奈半利町(なはりちょう)

 

役所所在地:高知県安芸郡奈半利町乙1659-1

郵便番号:781-6402

電話番号:0887-38-4011(代表)

FAX:0887-38-7788

メールアドレス:http://www.town.nahari.kochi.jp/00other/mail.php

URL:http://www.town.nahari.kochi.jp/


■ 奈半利町HP「奈半利を知る」から

■奈半利を知る

 

自然が凝縮された、

静かで美しいふるさとの町

 

南国インターチェンジをおりて、海岸線をなぞりながら国道を東へ向かうと約50キロ。

北東に野根山をのぞみ、起伏に飛んだランドスケープを特徴とする奈半利の町は

海、山、川と三拍子そろった見渡す限りの大自然郷。

澄んだ水、山々にこだまする小鳥たちの声、まっすぐな日射しの気持ちよさ、

町のいたるところ四季折々の草花が咲き競い、空気のおいしさも、また別格です。

町のあちこちに点在する旧跡や寺院、数々の滝、由緒ある民家の建ち並ぶ町並みなど、

自然と歴史が美しくミックスされた「なはり」へようこそ。

今日も、地元の人たちの人懐っこいあいさつで、この町の一日が始まっています。

 

■文化・観光

・野根山街道

・琵琶ヶ滝

・珊瑚ウォッチィング

・土佐日記の「那波の泊」と加領郷の港

・日本でも数少ない大型の船舶修理のドック

・西日本で最後まで操業していた製糸工場

 

■計画等

・奈半利町公式ホームページには「総合計画」や「町勢要覧」など公表資料は掲載されていません。

※公式HPは「奈半利町の姿かたち」を正確かつ多くの情報を公表する役割があります。

※ふるさと納税は頑張ってますが「なかみ」も大切にしてほしいと願います。


旅人の記録

1687年(貞享4年)

「四国徧禮道指南」

真稔著

▼かりやうご浦

▼はね石

▼なはり浦

 

1808年(文化5年4月20日)

▼「伊能忠敬測量日記」

▽「伊能測量隊旅中日誌」

伊能忠敬著

▼加領郷本浦

▼奈半利浦

▼奈半利村

 

1808年(文化5年4月26日)

「奥宮測量日誌」

奥宮正樹著

▼加領郷本浦

▼奈半利川

▼奈半利村

 

 

 1834年(天保5年)

「四国遍路道中雑誌」

松浦武四郎著

▼かりやうご村

▼名張浦

 

 

2003年(平成15年)~

「土佐地名往来」(高知新聞)

片岡雅文記者

▼加領郷

▼琵琶ヶ滝

▼須川

▼米ヶ丘

▼コゴロク

▼奈半利

 

 



校注土佐一覧記

川村与惣太が旅した1770年頃の土佐一国557ヶ所の地名。

その地名を一つひとつを「校注 土佐一覧記」から引用し、掲載順にまとめました。

①地名【ちめい】000掲載順No

②所在地

③所在の十進座標 ※クリックすると電子国土Web表示

④与惣太の短歌

⑤校注土佐一覧記に記載された地名の概要

(校注一覧記掲載P)

⑥   ※編集人の注記として、追記したもの

平成の土佐一覧記

与惣太の旅した地名を探しながら平成のその土地を編集人が歩き、その地の250年の今昔を文献史料と現在発行されているパンフレット、下手な写真等により「考現学」としてまとめようとするものです。

 また、編集人だけでなく閲覧者の確かな目でほころびを直し、外から見た「土地」のイメージを描こうとするものです。

 掲載する内容は

①掲載地名の現在の地名と景観(地名の入った写真)

②地名の由来等、既存の文献史料(一部)をまとめ

③高知県集落調査等の統計資料

④観光パンフレット等の記事

⑤編集人のつぶやき


琵琶滝【びわたき】063

 

奈半利町加領郷 

33.384583,134.041572 

 

 

 

 

 

此滝は奈半泊に言ふ加領郷の谷川にあり。もも尋あまり真直に立てる岩ほの上より乱れて落る滝のすずしき岸の松風にしらべ実も琵琶琴の名にめで待る

聞けばまづ波のしらべも秋かけて 

誰ひきならす琵琶の滝つせ

岩波の音うちたえて松風の 

しらべも通ふ滝の白糸

 

 加領郷は江戸初期に漁業集落として開かれ、天和元年(1681)には戸数33となっている。

 琵琶滝は県東部ではよくしられた名瀑で、琵琶ヶ谷の中流にある。形が琵琶に似ており、乾季には滝が四筋・五筋にわかれて落下し、琴の弦を張ったように見えるためその名がある。 

