役所所在地:高知県安芸市馬路村大字馬路443番地
郵便番号:781-6201
電話番号:0887-44-2111
FAX:0887-44-2779
メールアドレス:kikaku@vill.umaji.kochi.jp
■概要
馬路村は、四国は高知の山の中。人口は、1000人足らずの過疎の村です。遊びは、山と川しかありません。 山の暮らしはたいへんですが、ゆずに木工に温泉にとがんばっています。
■主な特徴
●主要病院までの所要時間(馬路地区:45分、魚梁瀬地区:1時間15分)
●徳島県境に接し、周囲は標高1,000m級の山で隔たれた地域。
●県都高知市までの所要時間(馬路地区:2時間、魚梁瀬地区:2時間30分)
●総面積165.52k㎡、森林率96%、国有林75%
●かつては、一つの村に営林署が二つあった。
(昭和54年に馬路営林署廃止、平成11年に魚梁瀬営林署廃止)
●国道、鉄道、信号、高校、学習塾、コンビニもない。
●人口:903人 ( 馬路729人 魚梁瀬174人) (2017.1.31現在)
●世帯数:445世帯(馬路342世帯 魚梁瀬92帯)(2017.1.31現在)
■計画等
1687年(貞享4年)
「四国徧禮道指南」
真稔著
※特に記録なし
1808年(文化5年4月20日)
▼「伊能忠敬測量日記」
▽「伊能測量隊旅中日記」
伊能忠敬著
※特に記録なし
1808年(文化5年4月20日)
「奥宮測量日誌」
奥宮正樹著
※特に記録なし
1834年(天保5年)
「四国遍路道中雑誌」
松浦武四郎著
※特に記録なし
2003年(平成15年)~
「土佐地名往来」(高知新聞)
片岡雅文記者
▼甚吉森(じんきちがもり)
▼千本山(せんぼんやま)
▼魚梁瀬(やなせ)
▼相名(あいな)
▼馬路(うまじ)
▼朝日出(あさひで)
川村与惣太が旅した1770年頃の土佐一国557ヶ所の地名。
その地名を一つひとつを「校注 土佐一覧記」から引用し、掲載順にまとめました。
①地名【ちめい】000掲載順No
②所在地
③所在の十進座標 ※クリックすると電子国土Web表示
④与惣太の短歌
⑤校注土佐一覧記に記載された地名の概要
(校注一覧記掲載P)
⑥ ※編集人の注記として、追記したもの
与惣太の旅した地名を探しながら平成のその土地を編集人が歩き、その地の250年の今昔を文献史料と現在発行されているパンフレット、下手な写真等により「考現学」としてまとめようとするものです。
また、編集人だけでなく閲覧者の確かな目でほころびを直し、外から見た「土地」のイメージを描こうとするものです。
掲載する内容は
①掲載地名の現在の地名と景観(地名の入った写真)
②地名の由来等、既存の文献史料(一部)をまとめ
③高知県集落調査等の統計資料
④観光パンフレット等の記事
⑤編集人のつぶやき
33.617979,134.110880
此山は奈半利川の奥なり。当国第一の良材出る山なり
柳瀬山奥の宮木も川水に
まかせてぞ引く奈半の杣人
梁瀬山の城福寺と言ふは元暦元年能登守教経讃岐八島の軍破れし時此奥より忍び入りて小城を築き城福寺と名づけ、隠便の居城とし侍る旧跡なり。金剛頂寺の末寺なりぬ。(略)
武士の跡こそのこれ梓弓
やなせの山の城のふる寺
馬路村六カ村の一つである。奈半利川の上流域で周囲を標高1,000メートル級の山に囲まれ、秋田杉・屋久杉とともに日本三大美林の一つとしてヤナセ杉の名で有名である。州郡志には「一州良木之所有也」とある。
千本山(1,084メートル)は学術保護林として天然林と対比観測できる。
(校注土佐一覧記p86)
このサイト欄の
『平成の土佐一覧記』は
本年10月、馬路村の
現地調査実施後に執筆予定
■統計(魚梁瀬村→
項目 | 寛保郷帳 | 昭 和 | 平 成 | |
年代 | 1743年 | 1960年 | 2018年 | |
戸数 | 59 | 414 | ||
人数 | 300 | 1、316 | ||
馬 | ||||
牛 |
7 |
|||
猟銃 | 11 | |||
船 | ||||
網 |
馬路村
33.543586,134.039147
おもふその人を尋ねて山深み
馬路峠もかちよりぞ行く
安田・馬路を結ぶ旧道で、馬路村日浦から西南方にあり、現安田町の日々入に出る峠をいう。
(校注土佐一覧記p92)
難読地名
押谷(おすだに)、中ノ川(なかのこー)、東川(ひがしごー/馬路地区))、八川(やこー)、七七川(ななごー)