役所所在地:高知県宿毛市桜町2番1号
郵便番号:788-8686
電話番号:0880-63-1111
FAX:0880-63-0174
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与惣太の旅した地名を探しながら平成のその土地を編集人が歩き、その地の250年の今昔を文献史料と現在発行されているパンフレット、下手な写真等により「考現学」としてまとめようとするものです。
また、編集人だけでなく閲覧者の確かな目でほころびを直し、外から見た「土地」のイメージを描こうとするねらいもあります。
掲載する内容は
①自治体の概要(公式HPから引用・振興計画・観光パンフレット等)
②旅人の記録
③地名【ちめい】000掲載順No(校注土佐一覧記)
④所在地
⑤所在の十進座標 ※クリックすると電子国土Web表示①掲載地名の現在の地名と景観(地名の入った写真)
⑥与惣太の短歌 (校注一覧記掲載の地名と郷村名と掲載ページ)
⑦地名の由来等、既存の文献史料(一部)をまとめ
⑧編集人のつぶやき
※一定の時期が来たら、郡ごとに編集して冊子にして公表します。
■宿毛市の沿革
今から、3、4千年前、松田川河口に形成される宿毛の中心地は、遠浅の海でした。そのため、満潮時になると海水が押し 寄せて来る程の大湿原で、一面に葦が生い茂っていたといいます。古代の人々は、和歌等にも詠まれているように、枯れた葦のことを”すくも”と言い、宿毛の 名前の由来はここからきていると言われています。
宿毛の町はずれには、国の史跡に指定されている宿毛貝塚があって、既に3、4千年前の縄文時代頃に文化が開けていたことがわかっています。また、明治維新以後は多くの有為な人材を輩出した由緒ある町でもあります。
古代平安時代には、菅原道真が九州へ左遷の際、乗った船が暴風雨に遭い、宿毛の小筑紫(こづくし)湾内にある島へ漂着したと伝えられています。この島は今では陸続きとなっていますが、一行はここに7日間滞在したことから、この島を七日島と呼ぶようになったそうです。
中世になると、応仁の乱を逃れて幡多へ下国した一条教房の第2子で、後に土佐国司となる房家が、菩提寺として平田に籐 林寺を建立。その後、天正3年(1575年)土佐一条氏が亡び、長宗我部元親が所領となってからは松田川の流路を変更して農地を造成し、宿毛は幡多郡第一 の農村となりました。
そして、藩政時代には山内一豊の甥の山内可氏が土佐の国老として宿毛を治め、明治に至っています。
宿毛の西玄関である片島港は、明治20年、林有造によって開かれたもので、木炭・木材等の積み出し港として、また、阪神・九州・土佐沿岸航路の寄港地として発展しました。
昭和29年3月31日には町村合併施行に伴い、宿毛・小筑紫・平田・山奈・橋上・沖の島の6ヶ町村が合併し、面積284.79平方km、人口3万2、500人余りを擁する宿毛市として誕生しました。
■宿毛市の位置・地形・気候
宿毛市は、四国の最南端(東経132度43分、北緯32度56分)に位置し、西には高知県唯一の有人離島沖の島、鵜来島があり総面積は286.15平方Km(平成21年10月1日現在)となつています。
地形は、全般的に山岳・丘陵地帯で構成され、篠山を主峰とした全域の約84%が森林地帯となっています。 その間を清流松田川が宿毛湾に向かって流れ、河口付近では数々の水鳥の乱舞がみられます。
気侯は、四季を通じて温暖で、足摺宇和海国立公園に属する豊かな自然と相まって第1次産業を中心に発展してきました。
沖の島、鵜来島は日本有数の磯釣りのメッカとして多くの釣り客を魅了し、近年は日本屈指の透明度を誇る海として、ダイビングスポットとして注目を集め県内外の来訪者も多くなってきています。
