が深い。
(校注土佐一覧記p91)
▽古城
安田氏(惟宗)の居城で、東島城とも泉城とも称しており、延文2年(1357)に惟宗信綱の名が知られている。(略)
(校注土佐一覧記p92)
このサイト欄の
『平成の土佐一覧記』は
本年10月、安田町の
現地調査実施後に執筆予定
■統計(安田浦→安田・新町・不動)
項目 | 寛保郷帳 | 昭 和 | 平 成 | |
年代 | 1743年 | 1960年 | 2018年 | |
戸数 | 260 | 853 | ||
人数 | 1、431 | 1、549 | ||
馬 | ||||
牛 | ||||
猟銃 | ||||
船 | ||||
網 |
33.442866,133.966813
夕間暮そことも波に立帰り
千鳥鳴なりもろこしの浜
安田浦の西にあり、天正15年(1587)の地検帳には塩浜23筆と大網3張が記載され、半農半漁であり、郷と浦に分かれていた。
(校注土佐一覧記p92)
■統計(唐浜村→唐浜)
項目 | 寛保郷帳 | 昭 和 | 平 成 | |
年代 | 1743年 | 1960年 | 2018年 | |
戸数 | 136 | 90 | ||
人数 | 571 | 427 | ||
馬 | 5 | |||
牛 | 70 | |||
猟銃 | ||||
船 | 7 | |||
塩浜 | 17 |
難読地名
栄峯(えいほー)、唐浜(とーはま)、間下(まげ)