 一説には海に近くて落下する水音と波の音がよく協和して妙音を発し、琵琶を弾くように松風にのって聞こえるためともいわれている。

(校注土佐一覧記p75)

 

 

 

 

このサイト欄の 

『平成の土佐一覧記』は

本年10月、奈半利町の

現地調査実施後に執筆予定


奈半泊【なはどまり】064

古城【こじょう】065

 

奈半泊

33.427448,134.017668

 奈半利町乙

33.424403,134.019427

 

 

 

 

姫倉右衛門尉居之 降元親。元親徒之和食城以桑名丹後守城監

乗大寺岡古城

元親時山崎甲斐守居之

北岡古城

安岡道清居之。後安岡出雲、吉良川城主弾正弟也

岡古城

野根山道以北也。今ノ公館桑名丹後古城也

加茂古城

小笹民部居之

 

 

▽奈半泊

 奈半利川の下流三角州に古くから開けた。養老年間(717~724には野根山官道が開通して西登り口となり、海陸交通の要地となった。古くは土佐日記の承平5年(935)1月10日の条に「けふはこのなはのとまりにとまりぬ」とある。いわゆる「なはの泊」である。

 川口港として開け、中世には甲浦港と並ぶ廻船の港で、奈半利浦は天和3年(1683)には八端帆以上の大型船42艘を有し、対岸の田野浦60艘もここを利用していたことがわかる。

 

▽古城

 奈半利城跡は、桑名丹後守の築城したもので現奈半利小学校の地にあった。

 乗台(大)寺岡古城は、奈半利町中心の東南方の宮ノ岡にあり、岡城とも称していた。地検帳には山崎古城とみえる。

 北岡古城は、野根山の山裾を利用し、天然の要害堅固な城で、城山の地名が残っている。

 加茂古城は、現在の北川村加茂にあった。土佐古城記には小笹城とも呼ばれていた。 

(校注土佐一覧記p79)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■統計(奈半利村<浦を含む>→奈半利乙) 

項目 寛保郷帳   昭  和 平  成
年代  1743年    1960年 2018年
戸数 561    1、451   
人数 2、588    5、725   
       
       
猟銃        
       
       

※奈半利町甲は加領郷・西ノ平・大佐手・久礼岩・須川・平・宇川 (明治の郷村では加領郷と須川)

※奈半利町丙は米ヶ丘の一地区(明治の郷村でも米ヶ岡)

 

※これ以外が、奈半利町乙となる。

※明治の合併で加領郷・須川・米ヶ岡と加茂・野川(北川村分)の5カ村が含まれる)


車瀬【くるまぜ】067

 

奈半利町乙

車瀬

33.437977,134.029555 

 

 

 

車瀬と言ふ所に水車の多かりけるを見て

夏の夜のふけて涼しき月かげも 

流れてめぐる水の車瀬

又秋の末此の所を過る時

いつしかと田面のくろに捨てられて

水の車も秋や過らん

世を渡る業とや釣のいとまさへ 

波にあびきの奈半の蜑人

 

 車瀬は天正の地検帳に堂屋村と記録され、車瀬川の名もみえている。当時車瀬川に水車が架設されていたことがわかる。水車利用は古くからのようで、一覧記中にも各地に記録されている。 

(校注土佐一覧記p83)

 


奈半神社【なはじんじゃ】068

 

奈半利町乙

中里

33.433930,134.030371 

 

 

 

 

奈半神社は多気坂本両神を一宇に祀る。二十一座の一社なり

曳しめの奈半の社の二柱 

立てしちかひは末もへだてじ

 

 

 奈半利北東の山際に鎮座し、多気神社は武内宿禰を、坂本神社は葛城襲津彦命を祀っており、ともに式内社である。今は桜の名所になっている。 

(校注土佐一覧記p83)

 


米が岡【よねがおか】017

 

奈半利町丙

米ヶ岡

33.439159,134.077835

 

 

 

 

 

米が岡と言ふ所にて、跡なる山をかへりみて

旅衣わけこし峰はへだたりて 

夕入雲のそなたにぞ見ゆ

 

 

 野根山街道沿いの小村の新田である。ここでとれる米は上質で藩主の食膳に上げたので米が岡になったと伝えている。 

(校注土佐一覧記p36)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■統計(米が岡→奈半利町丙(米ヶ岡))

項目 寛保郷帳   昭  和 平  成
年代  1743年    1960年 2018年
戸数 21    26   
人数 101    110   
16       

     
猟銃        
       
       


地名の話

難読地名

弓場(いば)、立町(たつまち)



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