冬には、気象条件が整えぱ、夕日が宿毛湾に沈むときにダルマのように見える「ダルマ夕日」を見ることが出来ます。
■宿毛市の木・花・鳥・魚
木:くすの木
花・寒蘭
鳥・めじろ
魚・石鯛
■宿毛市の文化・観光
■計画等
1687年(貞享4年)
「四国徧禮道指南」
真稔著
▼やまた村
▼丗九番 寺山院
▼寺山おしおか村
▼わだ村
▼うしのせ川
▼すくも村
▼かいつか村
▼にしき村
▼こふか原村
▼大ふか原村
▼番所
▼松尾坂峠
1808年(文化5年6月12日~25日」
▽「伊能測量隊旅中日記」
伊能忠敬著
▼沖島
▼母島浦(宇和島領)
▼弘瀬浦(土州領)
▼母島浦持古矢浦
▽小尽浦の内蛤形
▽七日嶋
▽木生の嶋
▽ひびきの松
▼小筑紫浦枝浦榊(栄喜)
▼福良村
▼小筑紫浦
▼大海浦
▼湊浦
▼伊与野村
▼小浦枝外浦
▼小浦枝内野浦
▼小浦崎
▼小浦
▼宿毛村枝坂ノ下村
▼牛背川
▼宿毛村枝郷錦村
▼小深郷浦
▼大深郷浦
▽大深浦番所
▼樺[又は加波]村加波崎
▼宇須々木村
▼藻津村
▼貝ヶ崎
▽榜示碆
▼市島(一島)
▼片島
▽浦嶋
▼丸島
▼池ノ浦島
▼大島浦
▼咸陽島
▽桐嶋
▼大峠(藤)島
1834年(天保5年)
「四国遍路道中雑誌」
松浦武四郎著
▼山田村
▼二王門
▼三十九番赤亀山寺山院延光寺
▼鎮守社
▼大師堂
▼おし岡村
▼和田村
▼午の背川
▼すくも町
▼貝塚村
▼にしき村
▼□うか原村
▼大ふか原村
▼番所
▼大艸原村
▼松尾峠
2003年(平成15年)~
「土佐地名往来」(高知新聞)
片岡雅文記者
▼出井
▼平田
▼宿毛
▼与市明
▼真丁
▼高砂
▼錦
▼呼崎
▼小筑紫
▼福良
枚田(平田村/校注土佐一覧記)
古城(芳奈村/校注土佐一覧記p327)
前野玄蕃居之。秦氏時城監細川備後守
此里なるある人のもとに宿り別れに望みて
「さりとても名残ぞ思ふ旅枕 結びとむべき習ひならねど」
此里の産宮にて
「しめはへてよしなにごとを祈るとも 道しなければ神な叶へそ」
高知坐神社(平田村/校注土佐一覧記p326)
此社枚田郷戸内村在。本神体青黒玉石盛以円筥重貯以箱。摂神体青石蔵於杉箱共二座也。二十一座之一社也
「かしこしななべてへだてぬ民草の 塵にまじはる神の恵みは」
藤林寺山(藤林寺/校注土佐一覧記p328)
此所を過ける時
「行くかたも暮と告げて夕鳥 なれもねぐらの林にぞ鳴く」
寺山(赤亀山寺山院延光寺/校注土佐一覧記p327)
此山蔵延喜年中所鋳弥勒寺小鐘
「わけ入りて御法の跡を訪ひみるも 心すずしき寺の山風」
笹山(篠山/校注土佐一覧記p368)
此山は伊予国の堺炭塚、論田、矢筈、藻津などお言ふ堺あり。昔土佐より島某、伊予より御庄某立会、堺を定めし歌に
笹矢筈正木川分松尾坂 藻津は浜中あしはをりのり
「白露の玉とみだれて打そよぐ 夕べすずしき笹の山風」
矢筈池(矢筈池/校注土佐一覧記p369)
此池は笹山にあり。誠に霊地なり
「いざさらばいるまでは見ん弓はりの 月を矢筈の池にうつして」
矢筈と矢筈池
土佐と伊予の国境争いは宿毛市史に詳しい。
牛瀬川(牛之瀬川/校注土佐一覧記p370)
「曳綱のわだ山崎をめぐり来て 牛のせ川を渡るかち人」
土佐清水市三崎?
宿毛市小筑紫?
※山本武雄氏は「水茎の岡」と「筆海」の所在地を土佐清水市竜串としている。
難読地名
家谷(いえんだに)、大海(おーみ)、還住藪(げんじゅーやぶ)、河原(こーら)、栄喜(さかき)、志沢尾(しさお)、竹部(たけび)、高石(たこす)、手代岡(てしりおか)、日平(ひびら)、戸内(へない)、御手洗(みたらい)、藻津(むくづ)、大藤島(おとーじま)