役所所在地:高知県安芸市矢ノ丸1-4-40
郵便番号:784-8501
電話番号:0887-34-1111
FAX:0887-35-4445
メールアドレス:
■安芸市HP「安芸市プロフィール」から
■地勢・概要
安芸市は、県都高知市から東へ約40キロに位置する田園都市で、市の南部を横断する国道55号を中心に県東部地域最大の市街地を形成しています。南は土佐湾に面し、北は四国山地を背にし、徳島県と接しています。市内の中央部には安芸川・伊尾木川が南流し、その流域に安芸平野が広がっています。
安芸平野は古代から農業地帯として開けていました。班田収授法によって条里制が敷かれ、10世紀に作られた「和名抄」にみられる玉造・黒鳥の集落も現存しています。
中世には、壬申の乱に敗れて土佐に流された左大臣・蘇我赤兄の子孫と称した土地の豪族・安芸氏が代々安芸地方を領有し、戦国時代末期、四国統一の軍を進める長宗我部元親との合戦に敗れて滅びるまでの約300年間、土佐7豪族の中でもその権威と名門を誇っていました。
その後、長宗我部氏の時代は約30年間続きましたが、江戸時代に入ると土佐藩領とされ、藩主・山内一豊の重臣・五藤為重が安芸を知行することになり、以後、明治に至るまで歴代支配してきました。
藩政が終わると、それぞれ小さな村や郷、浦が合併を繰り返し、明治22年、中央政府の方針に従って9つの村に統合されました。
明治29年、安芸村が町制を敷き、その後、穴内村が安芸町と合併したのち、昭和29年8月、安芸郡安芸町を中心に土居・川北・伊尾木・東川・井ノ口・畑山・赤野の8町村が合併して安芸市となり、同30年4月、香美郡西川村舞川・轟を吸収合併し、現在に至っています。
■文化・観光
■計画等
1687年(貞享4年)
「四国徧禮道指南」
真稔著
▼おふ山(大山)
▼かうの村(河野)
▼不動堂
▼いおき村(伊尾木)
▼いおき川(伊尾木川)
▼あき川(安芸川)
▼あき浦(安芸)
▼しんぜう濱(新城)
▼やなかれ(矢流)
1808年(文化5年4月26日~27日)
▼「伊能忠敬測量日記」
▽「伊能測量隊旅中日記」
伊能忠敬著
▼下山村
▽下山浦門西浜(西ノ浜)
▼伊尾木浦
▼松田島浦
▼安喜浦
1808年(文化5年3月25~26日)
「奥宮測量日誌」
奥宮正樹著
▼赤野村
▼矢流山
▼安喜
▼安喜川
▼土居村
▼伊尾木村
▼不動の滝
▼大穴(伊尾木洞)
▼大山越
▼下山村
▼名村
1834年(天保5年)
「四国遍路道中雑誌」
松浦武四郎著
▼おふ山(大山)
▼かうの村(河野)
▼いおき村(伊尾木)
▼安喜浦(安芸)
▼しんせう馬場(新城)
▼やなかれ山(矢流山)
2003年(平成15年)~
「土佐地名往来」(高知新聞)
片岡雅文記者
▼入河内(にゅうがうち)
▼奈比賀(なびか)
▼大井(おおい)
▼畑山(はたやま)
▼井ノ口(いのくち)
▼僧津(そうづ)
▼玉造(たまつくり)
▼黒鳥(くろどり)
▼安芸(あき)
▼矢流(やながれ)
▼赤野(あかの)
川村与惣太が旅した1770年頃の土佐一国557ヶ所の地名。
その地名を一つひとつを「校注 土佐一覧記」から引用し、掲載順にまとめました。
①地名【ちめい】000掲載順No
②所在地
③所在の十進座標 ※クリックすると電子国土Web表示
④与惣太の短歌
⑤校注土佐一覧記に記載された地名の概要
(校注一覧記掲載P)
⑥ ※編集人の注記として、追記したもの
与惣太の旅した地名を探しながら平成のその土地を編集人が歩き、その地の250年の今昔を文献史料と現在発行されているパンフレット、下手な写真等により「考現学」としてまとめようとするものです。
また、編集人だけでなく閲覧者の確かな目でほころびを直し、外から見た「土地」のイメージを描こうとするものです。
掲載する内容は
①掲載地名の現在の地名と景観(地名の入った写真)
②地名の由来等、既存の文献史料(一部)をまとめ
③高知県集落調査等の統計資料
④観光パンフレット等の記事
⑤編集人のつぶやき
このサイト欄の
『平成の土佐一覧記』は
本年10月、安芸市の
現地調査実施後に執筆予定
項目 | 寛保郷帳 | 昭 和 | 平 成 | |
年代 | 1743年 | 1960年 | 2018年 | |
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難読地名
赤久(あかぎゅー)、明夜(あきよー)、川成(こーなろ)、大夫屋地(たいやじ)、長川原(なんこら)、名綱( なんな)、入河内(にゅーがうち)、小川川(おごーがわ)